11. 告白

11-1

 キャンパスから駅への道のりの途中に可那子さんのアパートがあるのは、僕と彼女が学科の連中に(表向きは)内緒で付き合っているという観点からすればなにかと便利だった。偶然出会うクラスメイトに声をかけられても、「今帰るところなんだ」と一言告げるだけで嘘をつかずにその場をはぐらかせる。

「僕が可那子さんの部屋にお邪魔するのと、可那子さんに電車に乗ってもらってまで僕の部屋に来てもらうの……どっちが失礼のない対応なのか未だに分かんないんだよね」

「いいじゃんそんなの考えなくたって。謙太くんに会えるならどっちでも嬉しいよ」

 今日のごちそうはハンバーグと聞いていた。家で食べるハンバーグは焼いたものしか想定していなかったから、とろとろのソースに包まれた煮込みハンバーグがテーブルに出された時は思わず「おお……」と小さくこぼした。

「ネットでレシピ見つけて作ってみたの! 失敗しなくてよかったぁ、うふふ」

 いただきます、と手を合わせ、柔らかい肉の塊を箸で切り分けてほおばる。それはあまりに熱くて、飲み込んだとき舌を火傷したことに気がついた。温かいご飯を食べても、甘いスープを飲んでも、その傷はじわりと痛む。

 先日の先輩とのやりとりは、後悔しか生まなかった。あれから先輩からは音沙汰ないし、実際何か不都合なことが起きているわけではないけれど、穏やかで眩しいこの時間にどこか影を落としてくるように僕の中に居座る。後ろ暗いとはこういうことを言うのだろう。

「最近忙しいよね、試験もあったしレポートもまだ残ってるし……」

 暗くて気持ちの足下が見えなかった。何かにすがっていないと、崩れて壊れてしまいそうだった。

「じゃあ片付けちゃうねー」

 よいしょっ、と勢いづけて立ち上がろうとする可那子さんの腕を掴む。

「え、えっ……」

 何も考えられなかった。

「可那子さん」

 戸惑う彼女の反応を無視して強引に引き寄せる。体勢を崩した可那子さんが僕に全体重をあずけてもたれかかってくる。

「ちょ、謙太くん! わああ、ごめ……」

「好き?」

 ぴたり、もがく彼女の動きが止まる。

 僕のことが、とわざわざ付け足して言うのは、なんとなく自意識過剰な気がしてはばかられた。情けないと思ったけれど、可那子さんを抱きしめる手の震えを止められない。

 僕の肩に置かれた可那子さんの頭、その表情は分からないけれど無言の時がいつにも増して優しい。体重を僕にあずけたまま彼女がごそごそと腕を動かしたかと思ったら、一生懸命それを伸ばして僕の頭をふわっと撫でた。

「……大好き」

 どん、と心臓を拳銃で打たれたような衝撃が走る。表情豊かで少しあわてんぼうの可那子さんの、こんなに落ち着いて安心しきった声を聞けるなんて思ってもみなかった。

「大好きだよ……伝わらない?」

 そして彼女から寄せられた唇を、僕は何の抵抗もなく受け入れる。柔らかい、温かい感触。でもそう感じるのは、僕自身が異質で冷えきっているからなのではないかと思えて仕方がなかった。

「ううん、そんなことない。十分伝わった。……ありがとう」

「どうかしたの?」

「いや、聞いてみただけ。なんでもない」

 どうして、と本当は聞きたかった。

 どうしてそんなに真っ直ぐに誰かのことを想えるのか。どうして僕みたいな奴を心の底から信じきって、愛してしまえるのか。僕はどうしても分からない。分かろうとする気持ちをきっとあの日に落としてきたのだろう。

 僕は「好き」なんて信じない。それが幸せだなんて、どうしても信じられない。

「謙太くん、心臓、ドキドキしすぎだよ」

 「好き」ではなく「大好き」という言葉。二回も繰り返して言われたその言葉。

 眩しさの中に射すさらに眩しい光に、僕の心は焼けこげるように痛んだ。



 泊ってもいいのに、と引き止める可那子さんの提案をやんわりと断り、僕は電車に揺られて自分の部屋に戻った。別れ際、玄関先でまたキスをした。

「また来てねっ」

 きゅっと元気に笑ってみせたその顔で、海水にまみれて笑う左良井さんのことを思い出す。

 アパートに着いて携帯を机に置くと、新着メールを知らせるランプに気づいた。なんとなく、嫌な予感がする。

『新着メール 松山綠』

 件名は、空欄だった。

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