第9話


「あなた、間違っていますよ。」

未だにこの言葉は忘れられない。

あの時の俺は、他人の考えを無意識に受け入れようとしなかった。

もちろん自分の中でも意識的に相手の考えを否定することも多々あった。

その事に気付いた俺は、千絵に謝った。

千絵はどういう事なのか分かっておらず、説明すると、笑顔で許してくれた。

これが俺に足りないものなのかな、と心に染みた。

先生からも、その後何か言われることもなくなった。

それからは俺も態度というか、考え方を変えた。

自分の中でおかしいと思うのなら、こうじゃない?と、問いかけるように聞く。

そんなこと当たり前だ。と言うだろう。

でもこの考えひとつで俺は大きく変われた。

俺達の引退を期に先生も職を辞すると引退式の日、言われた時は部員全員が大号泣してしまった。

もう2度と会えないかもしれない。

悲しみと感謝が入り混じって俺は泣くことしか出来なかった。

3年間、先生を悪い意味で泣かせてしまったり、オイタをやらかしても諦めずに涙目で叱ってくれた。

先生やこの代との記憶が俺を作っていると心から実感していた。




「ってなわけで沢本せんせーは俺らの恩師ってことよ!」

「なるほど…。」

そんな話をお昼に聞いて、午後はひたすら指揮の練習をした。

帰ってからも夜ご飯を食べず一心不乱に指揮棒を振り続けた。


翌朝。

俺は指揮棒を持ったまま眠っていた。

朝9時。部活の始まりは8時半。

何度見ても9時を指していた。

大慌てで支度を済ませ、自転車をかっ飛ばして学校へ向かった。

普段なら電車を使っているのだが、実際自転車で行ったほうが早いのだ。…2分ほど。

大慌てで学校に入ると、至る所で楽器の音が聞こえた。

顧問がいなくとも練習が滞りなく出来るとは。

一体俺は何なのだろうか。

そんなことをぶつくさ頭の中で呟きながら誰もいない職員室に荷物を放り投げ、指揮棒を握って準備室へ走った。

準備室に飛び込むとびっくりした顔で速水くんと福田さんがこちらを見ていた。

「た…立花先生…?」

「あんた…何してんの…?」

物理的にダイブして顎を床に打った俺を軽蔑した目で見ていた。

「急いでたんだよ。」

ドヤ顔で言ったら空気が冷えた。

「はぁ…もー寝坊とか勘弁してよねー!コンクールまでもう1ヶ月もないんだよ!?」

今日が7月21日、コンクール当日は8月5日。

俺は「お前ら上手いんだからよゆーだろ。」といったら福田さんに怒鳴られた。

「海山は金賞を取るために練習してるんじゃないっ!」

「紗奈落ち着いてって!」

「う…ごめん…。」

また俺の中で疑問が生まれた。

一体どういう事なのだろうか。

もやもやしながらもその一件は終わり、毎日何事もなく、生徒主体、顧問の練習である合奏が続いた。

そして8月5日。本番。


福田さんと速水くんと吹野くんの問題もあり、そして唐突の仲直り。

ちゃっかりしすぎだまったく。

何だかんだこの部は仲が良く、素直な子が多いので、陰口じみた陰湿な揉め事は少ない。

ほとんど表立って怒鳴り合いをするのだ。

ここに来てそんなに日も経っていないのに口論が日常茶飯事になってきた。

だからこそ、音楽室は温かい。

こんな音楽のことなど触れたこともないような人がいても、それを受け入れ、寄り添ってくれるから。

俺もしっかりとそれに応えなければならない。

俺は必死に練習した。

こうして部員による、顧問のための練習が続いていった…。

そして8月5日、地区大会本番。

いくら強豪とはいえ、ここでダメ金、上の大会へ行けない金賞をとってしまうことだってある。

油断は禁物だ。

海山は全15校中13校目。

午前中は学校で最終チェックをするものなのだが、部員が先生には他の顧問の先生の指揮も見て欲しいと言って聞かず、1校目から聴くことになった。

そして今、俺は極度の睡魔と戦っている。

正直、つまらない。

仮にも全国常連の学校で顧問をやっていたからなのか、どの学校も下手に聴こえる。

ふと横を見ると、皆恐ろしい程に聴いている。

時にメモをとり、身を乗り出して。

少しでも学ぶところがあれば、吸収しようということだろう。

全国へ行くという執念が、垣間見えた気がした。

お昼を食べて、少しウォーミングアップをし、遂に本番。

チューニング室は、さすがになかなかの緊張感が漂っていた。

それでもなんなくこなし、ついに舞台へ。

皆すました顔で着々と演奏の準備や自分の座席の位置調整をする。

指揮台へ上った俺はと言えば、足はガクガク汗びっしょりだ。

部員の呆れた目線が地味に痛い。

(ここから…俺達の、海山の謎に包まれた吹奏楽曲、エニグマがはじまる!)

