13-3
マナが最期に口にしたのは、写真を現像するときに使う現像液で、つまるところ劇薬だった。たった一日で二人の女子生徒が怪我と中毒で倒れ、怪我人は一命を取り留めた。
そしてもう一人は、その罪を裁かれることなくこの世を去った。
たった一人の目撃者である僕は、それからしばらく忙しい日々を送ることになった。
——越路君、亡くなった巽さんと仲良かったんだってね? 目撃した時はさぞ、辛かったと思うよ。
思い返していた。真奈美の僕に対する言動。
——思い出すのは辛いと思うけど、どうして彼女が犯行に及び、そして自殺したのか……心当たりはあるかな?
思い出していた。須崎という女と、巽真奈美という大切な友人のこと。
——わかりません、本当に。
わからない。僕は、僕自身の気持ちが。
僕は何度か、須崎を見舞いに彼女の家に足を運んだ。噂通りのフィルムだらけの部屋に通され、彼女はベッドに静かに横になっていた。柔らかそうだった頬はすっかりこけ、髪の艶もすっかり失われ、愛されなくなった人形のようだと思った。
「写真を広めるつもりなんて少しもありませんでした。大切な先輩の姿をそう簡単に人に見せられるわけありません。ただ、そう言っていれば先輩が写真を撮らせてくれたから……」
涙は一度たりとも見せなかった。泣くことも許されないことを、彼女自身は分かっている……そんな感じだった。
「私は先輩がただ好きだったんです。でも、やりすぎました。今なら分かります」
須崎はそう言って黙り込んだ。気丈な女だと思った。それとも、僕が居ないところで涙を枯らしてしまったのかもしれない。
「ケン先輩、大切な人を奪ってしまって、すみませんでした」
一ヶ月通い続けて、彼女はここまでのことを語ってくれた。気は晴れないが、彼女のその言葉が一生聞けないよりは遥かにマシだったと思う。
春休みに入る頃、凝りもせず僕は須崎の家に通い続けていた。洒落た門のある白い家、そのインターホンを押すのにもずいぶん慣れた。
『いつもいつも、ありがとうございます』
決まって母君が対応してくれる。以前マスコミ関係の訪問には一切何も語らなかったのに、僕だけは通された。たぶん覗き窓かカメラの類いがあって、それに加えて須崎本人の口添えがあったのだろう。
「いえ……やっぱりまだ、心配で」
『申し上げにくいんですが……もう……』
「えっ」
『詳しい事は存じませんが……もう会いにきてほしくないと本人が言ってるんです。それでその……』
「そう、ですか。……わかりました、お元気でとお伝えください」
『……』
ぷつり、と無機質な音を立ててインターホンの音声は切れた。
新学期を迎え、部活の名簿管理の仕事に取りかかって初めて、彼女が学校から去ったことを知った。
マナの死からしばらくして、ある噂を耳にして僕は愕然とした。それは『二人はイケメン会長を取り合ったものの、会長がどちらの好意もはぐらかし続けていた。愛憎がもつれ合った挙句、巽が後輩を貶めようとした』という内容だった。
確かにただの写真部員だったマナは僕らと話すために生徒会に出入りするようになったのがきっかけで後に入会したし、須崎に至ってはマナの写真部の後輩というだけの関係だ。二人が生徒会室を頻繁に出入りしていたことは事実であったし、目撃情報も多くあるのだろう。だからってこんなデマカセが通じてたまるか。
生徒会役員の引き継ぎが行われる頃まで、噂は生徒たちを翻弄した。ハセは知らぬ存ぜぬの一点張りのその一方で、噂がどれだけ盛り上がっても僕のことが話に上がることはなかった。新生徒会長の立候補者は出ず、二学年の級長団から無理矢理一人を選出して出馬させる形になったらしいと聞いている。
僕はただ、掻き回していただけだった。
僕こそ罪を背負わねばならない存在であるはずなのに。
「マナがあんな風になったなんて信じられないな。ケン、あんまり気にしすぎるな」
「ハセこそ、ほとんど関係ないのに辛い思いをさせて悪い」
「……あんなに仲良かったのにさ、俺って本当に関係ないんだよな」
マナに関してハセと話したことと言えば、それくらいだった。それが自然であるかのように、僕たちは生徒会引退とともに疎遠になった。
黒い学生服も、あの日からは意味が違ってくる——それは喪に服すための装束。
マナの居ないこの世界で僕はのうのうと生き続け、加害者でもなければ被害者でもない扱いを受ける。
「マナ……」
見上げる受験期の冬の空。もう戻っては来ない、色鮮やかな日常を思う。目の前に広がるのは僕が望んでいた、単調でつまらない色彩。
ただ一つ大きな十字架を心に刻み、僕は無傷のまま高校を卒業したのだった。
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