虹色のムカデ
村崎 晶
第1話 虹色のムカデ
「良き勝負だった。友よ、互いの健闘に」
星々が煌めく宇宙空間で、僕は目の前の男と戦っていた。激しい死闘に決着はつかず、双方の力量は互角だとわかると男は僕に握手を求めた。僕も男の力を認め、快く手を差し出す。手を取った瞬間、男は体を左右にうねらせ正体を露わにした。人間の皮を破り、長い身体をうねうねと剥き出しにする。全身が硬い殻に覆われ、頭の触角は虫のようだった。蛇のごとく長い胴体には無数の足が、関節ごと均等に生えている。それは龍を思わせるほどの巨大なムカデだった。不思議と気持ち悪さはなく、むしろ虹色に輝く光沢が美しいとさえ思えた。
「友よ、我らが力を合わせれば怖いものなどない。この果てしない銀河を一緒に巡るのはどうだろう」
ムカデの提案は魅力的だった。僕が笑って頷くと、ムカデは繋いだ手から腕へ、肩へ、頭へと巻きついていった。体を這う間にムカデはマフラーほどのサイズに縮む。ムカデは嬉しそうに僕の頭をぐるぐると這った。少しくすぐったい。
−−君、−−君。
僕の名前を呼ぶ声がする。声の主は、女性……?
「坂本ぉ!」
「は、はいっ」
大声で名前を呼ばれ、反射的に顔を上げる。目の前に広がるは、クスクス笑うクラスメイトと眉間にシワを寄せた先生の顔。虹色のムカデは何処へやら。
「四八ページ、三問目だよ」
隣の席の諸星結月が、こっそりとやるべきことを教えてくれる。助かった。幸い宿題の範囲だったので事前に解いた答えを述べる。回答は正解だったようでお叱りは長引くことなく、その後の授業はスムーズに進んだ。
それにしても漫画みたいな夢だったな。なにげなくノートの端に、夢で起こったことをメモしておいた。
*
「さっきはありがとう、諸星さん」
「気にしないで。体育の後って眠くなるよね。それに水泳の後だもん」
彼女はまだ乾ききっていない長い黒髪をタオルで拭きながら笑いかける。天使か。
諸星さんが男子の間で人気なのは言わずもがな。幸運なことに僕は席替えで彼女の隣になった。しかし普段から人と会話をしない引っ込み思案で根暗な僕は、彼女と話す機会を逃しに逃し、完全に宝の持ち腐れ状態である。
「にやにやして、どうかしたの?」
「えっ、いや。さっき見た夢がちょっと面白かったから」
顔に出てたようだ。慌てて平静を装うが、手遅れだったかな。
「へぇ、どんな夢だったの?」
彼女が夢の方に食いついてくれて安心した。しかし夢の話をしようとしたところで言葉に詰まる。ムカデが身体を這うなんて、リアルだったら気持ち悪いことこの上ない。
ちょうどその時、クラスメイトの女子が彼女に声をかけた。
「結月、またいつものお願いしたいんだけど……」
いいよと言って彼女は鞄から小さな箱を取り出した。小箱には手のひらサイズのカードが入っている。彼女はカードを机に広げてぐるぐるとシャッフルしている。
諸星さんの特技は占い。しかもよく当たると噂で、休み時間になると女子たちが変わりばんこに彼女の元へやってくる。
流れでぼんやりと眺めていたら、相談に来た女子に睨まれた。その目は盗み聞きは許さないと物語っている。すぐに察した僕はさっさと退散することにした。その時、彼女に呼び止められた。
「坂本くん、よかったら今度その夢の話聞かせてね」
「あ、うん」
先ほど躊躇したにもかかわらず、口からは承諾の言葉が滑っていた。どう説明したものかと頭をかきながら教室を出る。
「何?進路の話?」
「ううん、寝ている時の夢。それより、占いでしょ?カードを混ぜてくれるかな」
*
進路。去り際、耳に入った重い言葉だった。
僕は特に行くあてもなく、メモ帳とシャープペンだけ持って校内をふらふらと歩いていた。
高校二年の夏。大半は進学を決めているし、僕もその一人だ。僕の場合、周りが受験しているからとか、世間一般が選んでいるルートだからといった適当な理由。そんな理由で親に大金を支払ってもらうのは忍びないと思いつつも、親も進学を勧めている。
まぁ、いっかと思う能天気な自分。もっと真剣に考えろよと叱る自分。板挟みを食らって無難な選択をしている自分。どの自分もあまり好きになれない。同一人物なのにな。
