第2話 菊花の白

これは、俺とユキジを巡る運命の物語だ。


あのころ、俺は9歳で、ユキジは8歳だった。

夏だった。空は青く高く、どこもかしこも緑で、畑にはナスやキュウリがつやつやと実っていた。


ユキジは目玉焼きみたいなデカい垂れ目がよく目立つ子どもだった。

散髪と洗髪を諦めきった脂っぽい髪の毛は、1・9分けで、ユキジのでこぼこ頭を包んでいた。


ユキジの家は貧しいことで有名だった。

そのころ、村はどの家も貧しいのは当たり前で、俺の家ももちろん例外ではなかった。

しかしユキジの家は村の中でも極めつきだった。


ユキジの父親は、墓守番(はかもりばん)をしていた。

寺の住職などでなく、「押しかけ墓守」というのが一番、正確な言葉だ。

ユキジ親子は村の墓地の一角に、勝手に小さな小屋を作り、そこでお供え用の花や蝋燭や線香を売って暮らしていた。


といっても、その実態は、ユキジ親子はそこらの土手や空き地で菊やらアネモネやらコスモスを摘み、それを売っていた。線香も蝋燭も、正規の問屋から仕入れることはなく、ユキジの親父がどこからか中古の線香や蝋燭を持ってきて、それを新品の箱に入れて売っていた。


こんな貧しい墓小屋暮らしは、ユキジの家が親子二人だったから、できたことだ。

「お母さん」などという、いい匂いのするまともなものは、ユキジの家にはいなかった。


「マトちゃん、マトちゃん」


俺が、親父のお使いなんかで、ユキジん家の小屋の前を通ると、

中から、たたっとユキジが駆けてくる。


俺の名は、速水真登夫(はやみ まとお)という。

ユキジが言う。


「マトちゃん、アソボ、アソボ」


ユキジは学校に行ってなかった。昼間は何をしていたかも知らない。


俺はユキジが嫌いだった。

虫みたいに頭が悪いところも、木にのうろにくっついた松脂みたいに脂っぽいベタベタした手も顔も、ひっきりなしに俺にまとわりついてくるところも、全部、全部、嫌いだった。


その日も、ユキジは菊の花を抱えて、俺の前に転がり出るようにして「アソボ、アソボ」を連呼した。

ユキジの顔を殴ると手が汚れることを、俺はすでに学習していた。

無視していると、ユキジは、俺に「マトちゃん、マトちゃん」と追いすがり、異次元ポケットみたいに体から次々と何かを取り出してくる。


今日は白い菊の花だった。

普段は、半ズボンの尻ポケットから、生のキュウリだとか、カビのはえた饅頭や、

太陽にさらされて熱々になった缶ビールが飛び出してきた。


「マトちゃん、アゲル。食ベナ。食ベナ」


ユキジは、墓のお供え物をオヤツがわりにしていた。


「食わん。いらん。そんなん食って腹こわしても知らんで」と俺が言うと

ユキジはいつも「オイシイヨ?」と言った。


差し出した菊の花を、俺に振り払われて地面に叩きつけられて、

ぐしゃぐしゃに踏みにじられてもユキジは、にこにこ笑っていた。

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