15-2
永田の時のように、重い封筒を取り出すことから僕は話を始めた。永田の手によって一度既に開封されているそれは、未開封の時よりもずっと邪気のない佇まいを見せていた。壊れ物を扱うように手のひらに乗せて、左良井さんに渡す。彼女もまた僕に倣って、慎重な手つきでその中身を広げてくれた。マナと僕とが写った写真を見るときの左良井さんの表情をその瞬間まで見てもいいものかどうか迷っていたのだけれど、左良井さんの瞳が少しだけやわらかく光ったのを見て僕はホッと一息つく。
「いつまでも忘れられない、眩しい悪夢の話だよ」
一度永田に話したからといって、あの時の話よりも簡潔にまとめるのはなんとなく憚られた。時系列、そして僕たちを渦巻いていた環境が可能な限り正確に伝わることを念頭にして、時間を惜しむことなく話すことができた。
左良井さんもやはり途中で口を挟むことをせずに聞いてくれた。そしてマナの命の終焉を知った時は、瞬きと呼吸を忘れたような反応を見せてくれた。
「死んでしまったら、何も言えないのね」
須崎からの手紙から目を離し、左良井さんは一番にそんな当然のことを口にした。しかしその『当然』の切っ先は、僕たちにはあまりにも鋭かった。
「何度も何度も考えて、それでも自分の中でブレずに残った思いくらい、死んだ後にも残しておきたいわよね」
考えることだけは人一倍やっている、言葉からはそんな自負を感じた。僕もその儚い願望に同意する。
「それがこの明るすぎる夢の世界をうまく生きれなかった人間の最後のあがきなんだとしたら、悪くないね」
夢から覚めるたった一度限りのチャンスが、いつ巡ってくるかわからない。
「じゃあ、一回限りの文通をしようよ。会って話せなかった分の出来事とかを書くんだ。長くなってもいいから、チャンスを一回に決めてさ」
ああ、つまり……左良井さんがそれはもう楽しそうに小さく何度もうなずいて呟く。
「つまり……遺書の文通ってわけね」
『遺書の文通』――それは僕がやりたかったこと、言いたかったことのすべてが詰まった最適解の五文字だった。
二人揃っていた歩調を、左良井さんの方が先に行く。くるっと振り向いて、彼女は意地の悪い視線で僕をまっすぐに捉えた。
「ねえ、そんなことよりまだ聞きたいことはあるの。……別れたんだってね、志摩さんと」
ああ、と僕は言葉を失って気まずく笑うことしかできなかった。正直なところ、左良井さんの口から出てきたその苗字が可那子さんのものであることに気付くのに、少し時間を要してしまったのだ。
「可那子さんが、別れようって。……まあ、完全に僕のせいなんだけどさ」
きっと僕は可那子さんが好きだった。でも、きっとこの世には叶わぬ両思いが存在するのだと僕は悟るにとどめることにした。
「志摩さんと、どこまでいったの」
「へえっ?」
声が裏返る。どこまでいったって、つまり。
「ええと、いろんなところに一緒に行った、とか」
「それから?」
「それから、お家で鍋を一緒に食べたとか」
「それで終わり?」
「……キスも、した。軽い奴だけど。そこまでだよ」
左良井さんはそこで初めて笑った。口角を三度ほど上に上げるだけの、うっすらとした笑みだ。
「へえ、そうなんだ」
するりと指を絡め合わせながら、左良井さんの指が僕の指を弄ぶ。その突然さに僕は驚きと緊張を感じる。
「こうして話すの、やっぱり久しぶりなんだね。よくわからないけど体がふわふわする感じがする」
いろんなことを話したけれど、触れ合うようなことはほとんどなかった。会話をするように指先を動かして、二人きりの時間を惜しむ気持ちが通じあっていることを知る。
「そうだね」
「でも出会って二年も経ってないんじゃ、あんまり変わらないよね」
「そりゃあ、そうだろうね」
何も変わらないからこその、素朴なやりとり。つまらないかもしれないけれど、僕はそれで安心した。僕らにはこれで十分だし、これこそが僕らだと思った。僕らはやっぱり、こうでないと。
「他には本当に、なにもしてないの?」
楽しそうに突っ込んで聞いてくる左良井さんの真意が計り知れない。
「鍋を食べてキスをしたその日、お家に一晩お邪魔した。一緒の部屋で、別々に寝ただけだ」
「ふうん……二人って真面目ね」
意味深長な微笑みだった。でも、左良井さんがこれほどまでに楽しそうに笑う瞬間はほぼないので、僕としては曖昧に笑い返すことしかできなかった。
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