三章(2)


             3-2


「まったく。お前という男は、どうして、いつもそうなのだ?」

「だから、悪かったって。何度も言っているだろうが」

「誠意が感じられないんだよ。お前の『悪かった』は」

「どう言えばいいんだ。仕様がないだろう、不可抗力なんだから」

「ほら、みろ。悪いなんて、全然思っていないじゃないか」

「それは言いがかりだ、トゥグス。おれにどうして欲しかったのだ。あのまま、タオと一緒に、お前のユルテ(移動式住居)で蒸し焼きになれば良かったのか?」

「そこまでは言っていない」

「言っているようなものだろう。先刻からの、お前の口ぶりだと」

「誤解するな。俺が言いたいのは――」

「あのう、兄者――」

「うるさい」


 俺とタオは、ほぼ同時に言葉を呑んだ。敷布の上に枕だけを置き、直接そこに寝ていたディオが、業を煮やして遮ったのだ。

 うつぶせに長身を投げ出し、枕に顔をつっこんでいたディオは、じろりと俺達を睨みつけた。疲労のあまり、切れ長の眼がますます細くなっている。陰を宿す碧眼と、低い声の迫力は変わらなかった。


「……いい加減にしてくれ、トゥグス。ジョクも。いつまでもそんなことを言っても、仕方がないだろう。それ以上ぐだぐだぬかすなら、二人とも蹴り出すぞ。」


 そう言うと、(台詞の途中から)再び枕に顔を沈め、眠り込んでしまった。――無理もない。本当に、くたくたなのだ。

 ディオに蹴られては敵わないので、俺とジョクは、顔を見合わせた。

 ジョクは軽く肩をすくめ、俺に片手を差し出した。


「……悪かった、本当に。そこまで余裕がなかったんだ。お前の持ち物を、勝手にかきまわして良いかと迷ったし……。まさか、すぐに燃やされるとは思っていなかったのだ。ごめん」

「俺の方こそ、女々めめしかった。本当は、俺がお前を助けなければならなかったのに。済まなかった」

「いや……」

「お前が、無事で良かったよ」


 俺たちは、小声で詫びを述べあった。

 寝台に半身を起したジョクと、絨毯の上に胡座を組んだ俺は、寝ているディオの上で、握手を交わした。ジョクの手は、俺が力をこめると砕けてしまいそうに華奢だった。それから、タオが煎れてくれた乳茶スーチーを口に運ぶ。

 俺達の言い合いをどうなることかと見守っていた少女は、ホッとして微笑んだ。


 俺達は、ディオのユルテ(移動式住居)に入れてもらっている。

 話が前後して、申し訳ない。――結局、タァハル族と離れ者カザックを撃退するのに、二昼夜かかってしまった。それで、ディオは疲れ果てているのだ。

 歩兵や俺たち重騎兵は交代で休めるが、ディオやアラルのように最前線を走る軽騎兵は、休むことが出来ない。更に、ディオはいまや、軍団の総指揮を盟主より任されている。

 二日間、ディオは徹夜で、殆ど食事もせずに駆け回っていたのだ。綿のように疲れきっているのは、当然と言えた。

 おまけに、それだけで事は終わらなかった。


 オルドウは守り抜いたが、全く被害を受けずにいられたわけではない。百数十人のタァハル族の兵士とカザックを殺したが、こちらも、五十余名の死者と百人近い負傷者を出した。

 二十棟のユルテ(移動式住居)を焼失し、馬と羊を数百頭うばわれた。俺も、ユルテを燃やされた。

 戦えない女や子ども達、ジョクを始めとする病人や老人達に被害が無かったのは、不幸中の幸いだった。こういう結果を招いた原因が、俺たち指導者階級の者に無かったかどうかは、当然、追求されなければならない。

 かくして。戦闘終了と同時に長老会が召集され、俺達は、休む間もなく吊るし上げられることになった。――作戦に不備はなかったか。行動にうつす段階に、過ちは無かったか。(必要なことと承知しているが、毎度、戦いもしない連中に言われるのは、反発を覚える。)

 息子とはいえ、こういうことには容赦のない盟主・メルゲン・バガトルに、ディオは初動の遅れを指摘され、それを認めた為に、五日間の謹慎を命じられた。俺も、三日間――。


 騒ぎに一段落がつき、俺達が長老達から解放されたのは、戦闘開始から三日目の日が暮れる頃だった。



 枕を抱えて死んだように眠るディオの黒髪を、ジョクは、いとおしげに撫でた。ユルテに戻ってから半日、食事もせず、ディオは眠り続けている。

 俺も疲れていたが、帰るユルテを燃やされてしまったので、仕方なくここへ来た。無事に逃げて来たジョクが、自分の書とディオの剣と馬頭琴モリン・フールしか持ち出していなかったと聴いて、つい愚痴を言ってしまったのだ。

