5-2

 日差しが強いせいで窓際の席は人気がなかった。月々の電気代に一喜一憂するこの季節、ここぞとばかりに誰かがクーラーの設定温度を下げる。九十分間の試験が終わる頃には、二の腕が少しひんやりとしていた。

「そこまで。裏返して後ろから集めてー」

 来週の頭で試験期間が終わる。今日は専門の講義しかない金曜日。

「最終レポートは締切ちゃんと守って、時間にゆとりを持って出そうね。それじゃあ楽しい夏休みを」

 講義が終わる直前、教授が出席簿をざっと眺めてあれっとこぼした。

「サライさんって、今日欠席だったんかい?」

 専門科目の講義は少人数だから、教授によってはフレンドリーに接してくれることもある。ひそひそ、と女子が振り返りながら聞き合って、「今日は欠席みたいです、特に聞いてはないんですけど……」と自信なさげに答えた。

 左良井さんはその日全ての講義を欠席していた。

 試験を休むのは、寝坊した人と試験を諦めている人くらいだ。そのどちらにも左良井さんは属していないはずだと思っていた。

 越路、と呼ぶ声は永田のもの。

「晩飯どっか食いにいかね? 今日なんか作るのめんどいわ。明日土曜だし車もあるから遠出も出来るぞ」

 確かに空腹感がある。時計を確認すると、一八時を回ろうとしていた。

「僕は大丈夫だよ、どこでもいい」

「じゃー……ちょっと探すか」

 この地に移ってから三ヶ月、この辺りに居を構えているわけではない僕は、大学周辺の食事どころをほとんど知らない。慣れた手つきでスマートフォンを操作し手頃な店を検索している永田が、いかにも大学生らしいように見えた。少なくとも自分と同じ時代を生きてきて、今同じ空間を共有しているとは到底信じがたいように思えた。

 僕はこの眩しすぎるくらいの青春が詰まった空間で、ただひっそりのうのうと過ごせればそれでよかった。好かれることは嫌われること以上に面倒で、それゆえに最低限の興味しか持つことができない。白黒はっきりとつけず、白でも黒でもない曖昧な線を確かにつけて、適切な距離を測って生きていく。

 僕は、そうして生きていかなければいけない人間なのだ。

「越路くん」

 荷物をまとめ終え永田の返答をぼんやりと待っていたところ、再び名前を呼ばれた。明るい茶髪のショートカットに大きい目を覗かせた女の子。

「あ、あたしの名前わかる?」

「さすがにもう分かるよ、志摩可那子さん」

 よかったぁ、と胸を撫で下ろす仕草。それから一秒ほど空いた後、早速本題とばかりに、

「まーちゃんから今日欠席するって聞いてた?」

 と聞かれた。まーちゃんとはもちろん、左良井さんのことだ。

「いや、聞いてなかったなあ。そもそも連絡先交換してないし」

 何の気なしに答えたそれに、志摩さんは食いついた。

「え、そうなの? あんなに仲いいのに?」

「大学で会う以外に用がないから」

「そう、なんだ」

 呆気にとられた、とはこのことだろうなと彼女の反応を見て思った。そして僕と左良井さんの関係は当然のごとく親密だと思われているのもよく分かった。

「じゃあ、あのっ……」

 大きな黒目がフルフルとせわしなく動く。ほどなくして視線は行き場を失ったようで、しょんぼりとうつむいて志摩さんは言った。

「えっと、用がなかったら、メアドって聞けないのかな……?」

「あ、僕の?」

 こくこく、と頷く。固く目をつむっているのが、いかにも必死だと言っていた。

「……じゃあまず僕から赤外線で送るから」

「えっ、あ、うん!」

 あっ、間違えたっ、などと言いながら慌ててデータ受信の準備をする志摩さん。端末を数秒かざせば、僕の個人情報が見えない光で流れていく。

「……うん、登録しました! じゃああとでメール送りますっ。ありがと!」

 お邪魔してごめんなさいっ、と小さく一礼して彼女はその場をあとにした。

「ひゅーう、越路くんモテモテですな。俺なんて眼中に無かったっぽいぞ?」

 久しぶりに見る自分の個人データを眺める僕に、ニヤニヤと笑いかける永田。

「『メアド聞いていいか』って聞かれてイエスでもノーでもなく『じゃあこっちから送るよ』って、お前なかなかやるじゃん? 俺も言ってみてーわ」

 視界の向こうの女子グループに混ざった志摩さんと僕とをにんまりと見比べて、可那子ちゃんかわいいなーと肘で突いてくる。鬱陶しい。

「一人と連絡先交換したくらいでモテ称号ってのは、少しハードル低くないか」

 押し付けられた肘を押し返し、反論する。というか、彼女の本来の用件は左良井さんの欠席の理由を知ることだ。僕の連絡先はおまけみたいなものだろう。

「にしてもさあ、用がないからメアド知らないってのは今時通用しないんじゃないの? ま、不必要に連絡先をばらまくよりいいけどさ。

 ……じゃ今夜の飯ここな。あと、俺もメアド知っておきたいから教えて」

 夕飯の場所も、連絡先を教えるのも問題なかった。先ほどまでの情報送信画面を変えること無く、ボタン一つで永田の端末にも僕のメアドが送られた。

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