第11話 フォワードスリップ

 ふわりと舞い上がろうとする旅客機の巨体をカズマはあわてて操舵輪で押さえつける。

 重い。さっきまで乗っていたドラグトゥーンに比べると、ボーイング777スリーセブンは驚くほど反応が重く、動きも鈍い。

 空の巨人は風の道を駆け下り、速度を増す。カズマがスラストレバーに触れようとすると、右翼方向でボンっ!とエンジンが咳きこみ、機内が急に静かになる。右のエンジン停止。機体が右に流れ、カズマがそれを修正しようとする間もなく、左のエンジンも停止した。

 コックピット内が静寂に包まれる。

「いまのうちにギアを下ろそう」ローレライがランディング・ギアを操作するレバーを引っ張ってフリーにし、下まで引き下ろす。着陸装置が作動して車輪が出てくる機動音が妙に大きく響く。大型旅客機の操縦はフライ・バイ・ワイヤーといって電動式なので、バッテリーが切れたら車輪どころか舵も動かなくなる。そのときはすべての計器も止まるにちがいない。

 ぞっとする恐怖がカズマの背筋を駆けのぼる。いま彼の、いつ止まるとも知れない操舵輪の操作に、客室にいる300人弱の人間の命がかかっている。だが、ここで恐怖に竦んでいる余裕はなかった。カズマはペダルに乗せた脚を突っ張り、操舵輪を必死に操作する。

「速度が速い。このままじゃあ、降りられないぞ」ローレライは鋭く指摘し、凄いことを言い出した。「おまえ、フォワードスリップは使えるか?」

 カズマは唾をのみこんだ。

 フォワードスリップはセスナのような小型機で行う減速方法であり、基本的に大型旅客機では不可能だ。ただし、航空史上2度ほど、生死の境の緊急着陸で行われたという記録がある。ただし、それは、極めて腕のいい、ベテランパイロットが起こした奇蹟である。

「やれ!」

 ローレライの口調は容赦がなかった。

 が、いまは躊躇している場合ではない。

「たのむ!」叫びながら、カズマは旅客機の機体を横に激しく傾けた。翼端がほぼ真下を向く。客室乗務員がシートベルトをしていないので、ちょっと心配だったが、地面に激突するよりマシだろう。「お願いっ、止まってくれぇー」

「もっと傾けろ。思いっきりペダルを踏め」

 重たいスリーセブンの機首が横方向へずれる。巨大な旅客機が空中で有り得ない姿勢を取り、山間の上昇気流の中を落ちてゆく。

「よし。いいぞ。戻せ」

 カズマはローレライに肩を叩かれ、慌ててペダルをリリースして機の姿勢をもどした。

 正面方向に、まっすぐ走るハイウェイの灰色の直線が見えた。

「まだ、速度が少し速い。路面が霧で濡れているな、ドカンと落とせ。さもないと、止まらないぞ」ローレライがフラップを操作する。機体がすうっと下がってカズマは焦る。

 スリーセブンの巨体が眼下の森の中に吸い込まれるように降下してゆく。

「いいんですか? これで」

「綺麗に降りている。中央分離帯に前輪を引っかけるな」

 機首を上げて、後ろの車輪から着地するようにするのはいいが、お陰で下が見えない。道路上を走っていた何台かの車が、こちらをよけてくれることを祈るのみだ。

 やがて左右から木々の緑がせり上がってきて、ドカンという衝撃とともに巨大な機体が接地する。

「ブレーキかけろ! 操縦桿を押し込め!」

 ローレライが叫び、カズマは渾身の力をこめて両ペダルを踏みつけた。タイヤが路面をこすって甲高い悲鳴をあげ、両翼が道路わきの照明灯を薙ぎ倒して、翼端が吹き飛ぶ。地上から車のクラクションが鳴り響いてくる。しかしカズマはそれどころではない。

 前方から高速道路のゆるやかなカーブが迫ってきている。

 歯を食いしばり、両ペダルを踏みつけるが、巨体は止まらない。

 道路壁への激突を覚悟したとき、ふいに機体の速度が落ちた。もう少し。もう少しで止まる。機体が急減速し、それでも少し間に合わず、カズマは旅客機を高速道路のカーブに合わせて少し旋回させ、そこで旅客機は大人しく停止した。

いい着陸だナイス・ランディング

 ローレライがカズマの肩を叩いた。

 ホッとした笑顔で彼女を見上げてから、カズマは気づく。あれ、相互作用がどうとかで、操舵輪が触れないとかいってなかったっけ?

「じゃ、あたしはこれで消える。そろそろこの世界との接触も終わるころだ。おまえも客室にもどって寝たふりでもしとけ」ローレライは踵を返すと、コックピットから出ていきかけ、直前で振り返ってこう告げた。

「もう会うこともないと思うが、また転生して来たら、いつでもわれわれの竜騎士団に参加してくれて構わない。入団テストは合格だ。今度磨羯魚が襲ってきたときに、また会えるといいな」

 ローレライは右手を挙げる騎士風の敬礼をすると、コックピットから駆け出していった。

 カズマも同じ形の敬礼を返したが、果たして彼女が見てくれたかどうか。

 ともあれ、緊急自動車のサイレンが鳴り響いてきたので、彼はシートベルトを外して立ち上がり、コックピットを飛び出した。客室の通路を走り、自分の席を見つけると、そっと腰を下ろす。隣では妹のリナが静かに寝息を立てていた。窓の外を、電装騎士団のドラグトゥーンが上昇してゆき、特徴的な青い噴射炎が空を翔け、厚い層雲の中へと消えていった。

 カズマはほっと溜息をつくと、となりで眠るリナの顔にかかった髪を払うと、彼女の手をやさしく握って、目を閉じた。

 彼の任務はここまで。あとのことは、他の人に任すことにして、カズマは眠りについた。

 

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