乳茶スーチーだけでなく馬乳酒クミスを温めてくれながら、タオは申し訳なさそうに言った。


「済まない、兄者。私ひとりの力ではシルカスの兄上を助けるのがやっととはいえ、気がまわらなかったのは確かだ。申し訳ない」

「もういいよ、タオ。俺が悪かった。――あの状況では、仕方がない。この話をするのは、もう止めよう。お前にまで言われると、情けなくなってくる」


 などと、俺達が互いに慰め合っていると。眠っていたディオが、むくりと頭を持ち上げた。ジョクが息をとめ、片手を引っ込める。

 ディオは、今度はすぐに突っ伏してしまわず、眉間に皺を刻み、重い瞼をこじ開けようとした。


「……タオ?」


 ジョクが案じる。


「大丈夫か、ディオ」

「何故、お前がここに居るんだ?」


 よほど気に懸かったのか。ディオは、半眼でタオを見据えた。呂律が回っていない。

 俺は、ジョクと顔を見合わせた。寝ぼけた奴が何を言おうとしているのか、咄嗟に判らなかった。

 ジョクが、穏やかに説明した。


「おれを、連れて来てくれたのだ」


 俺も口添えした。


「寝ぼけているのか、ディオ。俺達の世話をする為に、来てくれたんだろうが」

「何だと?」


 ディオは、納得出来ないらしい。タオは、はにかむように微笑んだ。

 この娘は、兄をこの上なく慕っている。そうでなくとも、ディオは、自分のユルテに従者ハランを寄せつけない。奴がこの調子では、俺や、ましてジョクの世話が滞るのは、明白だった。

 しかし、ディオはちらりと天窓を仰ぎ、濁った声で言った。


「……子供が出歩く時間じゃないぞ」

「おい、ディオ」

「兄上」

「俺は頼んだ覚えは無い。他人に勝手に入られるのは、不愉快だ。帰れ、タオ」

「そんな……!」


 タオが絶句し、俺達は、息を呑んだ。

 ディオの機嫌が悪いのは解るが、普段こんなことを言う奴ではない。まして、タオに……。それが、意外だった。


「兄上!」

「うるさい。さっさと帰れ。……父上と母上が、心配する」

「なら、兄上も一緒だ」


 今度の口調は(先刻の台詞を、反省したのだろう)幾分やわらかだったが、タオの気持ちは収まらなかった。兄と同じ新緑の瞳が燃えている。溜まりに溜まった思いを吐き出すように、少女は言い返した。


「何?」

「兄上も一緒でなければ、帰らない。あそこは、私と父上の家であると同時に、兄上の家でもあるはずだ。兄上の、父上と母上……なのに、心配しておられぬとお思いか」

「…………」

「何故、帰って来て下さらぬのだ?」

「タオ――」


 間を取り成そうとするジョクを、俺は、身振りで制した。タオは知らない。メルゲン叔父とディオが教えようとしない限り、俺達が、口を出すべきではない。

 それは、ジョクも判っている。だが、俺は、『知って』いたのだ。


「何故、一度も顔を見せに来て下さらぬのだ? 戦闘が終った時にさえ。私達が、どれだけ心配していると思っている。来る日も来る日も、母上は、待っておられるというのに」

「…………」

「何故、使者の一人も寄越して下さらぬのだ。毎日、母上が、どれだけ兄上の身を案じておられるか、御存知ないはずはなかろう? 兄上がいつ帰ってこられるだろうか、いつ会えるだろうかと。それだけを楽しみに過ごしておられるというのに。母上が、可哀想だ」

「…………」


『本当か?』 ジョクが俺に、口の動きだけで訊いた。俺は、頷き返す。そうだ――『ディオも、知っている。』


 エゲテイは、ディオを待っている。病んでいても、息子と娘が居ることは忘れていない。母として、我が子をいとおしむ気持ちも。いつも、いつまでも、成長した息子に会える日を待っている。ただ、タオは知らないのだ。

