第2話 ごめんなさいがいえなくて

 あれから3ヶ月が経った。いつもいつも私の隣でうるさくしていた蓮はいない。あの事がきっかけでうちには来なくなった。ママは蓮が心配でいつもご飯をお弁当にして蓮に渡しているみたいだった。惟人は蓮のことが大好きだから、たまに一緒にご飯を食べているらしい。

私も受験が終わり、結局、第一志望には偏差値が届かなかった。幸いにも第二志望の関西の国公立大学の医学部に受かり、そこに進学することになった。

なので、私はうちを出る。私は家族が大好きだ。ママもパパも惟人も浩二さんもかおりんも真希ねぇも。みんなと離れるのは辛い。でも、私の夢を応援してくれるみんなに恩返しをするために6年間、一生懸命やってやる。

 この前の卒業式の時に浩二さんに蓮のことを聞いた。

蓮はエスカレーター式に付属の大学に行くそうだ。大学でサッカーを続けるらしい。この選択は実に蓮らしい。聞いた時、思わず笑ってしまった。

 そして、私が引っ越す日が明日に迫っているのに私は蓮に謝れていない。

ママにも言われた。ちゃんと蓮に謝りなさいと。言われなくてもわかっているけど、ここまで話さなかったことは人生で初めてで、どうすればいいのかわからないだけだ。

だからと言ってこのままではいけない。そう思い、意を決して蓮の部屋に行ってみた。

 「蓮、入るよ。」

いつも通りノックせずに声だけ掛けてドアを開けた。するとそこには惟人が蓮に勉強を教わっていた。私は知らなかった。惟人が蓮に勉強を教わっていたことを。

 「姉ちゃん?!何かあった?」

あからさまに驚き、気まずそうにする惟人が私と蓮を見比べる。

そんな惟人を見て、蓮は微笑を浮かべてため息をついた。

 「惟人。そういえば冷蔵庫にお前の大好きなもの入ってるぞ?」

 「え?何それ?」

 「いいから見て来いよ。俺の分も食っていいから。」

もしかして牛乳プリン?!と目を輝かせながら部屋を出て行った。

来月には高校2年生なのにこういうところはいつまで経っても変わらない。

私の可愛い弟だなぁと思いながら去って行く弟の背中を見つめていたら、蓮が声をかけて来た。

 「いつまでそこに突っ立てるんだよ。入れば?」

私は部屋に入り、蓮が座っているローテーブルの向かい側に座った。

ここまで来たのはいいけれど、何をどう話せばいいのかわからず、お互いが黙ったまま時間が過ぎる。

私は自然と俯いて、カーペットとにらめっこをしていた私に、蓮から話しかけて来た。

 「明日、行くんだって?」

 「うん。」

自分でも驚くくらい小さな声が出た。そんな私に蓮は続けて言う。

 「みぃ、こっち見てみ?いつまで下ばっかり見てんだよ。そんなんでこれからやって行けんのか?」

 「うん。」

 「お前さぁ、いつもそうだよな。喧嘩した後はこうやって大人しくなって喋んなくて、結局俺が折れてさ。まぁ今回は喧嘩じゃないか...。俺が一番お前のことわかってるって思ってたけど違った。18年ずっと一緒だったのになぁ...。何やってたんだろ。本当にごめん。俺には関係ないって思うかもしれないけど、実惟奈のこと本当に心配なんだ。だから、何かあったらすぐに連絡しろ。なくても連絡しろ。いいな?お前が帰る場所はここだ。悠さんも晶ちゃんも惟人も親父も母さんも姉貴も俺も、みんな実惟奈のこと大好きだからな?一人じゃない。いじめられたら俺に言え?ちゃんと飯食えよ?後、ちゃんと寝るんだぞ?それと、変な男に騙されるなよ?チャラチャラして調子いい奴は信用するな。それと...。」

 「もういいよ。わかったから!心配しすぎだよ。ちゃんと出来るから大丈夫。蓮もあんまり女の子振り回しちゃダメだよ?あんたの思わせぶりな態度でみんな一喜一憂するんだからね。泣かせちゃダメだよ。蓮は関係ないって言うかもしれないけど、あたしだって蓮が心配だから。それと、みんなのことよろしくね。」

 「あぁ、わかった。任せとけ。」

いつもいつも何かいざこざがあった時は、意地っ張りな私に蓮が優しく話しかけて謝ってくれる。私が悪い時もしかりだ。そんな私を咎める訳でもなく、普段ではなかなかお目にかかれないほど優しく笑いかけてくれる。

そして私はその笑顔に救われる。

 「ねぇ、蓮の将来の夢って何?」

今まで聞けなかったことを聞いた。蓮の将来の夢はサッカー選手だった。その夢を奪ったのは私だったから。

 「将来?あぁ、俺は正義のヒーローになるよ。」

思わず小学生か!とツッコミを入れそうになったけれど、目を輝かせて言う蓮に本気なんじゃないかと思った。驚いたような顔をした私に少し笑いながら彼は続ける。

 「あの時、みぃを助けてから思ったんだ。仮面ライダーやなんとかレッドみたいなのにはなれないけど、大切な誰かや困っている人を俺でも助けられるって。

みぃは救いたいんだろ?そしたら俺は助けるような人になる。まだはっきりとは決めてないけど、大学行ってからゆっくり考えるよ。」

あれは、私たちが中学1年生で、惟人が小学5年生に上がる時の春休みの昼下がり、近所の公園で、蓮が惟人にサッカーを教えてもらっていて、私はそれをベンチに座って見ていた。

