17. すべては覚めない夢の中で

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 花は生きたまま売られる。高い金を出して人はそれらを買っていく。それがなんとなく生贄を思わせ、昔の僕ならためらっていたかもしれないが、今日僕はそれを彼女に手向けた。正しさとか適しているかとか、そういうことを考えるのは当分やめようと思っているから、「きれいでしょ。可那子さんに選んでもらったんだ」という一言とともに墓石に添えることしかできなかった。

 電車を乗り継ぎ片道五時間。大学の先生を通じて左良井さんの実家と連絡を取り、今日という日が叶った。快くお墓参りを許してくれたのは、少しだけ意外に感じた。どうも、左良井さんから聞いた話から、ご家族に対して閉鎖的なイメージを勝手に持ってしまっていたのかもしれない。

「遺書を受け取った者は、なかなか死に辛いね。左良井さんがあんなに早く書き上げてしまってたのは、予想外だった。もしかして君は……」

 僕と離れる前から、僕ともう二度と会えないことを想定していたのかな。 チクリと侘しさが胸を刺して、このセリフを僕に呟かせなかった。

 僕は何が何でも生きなければいけないみたいだ。幸か不幸か、左良井さんの遺書は僕にそう強く思わせる力を持っていた。何をしても傷つかない僕は、罪を償う事さえ許されない存在なのだ。そう気づいてからもう何年が経ったというのだろう。でもいろいろ考えるに、きっと僕はとうの昔に気づいていたんだと思う。そして僕の人生はそれでもいい……僕はそうも思いかけていたはずだった。

 その矢先に左良井さんに出会い、そして彼女を失った。あまつさえ、僕はまた無傷だ。僕は悟らざるをえなかった。

「僕も一つ嘘をついてた。一年生の冬、左良井さんが告白しようとしてくれた日。僕は自分が左良井さんだけを見つめていると自分でも思い込んでた」

 もしもあの日にお互いがすべてを話せていたら、僕たちは今頃どこで何をしていただろうか。

「でも、思い出して気づいたよ。僕は左良井さんとマナを重ねて見ていた。今更だけど……ごめんね。あのとき左良井さんばかりを責めてしまって」

 そんな、今ではもうありえもしない『もしも』は、もういくらでも考えつくした。その末に僕は一つの結論に行き着いた。

 左良井さんの言葉を借りるなら、この夢のような世界で生きる事が僕の贖罪なのだと。

『私の夢を見て欲しい』

 左良井さんの遺書を読んでから、事故当時のことを夢に見ることはすっかりなくなった。しかしながら、それ以外に彼女が現れる夢を僕はまだ見ていない。

『私はあなたと生きていたい』

 彼女の望みは、僕が、希望のないこの世で生き続け彼女の夢を見る事。

「辛くはないよ。辛いなんて僕は思ったりしない」

 口ではそう言えるけれど、願っても夢でさえ会えない君のことを思う度、僕は永遠の眠りを手にする事も厭わない。それを君は弱気と言って笑うだろうか。

 ……笑うんだろうな。ふっと笑って僕は手帳にペンを走らせる。入学式の時に着たスーツの袖が、白い便箋を撫でた。

 少なくともこの遺書を書き終えるまで、僕は死ねない。

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