16-3

(また、ここだ)

 逃げられないなら、悟るより他に無い。ここに舞い降りてくるのは もう何度目だろうか。

 視界の向こうで片手で手を振り僕に背中で別れを告げるのは、あの日の左良井さんだ。それを棒立ちで見送る僕自身もまた、手前に見えている。今の僕はこのシーンの観察者でしかない。

(変えられないんだ、この世界は)

 何度この場に降り立っても、どんな手を使っても、この運命を変えることはできなかった。

 なのに僕はなぜ、この場面を夢見てしまうのだろう。

(いつまでこれを、見続けるのかな)

 滑り込む列車、身を裂くほどに大きく響きわたるブレーキの音、駅の人々の悲鳴、どよめき。

 目の前の僕は轟音に飛び上がるほど驚いて、両足を震わせながら身を翻して走り出す。大学生の帰省ラッシュだったのか、駅のホームは混乱で渦を巻いていた。中途半端な所で停車する電車。ホームに転がる一個のスチール缶。

『左良井さん!』

 走りながらなぜか思い出したマナの死。それは僕の目の前で起きたことだった。僕は燃えていた命の灯が消えてなくなる瞬間を知っている。僕の目の前で倒れたマナは、ほとんど生きているときと同じ状態で永遠の眠りについた。苦しそうに顔を歪めてはいたし、涙と涎でぐしゃぐしゃだったけど、それでも体は傷ひとつないまま呼吸だけが止まった。

『左良井さん! 左良井さん!』

 ホームにたどり着いた僕の眼前に広がる世界は赤かった。真っ赤な車両、真っ赤なカーディガン、真っ赤なヘッドライト。華やかさの欠片もない世界が真っ赤な夕陽とともに沈んでいった、この瞬間から僕は逃れられずにまたこうして出くわしている。

 最後の最後まで彼女に差し伸べる手も持ち合わせていなかったというのは、あまりに残酷すぎる結末だった。

 いつもと同じ夢の、いつもと同じ所で目が覚めたようだ。時計の表示が土曜日であることを確認する。ふらふらと立ち上がって郵便受けを覗くと、一通の封筒が見える。貼ってあるシールには今日の日付。日付指定郵便という制度は知っていたけれど、実際に送られてくるのは初めてだった。裏を返して宛名を見る。

「……!」

 落ち着いた黒ボールペンの、右上がりの流麗な筆跡で書かれた名前。

「左良井、真依……?」

 これが、あの日約束した彼女の遺書であることは開けずとも容易に察せられた。



 たった一度のチャンスだと、僕たちは確かに約束したはずだった。それがこんなにも早くにやってくるなんて予想外だった。

 それにしても立て続けに二通の遺書が僕の手元に舞い込んでくるなんて、僕は死神か何かなのかもしれないと半ば本気で考える。部屋に閉じこもって一人で読むのはあまり気が進まず、封筒を片手にアパートの近くの公園に出向いた。二人分のブランコとベンチと砂場を順に見て、僕はブランコの一つに腰をかける。封は事前に切っておいた。数枚の便箋を手に取ると、生きていた左良井さんがこれを書いたのだという事実が手紙を読む手を強張らせた。

 手紙の一文目は、予想外の書き出しだった。でもそのおかげで、便箋を持つ手の震えがなくなったのは確かだった。

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