16-4

『越路謙太様


 せっかくのお誕生日に遺書なんか送りつけてごめんなさい。でも色々考えた結果、貴方が生まれた日にこれを贈るのが一番適していると思った。それに、これが私なりのお祝いなんだとあなたならわかってくれると思って。

 改めて、二十歳の誕生日おめでとう。数日の違いでしかないけれど、こればかりはいつまでも先を越されてしまうものなのね。でもこの遺書を書いていて気付いたの、もし私よりも先にあなたが死んでしまったら、私は初めてあなたよりも先に歳をとることになる。

 きっと普通に、生きていることだけを考えて過ごしていたら気付かなかったことだと思う。


 ここから先は、いろいろ考えたことをつらつらと書いていきます。とりとめのない文章になるけれど、許してね。


 遺書を交換しようと言った日、つまりあなたから真奈美さんの話を聞いた時から、ずっと考えたの。

 生きるとはどういうことか。

 私たちは今後どうあればいいか。

 私はどうすべきか。


 あなたは生きている今を夢だと思おうと言ってくれた。あれは研修旅行の時だから、もう二年前になってしまうのね。

 生きるということは、世界を五感で観察することだと思っていた。私の五感がこの世界を「世界」たらしめているのなら、私が死んだその瞬間からこの世界は私によって観察されなくなる。それはこの世界から私が消えるかのように見えるかもしれない。でも私はそう思わずに、私からこの世界が、シャットアウトされるんだと考えてきた。

 でもあなたがあんな風に言ってくれたおかげで、死んでしまうこともさして怖くなくなった。私が見てるこの世界を、夢みたいなものだと思うことが許されるのなら。私が死ぬ瞬間っていうのはまるで眠りから覚める時に夢が消えてしまうみたいに、私がいなくなるんじゃなくて世界が無くなってしまうだけ。それなら怖くないと思い上がってた。

 そう、思い上がり。それは錯覚だったの。つまりそれは、少し違ったの。

 結論から言えば、それでも怖いことはあった。

 それは、あなたの中から私がいなくなることと、私の中からあなたがいなくなること。それだけがどうしても恐ろしくて、どうしても避けたいことだった。


 ずっと、ちゃんと言いたいと思ってた。

 越路くんのこと、好きよ。大好きだった。たとえあなたが誰を好いていようとも、私はあなたが好き。

 今までの私は、私のことを思ってくれる人を愛の対象にしようとしていた。逆に言えば前提条件としてそれが無いと、私は誰も愛せなかった。前の彼もそう、一年生の夏の頃もきっとそうだったと思う。あなたが私を特別な思いで見てくれていることは出会った頃から察していた。でも私は、ただそれだけで私はあなたを好意の対象にしたのよ。それのみならず、あなたが他の誰かを特別視することも許し難かった。

 あの頃の私は、この上なく身勝手だった。こんなところで打ち明けてもしょうがないのだけれど、今はもう、反省してる。

 あなたと離れる時間ができて、あなたの隣に志摩さんがいるところを遠巻きに見て、よく知らない先輩から一方的に牽制をかけられて、真奈美さんの話を聞いて……それでも私の中であなたへの思いが薄れることはなかった。ただ、越路くんを見ていられればそれでいいと思えるようになった。


 生きることに大義名分をつける……そのために『生きる意味』を探すくらいなら、生きることにすがるなんて馬鹿馬鹿しいと思っていた。でもそんな『私』はいつの間にか居なくなってたみたい。


 でも、このまま同じ土地で生きようとするには、私たちは少し絡まりすぎた気がする。というよりは、あなたよりも私自身がずっと幼稚で、未成長だと感じた。だから少しだけ、別々に頑張れる機会を作りたくて編入を決めたの。

 分かってほしいのは、またあなたに会うために離れるんだということ。


 最後に、遺書らしいお願いをさせて。

 たまにでいいから、私の夢を見てほしい。

 あなたが見ている世界から私が消えなければ、私はあなたの世界の中でこれからもずっと生き続けられる。

 お願い。私はあなたと同じ世界で生きていたい。


 ……遺書なのに「生きたい」だなんて、私も覚悟が足りないわね。

 書いてしまったものは仕方ないから、読み飛ばして。


 再び会う必要が無くなってしまったら、その時はちゃんと言ってほしい。

 そのルールだけは二人で守りましょう。

 それでは。』



 ギッと軋むブランコが隣で滑らかに揺れる。僕はハッとして隣を見るけれど、誰がいるわけでもなくブランコは風に漂っていた。再び一枚目に戻って、僕はその手紙をその場で三度読み返した。

 君がいない世界に残る僕は、どこにいるというのだろう。左良井さんの言葉を借りれば、君の五感から見放された僕は、どこで何をして生きればいいのだろう。左良井さんがいなくなってからはそればかりを考えていた。

 そんな中届いた遺書だった。彼女が僕の隣で生きていた証は、力の無い僕のこの手でも一瞬で握りつぶせそうなほどに儚い、この紙切れだけ。

(君も、ただの女の子だったんだね)

 こうなるとわかっていたら、僕の過去なんて話すべきじゃなかった。貴方の最期に、あんなものを背負わせる必要なんて全くなかったのに。

「ごめん……本当に、ごめん」

 二十歳を迎える朝を共にしたのは、もうこの世にはいない僕の大切な人の遺書と、彼女を失って初めて流す大量の涙だった。

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