人生の分かれ道。こういう時に人は占いに頼るんだろうか。
「ーー友よ」
あの時ムカデはなんと言っていたっけ。次の授業が始まるまでに思い起こしてメモ帳に書いてみる。覚えている限り、風景もスケッチして。
本日最後の授業が終わり、帰り支度をしていると彼女が声をかけてきた。昼に約束した夢の話だろう。
「さっそく、お願いしてもいい?」
彼女はノートとペンを手にして、まるでインタビュアーのようだった。
席が隣だからといって、彼女と話す機会はめったにない。占ってもらうなら今日がチャンスだろう。進路のことで占いに頼るなんて女々しいと思われそうだが、僕は意を決して頼んでみることにした。
「その……、僕からもお願いがあるんだけどいいかな?」
「いいよ。占いでしょ?」
まさかそれも占いで未来予測?と一瞬ドキリとしたが、すぐに彼女は私に頼み事って大体そうだから、と付け足した。いや、恋愛方面も多いのではなかろうか。むしろ占いを口実に二人きりになり告白、なんてこともありそうなもんだ。
しかし変に思われなくてよかったと少しホッとした。
「だったら場所を変えようか。ここだと人多いし。坂本くん、美術部だっけ?活動後に美術室って使わせてもらえないかな?」
「あぁ、うん。今日は活動日じゃないから、もう空いてると思う。部員少ないし」
僕らは美術室に移動することにした。
絵の具の匂い、傷や汚れだらけの木の机。高校生に上がってから美術の授業はめっきり減って、学年が上がると選択科目になってしまった。小学生から図工の時間が楽しみだった僕としては、少し寂しいものがある。
*
放課後、女子と二人きりの美術室。その響きだけでロマンチックだが、実際のところ僕は緊張しまくってガチガチだった。一方の彼女はどこまでも自然体で窓際の席につく。
始めましょうかと言って、彼女は鞄からノートとペン、それから分厚い本を取り出した。本の表紙は夜空をイメージした紺色の背景に金色の文字で『夢辞典』と書かれている。
「……あれ、カードじゃないの?」
「せっかく夢を覚えているなら、夢占いの方がいいかなって思ったんだけど……。ダメ?」
ナチュラルに小首を傾げる彼女は可愛かった。よくよく考えればあざとくも見えたのだが、頭が真っ白になりかけていた僕は流されるままオーケーした。
「夢占いは私も勉強し始めたばっかりだから、お代はいらないよ」
「えっ?普段はお金取ってるの?」
校内でそんな商売がまかり通っているなどつゆ知らず、僕は耳を疑った。
「うん、パパの喫茶店の珈琲チケット一枚分」
驚きの低価格にさらに僕は目を丸くした。安すぎないかと尋ねたら、これくらいがちょうど良いのだと言う。
「アルバイトの一環ってことで、先生の許可は取ってあるよ。でないと行列ができちゃって、そっちの方が迷惑かけちゃうし」
ちなみに先生も常連さんなのと、いたずらっぽく舌を出す。天使ではなく小悪魔だったか。
「じゃあまずは夢の内容を教えてくれる?」
僕はメモ帳を取り出して夢の内容を伝える。彼女は話を聞きながらキーワードを拾うようにペンを動かした。
「坂本くん、夢日記つけてるの?」
「いや、諸星さんが聞きたがっていたから、覚えていること話せるようにしなきゃと思って……」
「そうなの?嬉しいな、占いやすくなるよ」
ありがとうと彼女に言われた時、首から頭にかけて体温が急上昇するのがわかった。心臓もさっきよりバクバク音を立てている。
「あ、あと僕、緊張するとどもっちゃうから、このメモ帳は保険」
「緊張してたの?全然気づかなかった。気を使わせちゃってたらごめんね。
それに、そのノート?メモ帳だったんだね。美術部の人がよく使ってるノートのちっちゃい版だと思ってた」
「あぁ、これはクロッキー帳って言って、絵を描くにもメモ取るにも便利だから……」
余計なことを言わなくて良い!と心の中で自分にツッコミを入れ、僕は夢の話の続きをした。僕の脳内がてんやわんやしている間にも、彼女は涼しげな顔で話の内容をノートに書き込んでいく。
ムカデのことは躊躇ったが、気持ち悪いかもしれないけどと前置きをして伝えた。すると意外なことに彼女はムカデに興味を持ったようだ。
「どんなムカデだったの?嫌な感じした?」
