8-2
公園で待ち合わせなんて、ベタなようでいて洒落ていると思った。大学で会うことをやんわりと断られた代わりに、大学前駅にほど近いこの広々とした公営公園が選ばれた。遊具の少ない、ゴミ箱もない、ただ広いだけの公園。花壇を彩る花は綺麗に手入れされていて、雑草を処理したばかりなのが一目見てわかる。
鞄をベンチに座る膝の上から体の右側におろすと、ガサリと中身が鳴った。それと同時に駆け足でこちらに駆け寄る女の子が一人。今日ここに来た目的が思い出される。
「お待たせっ。ごめんね遅くなって」
「いや、まだ約束の時間の五分前だし。走らなくても良かったのに」
「越路くんいつからいたの……」
「暇だったし、天気もいいからちょっと早く出ちゃっただけ」
「ほわあ、焦っちゃったよー」
隣いい? と聞いて志摩さんはすとんと腰をおろして呼吸を整えた。
「今日はどちらまで?」
「んー。まずお昼ご飯食べて、少し本屋さんに寄りたいの。そしたら……」
この辺は都会と違って娯楽が極端に少ない。娯楽に自分からお金を投じることはほとんどしないが、楽しみを共有するためなら多少の出費は仕方ない。
「……で、映画見て、今日は終わり! 越路くんは何か用はないの?」
「ああ、忘れるところだった」
さっきから鞄の中でガサガサしていたものを取り出す。
「はい。ハッピーホワイトデー」
呆気にとられた表情が数秒フリーズした。大きな目が僕と僕が差し出したものとを見比べて、
「わああ! ありがとう!」
「僕の好みで買ったお菓子なんだけどね。お口に合いますように」
食べ物のプレゼントは、食べてしまえば何も残らない。相手の好みもわからない間柄には大変無難で優秀な贈り物だと思って、安心して選ぶことが出来た。
「大丈夫! あたし、好き嫌いの無い子だから」
ふふっと歌うように笑いながら、彼女はプレゼントをそっと鞄の中にしまった。そして、そろそろ行こっか、と弾むように立ち上がる。
並んで歩く彼女の頭は僕の肩の位置くらい。全国平均より少し低いくらいだと彼女自身言っていたような気がする。
「この間ね、友達と学科の男子の話をしてたとき、『越路くんのことってあんまりよく知らないね』って話になってね?」
そんな、ストーカーっぽい意味じゃなくってね、と両手をふりふり、明るく笑いながら彼女は話す。
「頭もいいし優しいし、全然怒らない人だよって言ったら『そりゃ知ってるし言われなくても想像つくよ』って言われちゃった」
ちらっと僕の表情を伺うようにして、彼女は言葉を濁しながら口を開く。
「あたし、みんなが知らない越路くんが知りたいなーなんて、思ったり、思わなかったり?」
みんなが知らない僕、か。
大学に入学して一年が経とうとしていた。まだ話したこともないような人もいれば、永田や左良井さん、そして志摩さんのように他の人と比べて一緒に過ごす時間が多くなってきた人もいる。そして僕の過去を知ろうとしたのは、志摩さんが初めてではなかった。
『なあ越路、お前昔なんかあったのか——』
ぐつぐつ煮える鍋の音がよみがえったような気がした。
「あ、ごめんなさい。なんかわがままみたいになっちゃったよね……気にしないで」
「いや別に。ただ僕から話すのは少し難しいから、聞きたい事があったらいつでも聞いていいよ」
永田との会話、そしてそれからあった様々な出来事を思い出していたら、会話が止まってしまっていた。僕がにこりと笑ってみせると、志摩さんは心から安心したように口元を緩めた。
そのまま街に向かって志摩さんと二人で歩いていく。空気は冷えていても、町並みが春を呼ぶような淡い彩りに包まれている。
いつからかまでは定かでないけれど、志摩さんが僕に好意を寄せていることは、鈍な僕でも気づいていた。
『あの……あ、あたしに言われても嬉しくないと思うけどっ……』
今日からちょうど一ヶ月前の二月十四日。紙袋を両手に教室に入ってきた永田が男子たちから全身にブーイングを浴びた日。実は僕も一つ、洋菓子を貰っていた。
『好き、です……。もし、その、あたしみたいなので良かったら……その……』
綺麗にラッピングされていて開けるまでは中身が分からなかったが、甘い香りのする袋だった。それにシンプルな装丁の手帳が添えられていた。潤んだ瞳は今までに見たことがないほどに真剣で真っ直ぐで、僕は少なからず圧倒された。
「あたしが聞きたいことかぁ……うーん」
「可那子さんの気持ちに応えられるなら、僕は嬉しいと思う。わがままでもそうでなくても、なんでも言ってくれて構わないよ」
「えー? なんでも?」
「可那子さんが常識はずれなことを言うとは思わないし」
『もしもし、可那子さん?』
『あ、はい! 志摩です』
『いいよ』
『えっ?』
『二月十四日の返事。あれ、付き合おうっていう話じゃなかったかな』
『そ、そそ、そうです、そうなんだけど……』
可那子さんの気持ちは、どこを切り取っても真っ直ぐだった。真っ直ぐで、分かりやすくて、とても楽だと思った。
「んー、聞いておいて変だけど、今は思いつかないや。というか、言葉で聞いて分かるようなことが知りたいんじゃないの」
「言葉で聞いても分からないことが知りたいの?」
『ど、どうして泣くの』
『ごめんなさい……絶対断られると思って、迷惑だったかなとか言わなきゃよかったとか考えてたから、信じられないくらい嬉しくて……』
「うん、そうそう。極端な話、例えば越路くんが何を好きかは——どうでもいいっていうと嘘になるけど——そんなに重要じゃないの。好きなものを目の前にした時にどんな表情でどんなことを語ってくれるのか、そっちの方が知りたいと思うな」
あたしだけかもしれないけどねっ、と顔の前でまた手をブンブンと振って可那子さんははにかんだ。
「あっ、聞きたいことじゃないんだけど……お願い一個、いい?」
うつむいた顔の前でもぞもぞと両手の指を合わせながら、小さい声で志摩さんは呟く。
「『越路くん』じゃなくて、その、下の名前で、呼びたい……なーって……」
「いいよ、可那子さん」
「……!」
表情も瞳もこんなに輝かせて、彼女はどうしてこんな些細なことで喜んでくれるんだろうと考えたら、僕は過ぎ去ってしまいそうな冬を寂しく思った。
「あ、ありがと! こし、じゃなくてっ。……け、謙太くん!」
「はは、無理して呼ばなくても」
「うう……少しずつ慣れる……」
冬が去るということは、当然ながら春が来るということ。
春が来るということは、また一年が頭出しで繰り返されるということなのに。
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