16-2

 次の日は大学の図書館で集中力を切らしながら、半ば強制的に勉強に励んでいた。最中、僕の携帯がブーッと震えた。電話には出ずに、画面を開いて相手を確認する。

『永田慧』

 直近の僕の着信履歴には、その名前が幾つか並んでいた。左良井さんに関して僕を心配するのは、後にも先にもこいつだけだった。その優しさが、今は鬱陶しくて仕方がない。履歴には名前が連なるばかりで、実際のコンタクトはこのところ皆無と言っていい。

 図書館を出て駅に向かうと、校門に寄りかかって立つ見慣れた影を見つけた。

「よぉ、ご無沙汰」

「ああ、二週間ぶりくらいかな」

 永田はいつの間にか黒髪に変わっていた。それが彼なりの配慮だったのだろうか。しかしながら持ち前の存在感は相変わらずである。彼は今、一番会いたくない人物の一人でもあった。

「電話に出ねえなら、直接会ったほうがいいだろうなって思ってさ……でも今日図書館でお前を見つけたのは偶然だ。勉強の邪魔はしたくなかったから、ここで待ち伏せてた」

 そう言って笑った彼の顔には陰りが見えた。あまり眠れていないのだろうか、目の下に隈を見つけた。

 そこからアパートに着くまでの帰途の間、僕たちは口をきかなかった。男二人が会話もなく一緒に電車に乗っても、違和感を持たれにくい。男同士でよかったと言えば、まあそうなのかもしれない。

「まぁなんつーか、その……。ほっとけなくてさ、お前のこと」

 僕のアパートに着いてようやく、永田が口を開いてそう言った。僕は冷やしてあったリンゴジュースを二つのコップに注いだ。

「受け入れてるのか、ちゃんと」

「ああ、わかってるよ。何のために僕がこうして毎日確認してると思ってるんだ」

 僕はクリアファイルを手にして、見出しを読み上げる。

「『線路転落事故、女子大生一名死亡』……左良井さんの名前は珍しいからね、どんなに目をそらして読んでもこれは左良井さんに他ならない」

 心配をかけまいと、やんわりと笑って見せた。対照的に、永田は沈痛な面持ちで僕から目をそらした。

「……葬式はもう、終わったかな」

「結構時間も経つし、そうだろうね」

 それから特に話が発展することもなく、じきに永田は部屋を後にした。「無理だけは……すんなよ」と一言だけ残して。

 玄関の壁に掛かった鏡の前で、さっき永田にしたように柔らかく笑ってみる。しかし鏡に映っていたのは苦痛に歪む見たこともない男の顔だった。鍵を閉め震えながら一息ついて、ドカドカと廊下を踏み鳴らす。歩いた先の冷蔵庫の扉を力任せに開けた。六本入りの紙ケースを取り出して、ビリビリに破り捨ててアルミ缶のプルタブを上げる。

「……くそっ」

 一つ、二つ、三つ……軽く潰された空き缶を数えてみるが、三つ四つあたりでどうでも良くなった。

「なんでだ……どうして」

 お酒の席は何度か経験したことがあるが、自分からアルコールを買ったことはなかった。普段買っている飲み物よりもずっと値が張っていたが、そんなことはどうでもよかった。今日みたいな日が来ることを想定して、即効性を考えて、保険にかけていたのがこれだった。

『——酷い顔ね』

「……僕だって、車にしか酔えないわけじゃない」

 プシッとタブを上げてまた一口口をつける。麦の苦さと鼻に抜ける香りに顔をしかめ、げふっと空気を吐き出してはまた飲む。

「なんで君なんだよ」

 それがすごく苦しくて、不思議と心地いい。

「左良井さん、僕も死んで……」

 アルコールの作用でホカホカと内側から温まっていく感覚は、誰かに抱きしめられているかのようだった。床に体を預けた僕は、それに応じるように自分の肩を抱きしめる。

「君に、会いたい……」

 まどろみが僕を襲う。フローリングは火照った頬から熱を奪っていく。固いその感触は頬の血流を遮り感覚を麻痺させ、僕はそのまま宙ぶらりんな世界へと誘われる。

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