2. 新入生歓迎会

2-1

 暗い個室にほのかな明かりが一つ、二つ、三つ。緊張と期待がないまぜになった表情がその照明にぼんやりと浮かびあがる。

「みなさん準備はよろしいでしょうか」

 年長者がスッと立ち上がり、片手を高く掲げた。

「それでは僭越ながら。新入生の入学を祝して……乾杯!」

 僕たち新入生はほとんどが未成年だというのに、そんなことはお構いなしに学科内での歓迎会は大学付近の居酒屋で開かれた。縦割りコンパ、通称縦コン。噂では、最初の縦コンでそこまで盛り上がりを見せることはないと聞いてはいたが、

「生ビールとカシオレ追加で」

「あ、カシスピーチもお願いね!」

「もっと飲もうよー。はい、グラス貸してね」

「〇〇が飲むぞー!」

 ……所詮噂は噂でしかなかった。まあ、隅で静かに飲んでる人もいないわけではない。一年生よりはむしろ、歓迎している先輩方のペースの方がかなり早い。僕も何回か先輩に酌をしていただきそうになったが、ゆっくりと味わう振りをしてコップを空けなかったのでほとんど飲んでいない。

 彼女はどうだろう……? 視線だけで左良井さんの姿を探す。座席はくじ引きで決まっていて、左良井さんは一番盛り上がっているテーブルにかしこまって座っていた。

「どこから来たの?」

 一杯注がれる。

「どうしてこの学科にしたの?」

 話しているうちにコップが空いた。

「楽しくなさそうだね……あ、そうでもない? よかったぁ」

 そしてまた注がれている。ペースが早い。ソフトドリンクでもあのペースはない。大丈夫だろうか。

 皆はもう座席など気にせず適当な座布団を捕まえて歓談している。交流というよりは、言葉が室内を乱舞しているようにしか僕には見えなかったが。

 左良井さんはどこかこの世と自分を毛嫌いする節があるが、何より生真面目だ。きっと先輩の酌を断れないで何回もグラスを空けて、空けては次の一杯を注がれているのだろう。

(ああ、もう)

 酌なんか断ってこっちにくればいいのに。

 少し心配になったので、僕の方から彼女の様子を伺いにいった。男性陣とか女性陣とか、そんな線引きはもうこの部屋の中に存在しない。誰がどこのテーブルにいようがどこのテーブルに移動しようが、みんなの関心は部屋中に散らばって、少なくとも僕にはぶつからない。

「景気よく飲んでるね、左良井さん」

 彼女がゆっくりと振り返る。全体の動作が緩慢だ。

「……ああ、越路くん?」

 照明でよく分からないが、彼女の顔がほのかに赤い。もとが色白だからその赤みはよく目立つ。

「そんなに飲んでないわ。それに私、弱くないから」

 言いながら、彼女の手にあったコップからサイダーのような酒が僕の足下にびしゃっとこぼれた。

「ほら、十分酔ってるから。酌は断っても無礼じゃないんだよ」

「私が礼にこだわるような人間に見える?」

「そんなの知らないよ。でも少なくとも普段なら、好んで嫌われようと思ってはいないでしょ」

 図書館での一件を思い出しながら、僕は指摘する。アルコールの力でのぞかせていた、普段の彼女からは見られない軽い微笑みが、僕のその言葉で消えた。

「……普段の私って、何よ」

 彼女はそれ以上言葉を紡がなかった。僕が床にぶちまけられた透明な液体をお絞りで拭いている間、彼女はそのグラスをクイッと空けた。

 宴会がお開きになると、二次会に行きたい者の招集がかかった。男子はほぼ全員参加、中には女性も多くいた。僕はもともと付き合い程度で終わろうと考えていたし、何よりも左良井さんの足下がおぼつかないのがとても気になる。とても二次会に行こうなんていう気にはなれなかった。

「危ないよ、左良井さん」

 僕は彼女に肩を貸すことを提案すると、彼女はその肩をどんと押してそれを拒否した。

「酔ってない。立てるってばぁ」

 そう言ってる傍から膝ががくっと崩れ落ちて彼女は店から出るなり外のアスファルトにうずくまる。

「酔ってるし、立ててもないじゃないか。玄関まで送るから、今日はもう帰ろうよ」

 彼女のことが気になってしょうがない僕がいる。入学式のときに見た彼女の横顔が、彼女の振る舞いが、僕の興味をクリティカルにつついたという事実は確かだった。僕の肩につかまって歩く彼女の足取りは、しっかり固まっているはずのアスファルトの上で不安定に踊る。

「どこなの? もうすぐなの?」

 僕の質問にはいっさい答えてくれない。「真っ直ぐ」「そこ右」という風に必要最小限のことだけ喋って、それだけ。

 思い起こせば早いもので、入学式からもう二ヶ月が経とうとしている。この辺は六月になってもまだ長袖でいられる気候だ。しかし人に肩を貸しながら少し距離を歩けばさすがに、その運動とその人の体温とで汗がにじんでくる。

 ようやく部屋の前に着いた。何度も鍵の向きを間違えるような怪しい手つきで彼女が鍵を開ける。扉をくぐると、彼女は靴も脱がずに廊下に倒れこんでしまった。

「ちょっ……せめてベッドで寝てよ、ね?」

 半ば呆れて僕は彼女をたしなめる。

「……気持ち悪い」

「え?」

「吐きそう」

「え」

 僕はそこが女の子の部屋だということも忘れ、トイレを探して扉という扉を開いた。所詮一人暮らしの大学生向けアパート、そういくつも扉はなかったけれど、クローゼットの扉を開けてしまったあたり僕も相当慌てていたのか、多少は酔っていたのかもしれない。

 暗い廊下で、手探りで明かりのスイッチを探す。

 彼女を再び肩に担ぐと、うっ、と彼女がうめいた。

「左良井さん、トイレ行くまでは我慢してね!」

 なんで僕はここまでこの人を介抱しているのだろう。トイレに辿り着いた途端苦しそうに咳き込む彼女の背中をさすりながら、酔いと共にそんな疑問が頭の中をぐるぐると巡る。

「水……」

 そう呟いて僕を見つめた彼女の苦しそうな瞳が、図らずも僕を真っ直ぐに捉えた。僕の心はその視線に、不安とは少し違う感覚でざわめき、何か冷たいものが僕の背筋を上から下へ走った。そんな心境を悟られまいと、僕はキッチンを目指して部屋の奥に小走りで向かう。奥に進むと、彼女の香りがいっそう強くなった。これは、女の子の香りだ。

 流しの脇に逆さに置かれたコップを掴み取り、そこに流水を注ぐ。急いで戻ると、彼女は一旦収まった嘔吐感をなだめるかのように呼吸を整えていた。

「……ありがと」

 コップを受け取るときにそう呟いた声の弱々しさ。

 一口飲んで一息入れる。たまに吐き戻したりもしたけれど、ゆっくり時間をかけて彼女はコップ一杯を飲みきった。

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