13-2

 日没はすっかり早まり、夜道を闊歩しているような感覚に高ぶった学生が街をふらつき始める季節。季節変われど僕や僕は何も変わりはしない。今日は昨日と何も変わらず、今日と何も変わらない明日がやってくる。それを安寧と言わずして何と言うのか。

 でもきっとハセはそれをよしとしない人間だ。一瞬を切り取ることに生き甲斐を感じるマナも、きっと毎日が同じだなんて嘘でも言わないだろう。須崎も、本心こそ分からないが何かを変えようと裏で動き回っているのかもしれない。

 そんな人たちに囲まれながら、僕だけが動かない日常を生きている。

 いや、生きようとしている。日常を動かすまいと、そればかりに必死になっているような気さえする。

「……帰るか」

 ハセが勉強よりも生徒会活動に価値を見出している。一方僕は友人が価値を見切った勉強に熱を入れ始めている。

 僕はいつか彼らみたいに、何かを変えたいと思う日が来るのだろうか。

 少しセンチメンタルに浸りながら、生徒会館を出た。その裏で何か、声が聞こえた気がして僕は歩みを止める。同時に、先ほどの出来事と会話も脳裏によぎる。

『マナ先輩は、あたしのものです』

『そういうことはもう少々抵抗を見せてから言ってくださいね、ケン先輩』

 動悸が早まる。

『……そういやマナは?』

『写真部の部室にいたのを見かけたよ。なんか忙しそうというか、厳しい顔をしてたよ』

 嫌な予感がした。

 不運にもその予感は的中する。空を切るような鋭い悲鳴と、質量のあるものが地面に落ちる音。おそるおそる足音を忍ばせていた僕も、条件反射で物音の方へと駆け出した。




 駆けつけたそこは、惨劇と言う他なかった。

「マ、ナ……?」

 立ちすくむマナの手には普段キッチンで見るようなごく普通の包丁が握られていた。普通と違うのは、その刃先にべっとりとついた赤黒い液体が付いている。

 足下には、芝で顔が汚れることも厭わず須崎が倒れていた。次から次へと流れ出す血液と思われる液体に僕は動揺を隠せない。

「ケンの言う通り、断ったよ。あたし、ケンの言う通りにしたよ」

 うわ言のように呟き続けるマナ。両手も声も震えていて、唇は引きつった笑みを貼付けている。

「そうしたらね、急に眠くなってね、起きたらたくさん写真を撮られてた」

 うう、と足下で須崎がうめき声を上げた。まだ、生きて……。

「あんな写真、絶対ケンにもハセにも見られたくなかった。だから写真はもっと増えた」

 助けを、呼ばなければ、今ならまだ……頭でぐるぐるとそればかり考えているのに体も声帯も動いてくれない。ここはちょうど公道からも校舎からも見えにくい死角になっていて、助けは呼ばない限り望めない。

「あたしの大切な日常を人質にして、この子はあたしをおもちゃにしたのよ。そして……ケンまで奪おうとした」

 誤解だ。やはりマナはあれを見てしまったのか。

「歪んでる、分かってる。私がこんなに歪んじゃったら、ケンは私を嫌いになっちゃうかもしれないでしょ? どうするべきかなんて、もう一つしか思いつかなかった」

 首を動かす事もなく、須崎を目だけで見下ろすマナの視線の冷たさに背筋が凍った。 

「だからこうするしか、なかったの」

 目を覚ませ、覚まして僕の目を見ろ……マナを守りきれなかったという後ろめたさが僕にそう叫ばせない。体のすべてが固まって、僕はマナを直視することさえできない。

「お願いよ、もっといつも通りにしてよ……ケン」

 あの日僕を頼って、僕の胸にすがって泣いたマナ。同じ瞳から流れる涙は、頬に飛んだ返り血を溶かして赤く染まった。

「いつも通りにできるわけないだろ……そんなもん、向けられて」

 どこかで口にした事のある言葉だった。マナは大きな瞳に再びたっぷりと涙を浮かべて、それはもう嬉しそうに笑った。

「やっぱり、あの頃が一番楽しかったよ」

 はっきりとそう言って、真奈美はポケットから出した『それ』を握りしめ、

「ケン、ありがとう」

「マナ!」

 ……呷った。マナはその場に崩れた。

 やめろ、という僕の声が彼女に届いたのかどうかは今も分からない。

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