9. 二年生夏

9-1

 例の小包に手を触れることなく、半年弱が経っていた。四角くて分厚くてずしりと重みのある白い封筒は、まるで魔法で封印されているかのような佇まいで本棚の隅のちょうどよく空いた隙間に縮こまっていた。

 中身を開けなくても分かった、あれは写真だ。大量の写真の束だ。

 筆まめな母さんのことだから、きっとあの中にどうしてあの写真を送ってきたのか、事の詳細を綴った手紙かなにかが入っているのだろうと予想される。少しだけ、気にな……。

『頼む!』

 一人になってぼうっとしていると、どうも思考がコントロールできなくなっていけない。ちょうどいいところにメールの着信で携帯を鳴らしてくれたのは永田だった。件名が既に面倒ごとを表している。あいつらしい、と思わず苦笑した。

『今度学科のみんなでBBQやるんだけどさ、メンバーが足りない!

暇だったら来てくれ〜

P.S.可那子ちゃんくるよ!』

 文末に、手を合わせて汗を流す顔文字が添えられていた。少し考えて、気になったので聞いてみる。

『左良井さんは?』

『断られた〜』

 ……我ながら愚問だった。

『困ってるようなら僕は別に参加しても良いよ』

『まじか! 助かる〜さんきゅ!』

 文末に添えられた両手を振って喜ぶ顔文字。永田はメールでも感情豊かだ。

 左良井さんが来ないなんて聞かなくたって分かっていた。なんで聞いてしまったのか僕にも分からない。後悔とはまた違う、なんとなく重い気持ちが胸に残る。

『越路くんの事が好きになっちゃったから、言った』

「好き、か」

 可那子さんにも好きだと言われた。だからといって左良井さんが言う「好き」と可那子さんの言う「好き」が同じ形・同じ重さを持った「好き」だとは思わない。左良井さんは付き合っている人がいるけど僕の事を好きになったと言った。可那子さんはずっと僕の事を想い続けて、その末に勇気を出して気持ちを伝えてくれたのだ。

 相手の「好き」という気持ちに、いつのときも僕は置いてけぼりにされている気がする。

 気になりかけていた写真の束は、再び僕の部屋の隅で記憶から揉み消されていた。



 楽しいことのあとに待っている空気が一番、楽しい時間を台無しにするんじゃないかと思うことはしばしばある。遊びの後の帰宅、祭りの後の片付け、デートの後のシャワー。始まる前は食べきれるかどうか心配だったほどの量のの肉を豪快に焼ききり食べきったバーベキューの後のゴミは普段よりも汚く見えたし、網や鉄板は焦げや油汚れを吸ってとても重かった。

 僕らの大学は海岸線沿いに立地しているので、少し歩けばすぐに浜辺に辿り着く。少しモラルの足りない若者も出向くせいかゴミやタバコの吸い殻が多少散在しているが、大学生のボランティアが集って定期的にゴミ拾い活動をしているらしい。夏の海は穏やかで浜辺は広く、どんなにはしゃいでも足りなくて、虚しいほどだ。

 参加したのは学科の半数くらい。最初に声をかけられたときは人数が足りないとのことで、それならばと誘いに乗ったわけだが、当日が近づくにつれて参加希望者が増え、結局十五名を超える宴会となった。「人数が増えたなら僕は参加しないよ」とはもちろん言えない。それは、楽しみは人数に比例するという大学生の合い言葉に背く行為だからだ。

 左良井さんはいなかった。春休みの縦コンにもいなかったし、こういった学科の行事からは縁を切ってしまったのだろう。そもそも左良井さんはこういう学科の集まりに積極的なタイプではない。一年時の縦コンだって、先輩がいるから義理で参加したような感じだったし、そもそも左良井さんははしゃぐのが苦手なのだ。

『騒ぎわめいてる若者の顔を見るのも嫌。子どもっぽくて知性に欠けてて……隙のありすぎる顔。近づきたくもない』

 馬鹿馬鹿しいと思っていても、見ている分にはまだ愉快だと感じられる僕はだから、単純でお気楽なのかもしれない。

「楽しかったねー、またみんなでやりたい」

 この場にいない人のことを考えながら遠く海を眺めていた僕の隣に、紙コップや紙皿をまとめたゴミ袋を手に提げた可那子さんが並んできた。春からさらに伸ばした髪は右耳の下辺りに結わえられて、彼女の表情をより穏やかに見せた。少し焼けた肌に落ち着いた茶髪が女性らしさをにおわせる。

「あたしの地元、海が無いんだ。だからこうして浜辺に集まってバーベキューとか初めてなの。初めて参加したときは『え、こんな素敵なこと出来るの!?』って驚いたくらいだよ」

 生き生きとした表情はとても新鮮に映る。左良井さんがこんな風に笑うところ、一度でいいから見てみたかったかもしれない。

「それは、いい経験になったね。そんなに楽しんでもらえると僕も嬉しいよ」

 とはいえ、僕もそんなに頻繁に海に行ったことは無いんだけどね、とおどけて言うと彼女はころころと笑った。素朴に、可愛いなと思う。

「おいおい、青春してんじゃねーよー」

 並んで歩く僕らを学科の男子がはやし立てた。

「はは、わるいわるい」

 手の平を振って柔らかに否定しても、ニヤニヤと下品な笑みしか返ってこない。これが大学生か。

 可那子さんの方を伺うと、気まずそうに固く口を結んでいた。

「気にすることないよ、ああいうのは茶化すのが楽しいだけでしょ」

「うん……ごめん……」

「謝ることもない」

 素直だ、素直すぎて面白い。

「わ、笑わなくたっていいじゃん」

 思わず口元だけ笑ってしまうと、可那子さんも少しだけ笑って返してくれた。

 これからはみなそれぞれで帰宅だ。日に当たって疲れた身体は、とても二次会には耐えられないだろう。現に、誰もこの次の予定を言い出してこない。まあ、すでに大半がアルコールを入れた体だからなのかもしれないが。

 再び振り返る。すぐ近くにあるのに自ら出向こうと思わなければなかなか足を伸ばさない、大きな海が目の前に広がっている。

 その片隅に確かに見えた影が一つ。

「えっと、ごめん。みんなには先に行くよう言っといてくれる? 僕はここで解散する」

「えっ、うん……」

 可那子さんの返事を待つことはおろか、言いきるより先に身体が動く。

「あー。もう、行っちゃった……」

 寂しそうに呟いた可那子さんの声が、このときの僕に届いたはずがなかった。

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