素人マエストロは、指揮棒を握った。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

最近おかしい。

部長としてしっかりしないと。

最近合奏のときや、幹部での打ち合わせの時、紗奈の顔ばかり見てしまう。

おまけに紗奈を見ると胸も苦しくなる。

なんでなのかは、僕にもわからない。

お兄ちゃんに相談したら、「そりゃお前…シンキンコーソクっつーやつだな。うん。」

「心筋梗塞ぅ!?」

一瞬、走馬灯が走った気がした。

ああ…遺書を書かないと…

するとお兄ちゃんは困った顔をして、「ん…まー大人になったっつーことだよ。死なねーから、大丈夫なんじゃねーの?」

心筋梗塞を大丈夫だと言う人間は、地球のどこを探しても僕の目の前にしかいないと思う。

翌日も紗奈を見るとまた苦しくなり、遂に地区大会まで来てしまった。

どうしよう…なんなんだろう…これ…。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

最近ある人を好きになった。

副部長という責任ある役を任されている以上、誰かに言うことはないけど。

祐也のことを好きになってしまった。

正直、私は告白されたことはあっても恋愛関係になったことは一度もない。

クリスマスになると独り身の女子たちとキャッキャやっている人です。

だから私は恋愛なんてしたことが無い。

祐也にどんな顔すればいいかもわからない。

はぁ…どうしようかな…。

とりあえず私よりも恋愛経験の豊富な妹に相談してみたら、「自業自得だよ(笑)」お姉ちゃんだって落ち込むんだよ!?

あー。どうしよう。

とりあえず本屋さんで買った「必勝!好きな人に振り向いてもらえるアピール13選!」

でも読むか。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

やばい。これ楽しいぞ。

コンクールの制限時間は12分。

開始3分くらいは緊張していたが、何だかんだ楽しい。

音楽してるなーって感じだ。

これもみんなのおかげだろうな。

ふと皆の顔を見ると心なしか、微笑んでいるように見えた。

音楽を心から楽しんでいる。

そしてそれがお客さんにも伝わりますように…そんな願いが汲み取れるようだった。

それが伝わったのか、会場も雰囲気もさっきよりは澄み渡っている。

海山の演奏のために会場が作られているかのように。

そうか、福田さんが言っていたこと。

「海山は金賞を取るために練習してるんじゃない。」

海山はお客さんに、楽しんでもらえるために練習しているんだ。

1人1人の音楽を紡ぎ、主役にもエキストラにもなりうるお客さんを巻き込み、審査員へ届ける。

一体になること、一つになることが音楽を楽しむ方法。

自分流にだが、理解出来た。

指揮にも余裕が出来た。俺が楽しむ。

みんなが楽しむ。それだけ。


本番が終了した。

演奏者からしたら課題が多く残るだろうが、指揮初の俺としては大満足だった。

「アンタやるじゃん!」

「流石先生です。」

「立花先生やるー!」

部員からお褒めの言葉も頂いた。

今日はよく寝れそうだな。

結果としては海山は手堅く県大会出場となった。

にしても皆クールだ。

ライバル校の良いところを踏まえた上で次の課題や伸びしろを見つけ出す。

本当に高校生か疑った。

無事にこの日も終わり、帰路についた。

よし。次の本番は野球応援だな。

ちなみに海山は野球も強豪だ。

甲子園にも多数出場している。

そのため夏場は暑い屋外での演奏が多い。

ということで俺を含め部員は夏バテしないよう、みんなで毎日体力作りをしている。

腹筋、背筋100回を3セット、それと持久走。

持久走は特に校外を走るから、近隣の方からは「頑張って。」と応援される。

地域の方々の応援あってこその部活だな。と改めて実感した。

汗まみれで職員室に戻ると、ちょうど居合わせた松田先生に「あ、立花先生。電話かかってきてますよ。」

「あー。どーも。」

誰だろう。心当たりがないが…。

「もしもしお電話変わりました。立花です。」

「あ、吹奏楽部の顧問の先生ですよねー?」

なんだこいつは。

「ええ。そうですが?」

「明日海山に転校するんですけどー吹奏楽部に入りたいんで入部届けよろしくでーす!」

もう一度言う。なんだこいつは。

といっても、誰かも分からないのに簡単に吹奏楽部に途中入部させるわけには行かない。

「君の名前は?楽器はやってたのかい?」

「やってますよー!加藤奈津子です!アルトサックス吹いてます!」

「分かった。また今度学校に来たら話をしよう。」

「はーい。」

ガチャ。

なかなかキャラの濃い人だ。

「はぁ…これは一波乱ありそうだな…。」

「初めてだというのに、大変ですね。」

松田先生が苦笑しながら話しかけてきた。

「本当ですよ。今で十分お腹いっぱいなのに。」

ほんとに勘弁して欲しい。

大人しいならまだしも、どう考えても礼儀という言葉を知らなさそうな話し方だった。

何故こんなにも不安なのか。

サックスパートにどう考えても加藤さんと会わせたらヤバイ人がいるからだ。

「あっちー…3時から合奏だな…。」

夏の太陽はギラギラと職員室を照らしていた。



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素人マエストロ! 海街真衣 @mai1114

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