14. 無傷と手紙

14-1

 戻りたいあの日のせいで、今見えるすべてのものがくすんでいく。思い出す事を恐れてからずっと、僕はあの過去を無いものとして生きてきたつもりでいた。でもこうして話しだせば、忘れた事なんかむしろ何一つもなくて僕自身驚いた。

「昔の写真がモノクロなのと正反対でさ。あの日々が今からすれば一番色鮮やかだった。時間が経てば経つほど、僕の色彩は色褪せていく」

「この子の雰囲気が、左良井さんそっくりだな。姉妹って言っても不思議に思わねえ」

 マナが写る写真をまじまじと眺めながら、永田がポツリとこぼした。長く伸ばした髪に白い肌、薄い唇、細い顎。ただ一つ違うとしたら、マナは底抜けに明るかった……あの瞬間までは。

「分かった気がする、一人暮らしなのになんでわざわざ大学から離れたところにアパート借りて住んでんのか」

 鋭いな、と思った。僕は正直に答える。

「人が沢山いるところに僕がいたら、また誰かが傷ついてしまうような気がした。……もう、手遅れかもしれないけど」

 傷つけるのもそうだし、誰かが——例えば永田みたいな奴が——僕や僕の周囲の人間を守ろうとして傷つく可能性も捨てきれなかった。

「マナを変えてしまったのは僕だ。須崎を傷つけたのも、元をたどれば僕が……」

 「好き」という気持ちが、なにを生むというのだろう。体と心の中で固く守られたその凄まじい気持ちは、須崎の過剰な行動を引き起こし、マナのすべてを奪ってしまった。

 僕は「好き」なんて信じない。

 それが幸せだなんて、どうしても信じられない。

「僕は沢山の人を傷つけた。左良井さんも可那子さんも傷つけた」

 どうして僕だけが裁かれないのかと、何度思ったかわからない。

「好きで傷つけようと生きてるわけじゃないだろ。……不器用と不運が重なっただけだ」

 永田は僕の話を最後まで聞いてくれた。不器用で不運だと、ただそれだけを口にしてあとは何も言わなかった。

 不器用と不運。それだけで許されることでは到底ありえない。でも、器用か不器用かと言われたら、少し悩むけど後者なんだと思う。

「その話、他に誰が知ってる?」

「大学内では、永田にしか話してないよ」

「左良井さんにも、可那子ちゃんにもか?」

 可那子さん、遠い記憶から呼び出されたような名前だ。

「……ああ、してない」

「お前が何か誰かの話をするときは必ずと言っていいほど『左良井さん』だ。可那子ちゃんと付き合ってからもお前は左良井さんのことばかり気にかける。それがどういう意味か、自分の本心自分でわかってるだろ。ガキじゃあるめえ」

 目を薄く開け、ため息と口元だけの微笑みを肯定の返事に代えた。

「お前の話、誰よりも先にお前の口から俺が聞けたことは光栄に思う。だから、お前の一番の友人として言うけど、」

 恥ずかしげもなく『一番の友人』などと抜かす目の前の金髪男が、どこか現実離れして僕の目に歪んで映る。

「お前は何も悪くない」

 そして歪んだ世界は流れ出す。僕はたまらず目をつむる。

「怖いかもしれないけど、おせっかいかもしれないけど、俺のことを単に『俺』として見てくれたように、お前も過去とか気にしないで今のお前自身だけを見た方がいい」

 目をつむると、少し痛みが和らぐような気がした。その言葉はじめじめした布団を少しも乾かしてくれないけど、どうしてか居心地を良くしてくれた。

 優しい永田は、やっぱり僕を裁いてはくれなかった。

「話を聞いたら、左良井さんはなんて思うだろうな」

 なんて思うか、なんて永田に聞いたって仕方ないのに。永田は答えてくれなかった。

 そう思っていたら、彼はフッと表情を緩めて自分用のお茶を一口飲んだ。

「……やっぱお前変わったよ。誰からどう思われようと関係ないって奴だったくせに」

「そうなんだよ、それは僕でもびっくりしてる」

「いーんだよ。みんなそうなんだから」

 みんなもこんな風に悩んでいるのか。それでいてあんな能天気な顔でお気楽に生きていられるのか。

「変わりたいよ。どんな風にかはうまく思い描けないけど、今の僕は変わらなきゃいけない」

 もしかしたら一番能天気なのは、僕だったのかもしれない。

「手紙があるぞ」

 封筒をくるりと返した永田の笑顔が引きつった。大量の写真、それも、実家から送られた写真の送り主。

「ご丁寧なやつだな、相変わらず」

 見なくてもわかっていた。これら全ては、須崎が実家に送ってきたものだと。

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