第40話 ミネストローネ

「今年になって寄るのは初めてだな」


 新年ムードもすっかり落ち着いてどの店も通常営業へと戻っていった中、黒い髪をした男がチリンチリンと鈴の音を鳴らしながら光食堂の中に入っていく。


 彼にとっては今年初の入店だ。


「こんにちは光さん。今年も機会があれば通いますのでよろしくおねがいしますね。メニューをお願いできますか?」


「あらサイフォンさん、久しぶりですね。今年もよろしくお願いしますね」


 新年のあいさつというにはだいぶ時が過ぎたが、それでも今年会うのが初めてなのでそんな時期遅れのあいさつを交わす。光はメニューを持ってきて彼に渡した。




「ふむ……」


 彼の指がとある料理で止まる。



「ミネストローネ」

「トマトを中心に野菜等の具を煮込んだスープ」



 そう書かれていた料理だ。


「ふーむ、スープ料理か。寒い日にはありがたいな。よし。光さん、ミネストローネと言いましたか? それをいただきましょう」


「はいかしこまりました。少々お待ちいただけますか? あとメニューをお下げしますね」


 彼は注文する。と同時に光はメニューを持って店の奥に引っ込む。しばらくして……




「お待たせいたしました。ミネストローネになりますね」


 出てきたのは、赤い液体の上に野菜やベーコンが浮かぶスープ。出来立てなのかほのかに湯気が立っている。


 トマトを中心にと書いてあったがトマト自体は具としては無く、おそらく煮潰してスープにしているのだろう。


 サイフォンは早速スプーンを手に具をすくって食べる。


(うん……美味いな)




 芯まで火が通ったタマネギは柔らかく、ほのかに甘い。ニンジンも同様で美味い。


(それぞれの具材もだいぶ質のいい物を使ってるな。この辺にはまず無いぞ)


 食べてみて気になるのは具材の質。市場に広く出回っている物では作れるかどうか確証はできず、


 もしかしたら同じ名前の食材でも質が全く違うのかもしれない。と思わせる位、異様に質が良いのだ。


 具の1つであるベーコンもかなり上質なものを使っているのか市場に出回ってる物と比べて脂臭くなく、


 肉の持つうま味だけを増幅させたような味で全然しつこくもなければくどくもない。これまた美味だ。




(? これは……?)


 改めてミネストローネを見た時に気づいたのは、黒い粒の破片。最初はゴミなのかと思ったが、ある香辛料が頭をよぎる。スプーンですくって口に入れてみると……。


(おお! コショウも使ってるのか!)


 舌にピリリとした刺激が走る。間違いない、コショウだ。それ特有の香りと辛みがこの野菜料理に絶妙なアクセントを加え、すっきりとした味わいに仕上げている。


 砂糖同様コショウも輸入量は年々増えてはいるがまだまだ料理屋で使えるほどではなく、王侯貴族が食べる食事を作る専用の厨房に置かれているのがせいぜいだ。


 そう考えるとこのミネストローネなる料理はずいぶんと贅沢な料理だという位置づけになる。


 銅貨で19枚という値段は最初こそ戸惑うものだが食べてみれば破格の安さだというのが実感できた。




「ごちそうさまでした、光さん」


 丁寧に礼を言ってサイフォンは光食堂を後にした。


 彼女は若いのか値段の付け方がド素人とでも言っていいくらい、下手だ。そのため大分損している部分もある。


 とはいえ彼女なりの理由があるのだろうと思い特に深く考えないことにした。




 料理人もその中に含まれるのだが、職人と呼ばれる者達には「偏屈へんくつ者」と言ってもいい連中も少なからずいる。


 例えば他の人間からすれば「そんなことどうでもいいのに」と思うような細かい道具の置く位置にやたらとこだわる大工。


 他にはメインの客層は王侯貴族だというのに、甘い物好きの彼らが嫌いな菓子職人パティシエ、といった変わり者たちだ。


 自分は商人なのでものつくりの現場にはおらず、推測するしかないが彼女もその中の一人なのだろう。


 そう思うと心の底から、とまではいかないがまぁ理解できて納得もできる。真相は彼女にしかわからないが一種の「こだわり」なのだろう。


 この店には謎が多いが、その謎も魅力の一つになっている。今年も例年通り各国を飛び回る日々を送るだろうが、時間が出来たらまたこの店に寄ろうと彼は思った。




【次回予告】


ナポリタンを食べるために来ている常連客は、それと同じケチャップが使われている料理を頼むことにした。


第41話「チキンライス」

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