8-3

 二ヶ月間という期間は、春休みにしては長すぎると思う。今日は年度末の慰労会というか、学科同期と先輩たちを集めたただの縦コン。

「越路くんは、お酒好きなの?」

 永田とちびちびやっているところに背後からひょこりと現れた可那子さんは、僕の隣に遠慮がちに腰を下ろした。

「好きか嫌いか分かるほど飲んではないけど、まあ嫌いじゃないかな」

「へええ、意外! えへへ、また一個、越路くんの新しいこと知れたぁ〜……」

 いくらか話した後、また来るね、と言い残して僕と永田に手を振り、女子が固まっている方に戻っていく。

「お前と可那子ちゃん……うーん、似合うような似合わないような」

「あれ。僕、永田に言ったっけ」

 可那子さんの強い要望で、学科のほとんどが僕らが付き合っていることを知らない。名前も、二人でいるときは下の名前で呼んでいるけれど、学校では以前のように名字で呼んでほしいと言われた。きっと可那子さんは学科にいづらくなることを心配しているのだろう。

 気をつけていたはずなのに、永田が唐突にそう言うから僕は少なからず驚いた。

「可那子ちゃんから直接な。男子サイドでも一人くらいは知ってる人がいた方が心強いんだとよ。……最初は俺が狙ってたのに、上手い事かっさらったなあ」

「ふうん。狙ってた割に積極的じゃなかったね」

「そりゃあれ、虎視眈た……」

「もう〜意味分かんない〜死ぬ〜」

 格好つけたような四字熟語を言いかけた永田が突然視界から消えた。

「僕たち〜メアド交換しよ〜」

 永田の首に腕を巻きつけて、勢いよくもたれかかる女の人。スキをつかれた永田は間一髪、テーブルに額を打ち付けることなく重力に耐えている。

 それにしても絵に描いたような泥酔、絡み酒である。そして知らない人だ。

「へへ〜こんな学科入るんじゃなかったって思ってない〜? こんな先輩でよければ〜よろしく〜」

 永田の手からスマートフォンを奪いあげ、自分の連絡先を勝手に入れている。

「間違えて自分のじゃないアドレス送ったりしないで下さいよ?」

「ふふ、大丈夫ですぅ〜。私、マツヤマミドリっていう名前だからね〜。ほら君も交換しよ?」

 僕の携帯もやすやすと奪われて、彼女はそのまま永田の膝の上に頭を乗せて寝てしまった。思わず永田と顔を見合わせる。

「先輩、なんだよな」

「そうだろうね」

「……膝に胸当たってんだけど」

「知らないよ」

 酒に酔えば美人も台無しらしい。うだうだと呟きながら意識を失いかけている彼女は、薔薇のように綺麗な人だった。

「んで。可那子ちゃんと、進展ある?」

 膝の上の麗しい先輩も何のその、先ほどの会話の続きをしようとする永田の滑稽さの方が際立っておもわず笑ってしまった。

「……好きが僕には分からない。でも、努力はしてる。一緒にいて楽しいと思える程度にはなった」

「左良井さんといるより楽しい?」

 僕は返答に窮する。

「楽しさは比較できるものじゃないと思ってる」

 やっとという感じで出てきた言葉は少し、力んでしまった気がした。



 飲み会はお開きになる。今夜は永田のアパートに泊まる予定だ。飲み屋を出て永田が出てくるのを待つ。向かいの道路を走る数少ない車を数える僕の肩を背後から力強く掴む手。

「君に使命を与えよう」

「はあ」

 永田の親指が指すのは飲み屋の入り口。

「可那子ちゃん、助けてあげな」

 そう言い残し永田は家路についてしまった。良い予感は微塵もしないけれど、可那子さんの名前を出されては行かないわけにもいかない。

 先ほどまでいた座敷に戻ると、畳にへたり込む女の子と、その子を囲む女の子二人がいた。

「うー……んー……」

「大丈夫? かなちゃん」

「大丈夫……立てない」

「それ大丈夫って言わない……あ、越路くん!」

「ふぇっ、謙太くんっ?」

 もう呼び方などまるで気にしていないようだ。このことに関してはあれだけ僕に念を押すほど神経質だったのに、相当酔っているらしい。

「よ、よよよ酔ってないよ大丈夫だから……」

「分かってるよ」

 大きな瞳が白黒する様子が面白い。僕はしゃがみ込んで右手を差し出す。

「でも、外が暗いから。一緒に帰ろう」

 ぽけーっとしたままの可那子さん。彼女の反応を待つのを諦め、立たせようと彼女の左手をとる。するとさっきまで可那子さんと話していた女の子が後ろの方できゃっと楽しそうな悲鳴を上げたのが聞こえた。

 可那子さんのアパートは、奇偶にも左良井さんのアパートの近くだった。ほぼ同じ道のりを、僕は一年くらい前にもこうしてあの人に肩を貸しながら歩いた。

『左良井さんといるより楽しい?』

 そんなこと、比べたところでしょうがないじゃないか。どっちといるのが楽しかろうと、左良井さんとは疎遠になったし、今僕の隣にいるのは可那子さんなのだから。左良井さんともう一度話したいという気持ちだってあるし、今は可那子さんを大切にしたいという気持ちだって本当だ。

 左良井さんと一緒にいることは確かに楽しかった。でもだからと言って可那子さんと一緒にいることが楽しくないなんてことはない。あれも本心、これも本心。本心の裏にだって本心はあると僕は思う。本心を隠すために並べる建前とは違う。二つの本心を秤にかけたときに、より現実的な本心を選んだだけのこと。

 玄関に入って靴を脱ぐのを確認して、ちゃんとベッドに寝かせる。これもまたデジャヴ。

「謙太くん、好きだよ〜……」

 枕に頭を沈めた可那子さんが唐突に呟き始めた。

「まーちゃんみたいに綺麗じゃないし、頭も良くないし、不器用だし、寂しがりやだし、人間としても全然子どもみたいけど……ずっとずっと見てたんだよ。

 謙太くんに可愛いって言われて、すっごく嬉しかったんだ。本当に本当に謙太くんと付き合ってるって信じられないくらい、今、すごく幸せ……」

 へらっと力なく笑う可那子さんの意識が、だんだん遠のいているのが見て取れた。目は空ろになり、繋いだ手に込められる力がだんだん弱くなっている。

「本当にあたしでいいのかなぁって……あたしいっつも、いっつも不安だよ」

「左良井さんは……」

 初めて出会った頃よりも少し、可那子さんの髪の毛は長くなった。指先だけでそっと触れると、茶色い髪は柔らかく僕の指の間を滑る。

「僕を嘘つき呼ばわりする、嘘つきだから。何もないよ」

 すぅ、と聞こえてくる小さな寝息。果たして僕の声は届いたのだろうか。

 淡いピンク色に染まった頬を眺めながら、僕はしばらく可那子さんの頭を撫で続けていた。

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