 エゲテイの待つディオが、このディオではない、ということを。


 ……すっかり目が醒めてしまったらしい。ディオは、底光りのする瞳でタオを見詰めていた。

 少女は、悲しげに眉を曇らせた。


「父上が、お可哀想だ。いつも淋しそうにしておられる……。何故私達は、一度として、家族らしい時を持てぬのだ?」

「…………」

「兄上が来て下さらぬから、私が来たのだ。心配なら、母上と父上の方が来れば良い。何事にせよ、このような状態の兄上を、放っておけるか」

「……帰れ」


 ディオは舌打ちし、タオに横顔を向け言い捨てた。地を這う声で、繰り返す。


「帰れ、タオ」

「嫌だ」

「……放り出すぞ」

「やれるものなら、やってみると良い。私は、もう子供ではない。自分のことは、自分で決める」


 ディオの眼が、糸のように細められ、眼光が鋭さを増した。あまり、いい風向きではないよなあ、これは。

 兄妹喧嘩に発展するのを防ごうと、ジョクが口を挟んだ。


「タオ。ディオは疲れているのだから、そう、我を張るものではない。ディオも……おれが、従者に言って送らせるから。そう殺気立つな」


 俺も、なだめる方に参加した。


「ジョクの言う通りだ、ディオ。お前、今夜はどうかしているぞ。タオなら俺が送って行ってやるから、頭を冷やせ。……タオもだ。言いたいことは判るが、今はそれを持ち出すべきではない」

「でも――」

「相手の立場を考えられないうちは、大人ではないな。ディオの立場を考えろ。……疲れていると判っているのなら、思い遣るべきだ。好意は判るが、無理強いしてどうする」


 少女は、しゅんとこうべを垂れた。


 俺はタオ一人に言ったつもりだったが、ディオはそう受け取らなかったらしい。不審げに、決まり悪そうに、俺を見た。『俺は、そこまで言っていないぞ。』と、その目は語っていた。

 『無理強い』という言葉が効いたらしく、タオは、おどおどと視線を彷徨わせた。


「そうなのか? 兄上」


 ディオも俺達も、少女にどう言ってやればいいか迷った。その時だ。


「族長」


 扉を叩く音がして、控えめな声が入って来た。アラルだ。

 シルカス族の若きミンガン(将軍)は、俺たち三氏族長が揃っているのを見ると、真っ直ぐな黒髪を揺らして跪いた。


「ビルゲ、オルクト様も、こちらでしたか」

「何用だ? アラル」


 ディオに話をする気が無さそうなので、直接の主人であるジョクが応えた。


「身体は大丈夫か?」

「ラー、お陰さまで……。シルカス・ジョク・ビルゲ、盟主トグル・メルゲン・バガトルが、お呼びです」

「おれを?」

「父上が?」


 タオが怪訝そうに呟いた。確かに、珍しい。

 ジョクは賢者の称号を受けてはいるが、事実上、族長の役割はアラルと長老達が代行している。殆どユルテ(移動式住居)から出ることのないジョクを、盟主が呼び出すとは。しかも、こんな夜更けに。

 ジョクも理由を思いつけないらしく、首を傾げた。


「それは良いが。お前、一人で来たのか? アラル」

「ラー」

「……おれは、もう歩けないぞ」


 ディオが、普段の醒めた態度に戻って口をはさんだ。声には、鋼の意志の響きがあった。


葦毛ボルテを貸そう。乗って行け、ジョク。……アラル、手を貸して遣れ」

「かしこまりました」

「ラーシャム(ありがとう)、ディオ」


 ジョクが礼を言うと、寝台に近付くアラルに道を開けながら、ディオは肩をすくめた。


「別に。いつもの、親父の気まぐれだ。こちらこそ、迷惑を掛ける……。迷惑ついでに、こいつを送ってやってくれると、有り難い」

「タオを?」

「兄上!」


 アラルは、痩せたジョクの身体を軽々と抱き上げて、戸口へと運んだ。タオは抗議の声を上げたが、聞き入れられなかった。


「アラル」

「……承りました」

「ちょっと待て。どうしてそういうことになるのだ。私は嫌だと言っている……兄上?」


 ディオはタオの抗議を面倒そうに聞いていたが、急に立ち上がると、妹の腰を抱きかかえ、ひょいと肩に担ぎ上げた。(奴にこんな力があったとは、知らなかった。)目を丸くして暴れるタオには構わずに、そのままユルテから運び出す。

 これには、俺も驚いた。ジョクとアラルも、唖然とした。


「……そういう策があったか」

「兄上? 兄上! やめて下され。降ろして下され! ちょっと……きゃあっ!」


 ディオは、タオを表に降ろす(落とす?)と、問答無用だと言わんばかりに面前で扉をばたんと閉めてしまった。閂まで挿して戻って来る。

 外では、ジョクの笑声とタオの抗議の声がしばらく続いていたが、やがて、諦めたらしく静かになった。



 俺は、胡座を組んだまま、ディオを見上げた。奴は、終始無言で――ジョクが出掛けたので寝台は空になったのだが、そこに上がろうとはせず――絨毯の上の枕をかるく叩いて形を整えると、先刻と同じように、ごろんと横たわった。眉間には、深い皺が刻まれている。毛布代わりの外套を肩先まで引き寄せ、眠ろうと眼を閉じたが、俺の視線に気付いて瞼を開けた。