「綺麗な印象だったよ。むしろ好感が持てたと言うか……」
あまりに突っ込まれるので、少し迷ったが、スケッチを見せることにした。自分が描いた絵を他人に見せるのは恥ずかしいのだけど、こっちの方が説明しやすいと思ったからだ。しかし僕のメモ帳をまじまじと眺める彼女を見て、急に嫌な汗が出てきた。とてもドキドキする。グロくないかな。でも彼女、虫平気そうだし。いやだからといって女子にムカデの絵なんて……。
「綺麗だね」
「えっ?」
今日一日で何度耳を疑っただろう。
「ムカデが綺麗だなぁって。確かに怖い印象ではないね、むしろ優しそう」
彼女の言葉が胸の内にストンと落ちる。全身の緊張がほぐれ、肩の力が一気に抜けるようだった。この時、僕は泣き出したくてたまらなかった。
*
彼女はノートと夢辞典を見比べて、気になった箇所にメモを書き加えたり、キーワードをつなげたりしていた。その間に僕は涙を引っ込めることに集中した。しばらくすると彼女は顔を上げて深く息を吐いた。
さて、占いのお時間です。手をパンと叩いて彼女は解説を始める。
「同性との争いごとは、コンプレックスと向き合っている証拠。巨大な虫はストレスを抱えているって意味。この時期だとストレスの原因は受験や進路関係かな」
彼女の解説は初っ端から僕の心をえぐってきた。他人に絵を見せたくないのはまさにコンプレックス、いわば劣等感が強いからだ。画塾に通っているわけでもないし、家でこっそり描くか、部活で絵の具に触るくらい。
進路の希望書類には一般大学の名前を記入したけれど、どこかで美大を受験したほうがいいのではないかと迷っている。とはいえここで劣等感が襲い来る。学力はさておき、実技は今からじゃ間に合わない。美大入試では必ずデッサンや水彩画など、画力を試す課題がある。どんなに勉強ができても、技術がなければ落とされるのだ。
希望と劣等感、夢と現実。このギャップが激しくてストレスになっているんだろう。
「舞台は大宇宙か。これは未知なる可能性を表しているね。ストレスの原因は受験って言ったけど、もっと先の未来のことまで見据えてるのかも」
「お先真っ暗じゃないと良いけど」
「星が綺麗だったんでしょう?だったら大丈夫だよ。キラキラ輝く星は、未来に対する希望を表しているんだもの」
分厚い本の一節を指で撫でながら、楽しそうに語る彼女の瞳はそれこそ眩しいくらいに輝いていた。
「で、やっぱりこの夢で一番印象的なのはムカデだよ!坂本くんはその巨大なムカデに仲良く旅に出ようって言われたんでしょ。旅っていうのは、シンプルに人生ってことじゃないかな」
「コンプレックスとストレスの塊と仲良く人生を歩もうって言われたってこと?それって意味不明じゃないかな。どうしたって仲良くできる気がしないんだけど」
「んー、でもそのコンプレックスとストレスの塊は、坂本くんのことを友達だと思っているみたいね」
「どういうこと?」
「夢の中で見知らぬ誰かと話した内容ってね、自分自身の本音なの」
僕は言葉を失った。どうして僕はムカデの提案を魅力的に思い、受け入れたんだろう。
わかっているだろう、ダメなところを含めて夢の中の僕は僕を受け入れたんだ。受け入れたがっているんだ。
ただ現実の僕は理解を拒んでいるようだった。そんなこと、できっこない。
「困っちゃうよね、こんなこと言われてもさ」
ふふっ、と笑う彼女につられて、僕も乾いた笑い声を上げる。
「あのさ、随分ムカデについて聞いてたけど、何か意味があるの?」
もちろん、と彼女は言って解説を続ける。
「ムカデには足がいっぱいあるでしょう?だから客足がつくと言って、商売繁盛って意味で昔から縁起の良い虫なんだ。そんな虫が味方してくれるんだから、心強いと思わない?」
絵で食べていきたい。
高校受験の時に飲み込んだ言葉を思い出した。親に止められたんだ。昔から絵を描くのが大好きだった僕は、小学生の頃から将来は漫画家になるんだとか、イラストレーターになるんだとかって言って教科書やノートに落書きばかりしていた。だけど両親は芸術家なんて、一部の天才にしかなれないんだよって、何度も何度も僕に言い聞かせた。次第に自信を失った僕は普通の高校に入学して、普通の大学を受験しようとしている。
