第78話 犬沢秋生はこの胸に帰る

「ん? おおー! ぐおおおお……!」


 突然、空間がぐにゃりと歪んで気持ちが悪くなった。

 さっきまで、一体どこにいたのだろか。

 頭がガンガンする。


「いたたたた……。乱暴だな、犬君」


 俺は、何か下に邪魔くさいが温かいものを感じた。

 ひっくり返っていたので、体を起こすと、懐かしい香りがした。

 自分の身なりを見てみると、学生服を着ていた。

 彼女もセーラー服だ。


「えーと、どういう状況でしょうか? それより、犬君って誰ですか? この土手に今は犬がおりませんけれども」


 ちょっと失礼かなと思う態度で聞いてしまった。


「先ずは、お名前ね。犬君は、犬沢秋生。あなたのお名前よ。そのニックネーム。今は、犬君が、膝枕をしに来た所なの。ひっくり返るみたいに乱暴にね」


 結構、優しい人なのだな。

 俺とこの人、膝枕だって?

 なんてハレンチな関係なんだ。

 まあ、可愛いから構わないけど。


「それは、悪いことをしたな。何か、長い夢を見ていたようで。記憶があやふやなんだ」


 どの位寝ていたのか、乱れた髪を直す。


「うんうん、分かる。とても具合が悪そうで、時々、うなされていたわ。繰り返していたのは、『伯爵』とか、『姫』とかよ」


 とても心配した顔で手を自分の胸に当てている仕草にきゅんとしちゃうな。

 ちょっと、ちっぱいだな……。


「ああ……。何か、その人たちのこと、知っているかも。邯鄲かんたんの夢みたいな……」


 んー、唸るしかない。


栄枯盛衰えいこせいすい五十年の人生か……。犬君、きっととてもドラマチックな夢を見ていたのね」


 本来の使い方とは違うか。


「それは、ドラマチックかなあ。はは」


「くすっ。クールな犬君が笑った。……ねえ? 犬君が、文芸部員だって覚えている?」


 文芸?

 俺が物語を書くのか?


「えーと、学校で?」


「そうよ」


 にこにこと頷いている。

 笑うともっと可愛いんだな。


「その『伯爵』と『姫』の物語を書いてみたらいいと思うな」


「ファンタジーかあ。うーん、何だか憎らしい名前の伯爵と可愛い名前の姫だってあやふやな記憶が一番残っている。夢ってそんなものかも知れない」


「ええ? どんな名前?」


 きらきらしちゃって、可愛いなあ。

 あ、俺は可愛いしか思ってないな。

 何故だろう。


「伯爵は忘れたけど……。姫は、確か……」


「うん」


 彼女は、にこにこしている。

 そうですか、にこにこですか。


「……ネコーコ・ハルミ姫」


「うそ……!」


 彼女は、泣きそうな顔を手で覆った。

 どうしたんだい?


「いや、嘘も何も」


 何をどう繕ったらいいやら。


「犬君!」


 ひっつかれてしまった。


「だやー! 誰か見てるって!」


 変な悲鳴を出して言い訳しているよ、俺。

 ま、いいか。

 肩を抱く位。


「私の名前は、『猫野春美ねこの はるみ』なのよ」


 そ、そうか。

 あははは、そうなんだ。


「ネコーコ・ハルミ姫……」


「俺が求めていたのは、夢の中でもあなたでしたか……」




 この胸は、ぬくもりにあふれている……。







Fin

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