第3話 戦術モード
周囲全部が青い空。
下方を海の様に埋め尽くすのは、白い雲の絨毯。耳元でびゅうびゅう鳴る風の音。
落下している。いまカズマは、もの凄く高い空を、もの凄いスピードで、自由落下している。つーか落っこちている。
「なに? なになに? なになになになに、何なのー?」
「こら、転生兵!」耳元で怒鳴られた。通信機を通したローレライの声だ。「スロットル、開け! 早く引き起こせ!」
ええー! 言われるままに、右手で操縦桿を引くが、機首は上がらない。
「うそー」叫びつつも、そこで初めて自分が跨っているものに目をやるカズマ。「な、な、ななな、なんだこりゃー!」
バイクじゃない。いまカズマが跨っているのは、ジェット戦闘機だった。
全長三メートルもない小型機体。鶴の様に優美に伸びて尖った機首。両サイドには、しなやかな流線形の双発ジェットエンジン。左右に広がるエッジの利いた主翼。振り返ると、リアカウルの後方から伸びる二枚の垂直尾翼。そして全体は、青と紺が入り組んだ海洋迷彩。ロシアの戦闘機SU―27フランカーを想起させるような優美な機体形状。さらには、自衛隊のF2戦闘機を彷彿させる蒼のカラーリング。
格好良い……。だが、その格好良くて、しなやかな流線形は今、カズマを乗せたまま不格好に落下を続けていた。下方から分厚い層雲の壁が迫っている。カズマは、はっとなった。層雲は氷の粒で構成されていることが多い。そこにこのまま突っ込んだら、やばいぞ。慌てて操縦桿を引くが、反応なし。目の隅で動翼が動いているのは確認できるから、操縦系統が死んでいるわけではない。
「速度か」
飛行機にとって速度は重要だ。何もない空気の海の中で飛行機を飛ばす力、それは主翼が受ける空気の流れ、すなわち対気速度だ。いまこの機体は、失速して落下している。速度と高度。この二つは飛行機を扱う上で重要な意味をもつ数値である。速度は運動エネルギー、高度は位置エネルギー。このふたつは、エネルギーの保存則にのっとって互いに変換し合える。
カズマは冷静に右手の操縦桿を前に倒し、機首を下に向けた。
機体の空気抵抗がへって、落下速度が一瞬増すが、冷静にスロットル・レバーを少し倒してエンジンパワーを上げる。主翼が十分風をとらえ、機体の速度がある程度に増したところで、やさしく操縦桿を引いてやると、蒼の機体は機敏に反応し、翼得た鳥のように機首をあげてきた。
「よし」
翼に風をとらえた感触を得たカズマは、機体を無理なく引き起こし、綺麗な弧を描いて大空の中を駆け上がった。上昇に転じたカズマの機体に、上から追いかけてきていたメロングリーンの機体がタイミングを合わせた引き起こしで、横に並んでくる。その距離、翼端間で1メートル弱。近っ。翼が重なるような至近距離。アクロバット飛行、もしくはニアミスだ。
「転生兵、操縦はだいじょぶそうだな」ローレライの声がメット内に響く。
いやこんなスパルタ式の操縦訓練はないだろうと文句を言いたいが、カズマは黙って操縦桿を操る。
たしかに彼は飛行機好きだ。本もビデオもゲームもたくさん持っているし、民間向けのフライトシミュレーター施設で体験飛行もしたことがある。さっきだって羽田空港ビルの五階で、一般向けの旅客機シミュレータ──といってもゲームセンターのゲームの域を出ない代物だが──で遊んできた。だが、さすがに本物を操縦したことはない。しかも、跨って乗るってなんだ! 聞いたことないよ、こんな飛行機! しかもこれ、機種的にジェット戦闘機だろっ!
「ねえ、ローレライさん? これは一体全体なんなのか、きちんと最初から説明してくれないかな?」我慢した分、たずねるカズマの口調はつっけんどんなものになってしまう。
それに対するローレライの返答は、
「操縦系を戦術モードに切り替えろ」
「あ、はい」
彼女の軍人口調に、おもわず命令遂行してしまうカズマ。彼は、多機能ディスプレイの液晶画面右隅をタッチして、機の操縦系を『戦術』に切りかえる。どうやらバベルとかいう人の身体にカズマの精神だけが転生してしまったようだが、バベルの脳の言語中枢とか何か、そんなものが機能しているようで、画面に表示されている異世界の文字も読めるし、どう聞いても日本語とは思えないローレライたちの言葉も理解できる。
操縦系が切り替わると、彼の周囲の空に、緑色のラインが幾本も表示された。そこには現在高度や対気速度が数値で表示され、燃料残量、バッテリー残量も確認できる。周囲360を覆う巨大な円は、おそらくは水平線。他に、機体の向かう方向と未来位置を現すベロシティー・ベクトル。機体の水平線に対する傾きを示す梯子状のピッチスケールが無限焦点ホログラムによって表示され、刻一刻と数値を変化させていた。
「ヘッドマウント・ディスプレイか」
カズマは感動した。
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