「坂本くんは自分自身の可能性に賭けて、やってみたいことがあるんじゃないかな。それに挑戦できるなら、コンプレックスも困難も快く受け入れられる。むしろコンプレックスが友達になっちゃうくらい楽しい旅になるのかもね」
本当にそうなったらいいのにな。
「以上が私の解釈だけれど、どうかな?何か質問があったらどうぞ」
「諸星さん、ありがとう。でも僕、どうしたらいいのか余計にわかんなくなっちゃった」
*
「関係ないかもしれないんだけど、諸星さんはどうして占い師になったのか聞いてもいい?」
僕にとっては大いに関係ある質問だった。普通の女子高生がお金、と言ってもコーヒーチケット一枚分だが、それでも対価を受け取って好きなことをやっている。どうしてそうなったのか、興味が湧いたからだ。
「あー、よく聞かれるんだけど、私は占い師になったつもりはないの。ほとんど遊びのつもりではじめたから。最初は本当にこっそり、こっそりやってた趣味だった。……だって、好きな人との相性って気になるでしょ?」
「じゃあどうして人のために占いをはじめたの?何かきっかけがあったとか?」
趣味から入ったと聞いて、内心安堵する。それに恥じらう彼女は可憐だった。だからこそ次の言葉に僕は凍りついた。
「大っ嫌いな人がいたから」
即答だった。
*
彼女の父親の喫茶店で働いているバイトに、とても嫌味な人がいたらしい。小中学生のいじめならともかく、お金をもらって働いている大人がなぜわざわざ自分の評価を落とすことをするのかと、中学生時代の彼女は理解に苦しんだ。当時、西洋占星術というものに熱中していた彼女は、どういう星の下に生まれたらこんなにもひどい性格になるのか気になって仕方がなかったそうだ。
ちなみに西洋占星術ではその人の性格や価値観、過去から未来までの運命諸々がまるっとわかってしまうらしい。生年月日と出生地だけで、だ。
しかしその情報を得るのに苦労した彼女は語る。バイトの履歴書を見れば生年月日も出生地もすぐにわかるだろう。だが彼女の父親が許さなかったそうだ。その時に父親から個人情報の取り扱いやプライバシーについて厳しく指導され、知りたいなら直接本人に聞きなさいと叱られたという。
バイトに対していきなり生年月日を聞いても警戒されて教えてもらえないと思った彼女は、身近な人から占うことにした。喫茶店の常連さんや手の空いている他のバイトに、練習がしたいと言って手当たり次第に占った。するとこれがよく当たると好評で、彼女の占い目当てでやってくる客も増えたらしい。
問題のバイトは彼女が占いを始めたばかりの頃は、占いなんて信じないと言い張っていたが、評判がよくなるにつれてだんだん無視できなくなっていった。そしてついに彼女に己の運命の全てを教えてしまったのだ。
「本人が自分から喋ったんだもん。問題ないよね?」
小首を傾げて同意を求める彼女に僕は若干の恐怖を覚えた。
彼女は目を細めて、きっかけなんてこんなもんだよと微笑みを浮かべる。その言葉は、甘美な誘惑とも熱い激励とも受け止められた。
夜空のように星が瞬く漆黒の瞳が、真っ直ぐ僕を見つめている。夢で見た宇宙のような深い闇と魅惑的な輝き。
「私は占うから占い師になった。坂本くんは何をして、何になる?」
*
「結月、さっきお友達が来てたよ。占ってもらったお礼にってコーヒー飲んで、そこにある包み置いてった。お前、変な男に貢がせてんじゃねぇだろうな?チケットも持ってなかったしよ」
「人聞きが悪いなぁ、もうちょっと娘を信用してよね」
「心配して言ってんだ」
「中身は何かなぁ?」
「ったく、聞いちゃいねぇ。ん?なんだそれ、随分と派手な色遣いだな。虫の絵か?」
「ムカデだよ。……ねぇパパ、これお店に飾っといていい?きっと商売繁盛するよ」
「一応、ムカデっつったら縁起もんだが、喫茶店に虫の絵をか?こちとら飲食扱ってんだぞ」
「……ダメ?」
「はぁ……。まったく、お前はズルいやつだよ。好きなとこに飾っとけ」
「わーい、ありがとう!パパ大好き!」
虹色のムカデ 村崎 晶 @murasaki_sho
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