蓮のパスが取れなくて、公園の外に出て行ったサッカーボールを走って追いかけた惟人に1台のトラックが近づいていた。

私は、叫びながら走って惟人を突き飛ばしたけれど、私が逃げそびれてしまった。

すると蓮が、私の後ろから抱かれた瞬間に私たちとトラックはぶつかった。

蓮が守ってくれたおかげで私は軽傷で済んだけれど、蓮は意識不明の重体だった。

あの頃の私は、頭から血を流して倒れている蓮に何もできず、ただ無我夢中に抱きついて泣くことしか出来なかった。そんな時にお医者さんが空からやって来て、蓮を助けようとしてくれた。蓮にしがみついて泣きじゃくり、離れない私にそのお医者さんは言った。君の大事なこの子を俺たちに預けてくれないかな?きっと元気にするよ。すると、一緒に来ていた看護師さんが優しく私の肩を抱いて蓮から引き離した。処置が施され、ストレッチャーで連れて行かれる蓮と離れたら二度と会えないような気がした。一緒に連れて行ってと懇願すると、そのお医者さんは本当は規則違反なはずなのに、ヘリに乗せてくれた。その場に座り込んで呆然とする惟人に、帰ってママにちゃんと伝えてと言い残した。そのことがあって私は医者になることを決めた。そのお医者さんみたいな医者になりたい。そう強く思った。蓮は、その事故で、軽度の頸髄損傷を受けて左半身に少し麻痺が残った。日常生活には何も支障はないけれど、たまに痺れたり痛くなったりするそうで、サッカー選手の夢は無くなってしまった。そんな彼が将来どう考えているのか分からなかったけれど、まさか誰かを助けたいと思っていたとは知らなかった。

間違いなく、私にとっては正義のヒーローだ。

いつか彼に助けられて、同じことを思う人がいるかもしれない。

漠然とした蓮の夢は、私の中で腑に落ちて、心の中に染み込んで行った。


 そんな会話をしていたら、いつの間にか帰って来ていた真希ねぇが私たちのところにやって来た。

 「やっと仲直りしたの?今回は長かったねぇ。もうすぐみんな帰ってくるから早くみぃの家行こ?今日は晶ちゃんがご馳走作ってくれてるからね!!」

真希ねぇは言いたいことだけ言って去って行った。

私たちも後を追うように家に帰ったら、そこにはすでにみんなが勢ぞろいしていた。いつぶりなんだろう。パパもママも浩二さんもかおりんももちろん惟人と真希ねぇもいた。

蓮はいつもどうりその場にすぐに溶け込んでいたけれど、私はなぜか立ちすくんでその場を動けずにいた。

するとママが「何してるの?早く座りなさい。今日はみいの送別会なんだから主役は真ん中よ!」っと言ってくれたけど、そこにはすでに蓮がいた。

 「ちょっと、そこあたしの席なんだけど?!」

そう言うと、「はぁ?お前はあっち座れよ!向こう空いてるだろ。」と言い返してくる。

 「やだ。蓮があっち行きなよ!」

 「お前がボケーっと突っ立てるから悪いんだろ?こんなのは早い者勝ちだよ。」

 「意味わかんない...。蓮にはレディーファーストって言葉ないの?!」

 「え?みいってレディーなの?」

 「もういい。蓮にこんなこと言ったあたしがバカだった!」

いつもそうだ。小さなことで言い争って、私がふてくされる。そしてみんな呆れて何も言わないけれど、今日は違った。

 「蓮、あんたがあっち行きなさいよ。」

いつも何も言わず、ただ微笑んでいるはずのかおりんが言った言葉に私も蓮も驚いて彼女を見た。そんなこと気にしないと言うように言葉を続ける。

 「みいは明日から居ないんだから今日くらい譲ってあげな。みいも、これからドクター目指して頑張るんなら蓮になんかに負けちゃだめ。医者って生き物はただ負けず嫌いで誰にも負けたくない気の強い人が勝ち進む。ただ頭が良くて優しいだけじゃ生き残れないよ?特にあなたが目指すあの先生はそうだから。」

言いたい事を言ったかおりんはスッキリしたのか立ち上がり、微笑んで私の背中を押した。

 「しょうがないなぁ、じゃあここ来いよ。」

蓮はそう言って、自分の隣にいたパパを押した。

 「え?俺が退くのか?蓮はしょうがない奴だなぁ。」

ここ俺の家なんだけど...。そう呟きながらも端の方に移動してくれる。

すると、みんな大笑いしながら口々にパパに哀れみの言葉を口にしていた。

やっぱり家の家族は賑やかで、優しさに包まれていたんだなって感じた。

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