「お前の言う通りだ、トゥグス。……どうかしている」

「判っているなら、いいんだよ……」


 囁くようなディオの台詞に、俺はホッとした。いつものディオに戻っている。

 奴は、いったん眼を閉じたが、どうやら完全に醒めてしまったらしく、当惑気味に瞬きを繰り返した。

 俺は、馬乳酒クミスを温めてやることにした。


「……差し出がましいとは、思うが」

「いや」

「いつまでも、隠しおおせることではなかろう」


 酒を受けとる為に身を起したディオは、冴えた瞳で俺を見詰め、弱々しく唇を歪めた。


「素直ではないな、トゥグス。俺の遣り方が気に入らぬなら、そう言え」

「済まない」

「いや。……ラーシャム」

「……そうだな。『他人』呼ばわりすることはないと思うな、俺は。タオの奴、傷付いたぞ」


 杯に唇をつけながら、ディオは考えこんだ。鮮やかな碧眼の奥に、くらい陰が揺れている。宙を見詰めたまま、独語のように答えた。


「そうだな。だが、他人だ――」

「ディオ」

「他人だよ」


 俺は咎めたが、ディオは肩をすくめた。


「あいつに、俺の気持ちを解れとは言わない。俺も、理解したくない。それでいい、と思っている」

「……それは、メルゲン叔父も、同じ考えだということか?」

「さあな」


 俺はぞっとした。ディオは、さらりと答えた。


「親父が何を考えているのか、俺には、よく判らない。そんなことを、話したこともない」


 この親子は――。


 そう思った俺の気持ちが、顔に表れたのだろう。ディオは、投げやりな苦笑を浮かべた。


「ラーシャム(有難う)、トゥグス。心配してくれて、感謝する。だが、タオの気持ちがどうあれ、こわれてしまったものを今さら無理に繋ぎ合わせても、仕様が無い。――というのが、俺の考えだ。おそらく、親父も同じ事を言うだろう」

「……こわれてしまっているのか?」

「こわれているだろう?」


 ディオの口調は、信じられないほど平静だった。自嘲も嫌味もない。


「エゲテイは……。あの女の世界に、既に俺は存在していない。無理に入ろうとすれば、傷つけるだけだ。タオも、お前達も。それで、親父の立場で、あの女と俺のどちらを守るかと問われれば――俺ならば、あの女を択る。親父が正しい」

「…………」

「俺は一人でも生きて行くことが出来るが、タオとあの女には、出来ないからだ。生涯、出来ぬだろう……。そうしてあの女を選んだ以上、俺に『入れ』と言うべきではない。それは、タオも同じだ」


 しかし――俺は、言いたくて言えなかった。そのせいで置き去りにされたディオは、どうなるのだ? こわされた、ディオの世界は。

 一人で生きて行くことを強要された奴の心に、歪みはないのか?

 ディオも承知しているようだった。俺の表情を見て、曖昧に唇を歪めた。


「ラーシャム、トゥグス。だが、教えれば、タオは、俺と同じ苦痛を心に負わなくてはならなくなる。親父と同じ矛盾を……。今は苦しくとも、その方がマシだと、俺は思えるのだ」

「……メルゲン叔父とお前が、叔母上を大事にしてくれていることは、知っている。感謝している」

「俺は、何もしていないぞ」


 吐息まじりに俺が言うと、ディオは、悪戯っぽく片方の眉を跳ね上げた。杯を俺に返して、再び外套の中へもぐり込む。

 俺は囁いた。


「一つ、教えてくれないか」

「何だ、改まって」

「お前達……。他の女を娶りもせずに、叔父上は、エゲテイとタオを守ってくれているが……。お前も叔父上も、あのように変わってしまった叔母上を、愛しているのか? 愛せるのか? ここまでお前達を苦しめた、女を」


 俺の問いに、ディオは横になったまま、細い眼を大きく見開いた。余程、驚いたらしい。鮮緑色の瞳を過ぎった閃きに、それが察せられた。

 まじまじと、くい入るように俺を見詰め、奴は茫然と呟いた。


「……そう言えば。考えたことも無かったな……」






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