6-2
帰り道。さっきの話だけど、と志摩さんが首をかしげた。
「越路くんは、海外に行ったことがあるの?」
「いいや、ないよ」
「じゃあ、越路くんの知ってる寒いところってどこ?」
僕は少し考えるための時間をもらった。言葉を頭の中でまとめおえて、僕は口を開く。
「とりあえず、一人暮らしよりも周りに人がいる場所だったね。あと、明るくて眩しいくらいだった」
志摩さんは、よく分からないという顔をする。まあ、わからないようにオブラートに包んでいるのだから当然の反応だろう。
「元々は温かい場所だったんだ。だから激しい温度差で寒く感じたのかもしれないね」
ふうん、と軽い相槌をうって、志摩さんは少し俯いたまましばらく静かに歩いていた。僕は好奇心の赴くままに尋ねてみた。
「志摩さんは、嘘つく?」
「そりゃ、まー……」
歯切れ悪く、にへらと笑って志摩さんはそう答えた。僕は質問を続ける。
「嘘で人を守る事って出来るかな」
志摩さんが目を見開いたのと、ぴくっと歩調が一瞬乱れたのは同時だった。
「わかんない……でも、完璧な嘘なんてないんだから、守りたい人を完全には守れない気がするよ」
「どうしてそんな変な事聞くの?」と笑ってくれたら。そう期待していた自分に気づく。でもそれと同じくらい僕は、彼女が次に発する言葉も期待していた。
「それに、自分を隠すのは苦手だな」
「じゃあ例えば、ね。僕に彼女がいるとして、僕は自分に彼女がいるだなんて誰にも一言も言った事がない。つまり、僕は自分を『隠して』いる。これは嘘になるのかな」
「彼女、いるの……?」
「例えばだよ」
にこりと笑ってみせると、志摩さんは丸めた両目をほっと細めた。
「うーん、それは嘘じゃないと思う。言ってくれたら嬉しいと思うけど、うーん」
「嬉しいの?」
「嬉しいよ! だって、そういうのって誰にでも言う事じゃないでしょ? それをちゃんと越路くんの口から聞けるってことは、それだけ信頼してもらってるっていうか……」
午後八時の暗闇に強く輝く志摩さんの瞳が、不思議で仕方なくて、面白かった。
「志摩さんは、すごく真っ直ぐに育ったんだね」
「やだ、なにその言い方。笑わないでってばー」
悪意のない純粋さに、僕は嫌気がさしていたはずだった。それなのにどうして、彼女の一言一言に心が躍る。
「嘘に守られる必要もなく、強く育ったんだねってことだよ」
僕のその一言に、志摩さんは僕からふっと目をそらして前髪に手をやった。
「嘘なんて、つかなくていいじゃん……?」
きゅっと絞るように出された声なのに、どうしてこんなにも透き通っているのだろう?
「嘘をつかない方が楽しく笑えるよ。泣きたいときに泣いた方が心はすっごく楽だよ……きっと」
僕はいまだに楽しい気分が続いていたけれど、彼女の表情を見てそれを今表に出すのは得策でないと判断した。
「勘違いさせちゃったかな。僕は別に嘘をついて生きてるわけじゃないよ。僕はこのままありのまま」
両手を広げ、肩をすくめてみせる。
「それに、僕は泣かないし……」
心の底から笑う事もしない。
「泣かない事が辛いと思った事はないよ」
そもそも辛いなんて僕は思ったりしないから。
大学前を横切る大通りはいつの間にか終端を見せ、僕は駅へと、志摩さんは脇道の先のアパートへと歩みを進める事になる。
「貴重なご意見をありがとう。楽しかったよ。じゃあ、またね」
面倒ごとは全部未来に投げてしまえばいい。未来は確実で、それでいて曖昧だ。よく考えたら、人間らしく生きる事を直接的に求められたことなんて一度もないのである。それは僕を育てた両親にだって、一度たりとも。
「今日の越路くん、なんか怖かったな……」
志摩さんは半身を返し、遠ざかる小さな僕の背中を見つめる。
「確かに言ってくれたら嬉しいと思うけど……」
彼女いない方が私は一番嬉しいんだけどな、と呟いた志摩さんの声が僕に届くことはなかった。
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