父と呼ばれた者
放心状態の鷲北と、舞い上がった埃で咽る小鳥遊。
異形の怪物と対峙している今この瞬間で、対抗しうるのは朝凪だけとなっていた。
朝凪は再び奇声を上げる異形に対し、小鳥遊に怒る時と同じ様に口調を荒げ発砲した。
「うるせぇ!!」
弾丸は異形の怪物へ鈍く刺さり、衝撃はその巨体で受け止められた。
少しよろめいたが傷を与えるまでに至らなかった。
小さく舌打ちした朝凪は、すぐに次弾装填を始めた。
朝凪の銃声で正気に戻った鷲北は、いつ異形の怪物から攻撃が来ても良いように身構えた。
僅かに恐怖心がのこっているが、「ここが踏ん張りどころだろ」と若い頃の自分に叱られるような気がして、何とか昔の感覚を取り戻しつつあった。
一方、ようやく立ち上がった小鳥遊は懐から拳銃を取り出し、照準を異形の怪物へと合わせた。
その何処か楽しそうに見える顔は、蝶を捕まえる子供の様だ。
しかし、実際に彼女が狙っているのは体長二mはあるだろう怪物だ。
「バン、バン、バーン!」
連続して放たれた弾丸は、景気のいい掛け声と共に異形の怪物を貫いた。
一発目は左わき腹に当たり、二発目は左肩を掠め、三発目は鳩尾に刺さった。
朝凪によって与えられた衝撃と小鳥遊の攻撃。
それらは目の前の異形の怪物に致命傷を与える程だった。
異形の怪物は空気が抜けたように力なく倒れ、ドシンという音が床を振動させた。
「ちゃんと倒せましたかねー」
そう言って倒れた異形の怪物に駆け寄る小鳥遊。
何処から取り出したのか、小鳥遊の手にはサバイバルナイフが握られ、異形の怪物から肉を削ぎ取って透明のケースに入れていた。
鷲北は”それ”を持ち帰る事が小鳥遊の仕事なのだと理解した。いや、せざるを得なかった。
見ていて気持ちの良いものでもない、そう思った鷲北は二人に背を向けた。
「こいつ、切り取られても動くんだな……」
削ぎ取られた肉片が透明のケースの中で蠢いているのを見て、感心した、と言うように朝凪は呟いた。
「こいつら、生命力は凄いんです。この個体はどうか知りませんが!」
そう言った途端、目の前の肉を一部削がれた異形の怪物が溶け始める。
「溶けたぁ!?」
これにはさすがの小鳥遊も予想していなかったらしく、驚嘆の声を上げる。
「こっちは大丈夫みたいだがな」
透明のケースに入れられた肉片は溶けていなかった。
「あぁ、それはボクが頑張って作った特殊なケースなので、そのケースが壊れない限り入れた時の状態のまま永久保管出来るんですよ」
まるで「ボクってば世界一の天才!」と言わんばかりの顔をしている。
しかし、どろどろと溶けていく異形の怪物からこれ以上サンプルの採取は出来ないという現実に落胆し、段々と液状化していく物をナイフで弄っていた。
「小鳥遊くん、もうぐちゃぐちゃタイムは終わったか?」
恐る恐る聞く鷲北は、背後から聞こえてくる音でまだ終わってない事は知っていたが、そろそろ止めてくれるだろうと期待を込めて言った。
しかし、膝を抱えて”ぐちゃぐちゃタイム”に夢中の小鳥遊。
それを横で傍観し、妙に感心する朝凪。
何とも不思議な空気が流れていた。
すると、どろどろの中から固い物に当たった。
ナイフで掻き分けて固い物の正体を探る。
「あった」
ミキサーで更に細かくしたミンチ肉の様に、原形を全く留めていない”それ”の中に黒い金属製の物体が出てきた。
小鳥遊はゴム手袋をした手でそれを摘み、よく観察した。
朝凪も横にしゃがみ、鋭い眼差しで見つめた。
「これは、鍵の一部……?」
「だな」
二人とも鍵穴に差し込む部分だと確信した。
「そろそろ終わっただろう?」
「終わりましたよー!」
そうかそうか、と振り返った鷲北が見たのは、数分前まで目の前に立ちはだかっていた異形の怪物だった物、それをぐちゃぐちゃに掻き混ぜながら冷静に観察している知人だった。
鷲北は思わず朝食を戻しそうになったが、ぐっと堪え喉元が痛くなった。
「このまま放置してたらその内無くなりますよ、たぶん」
大丈夫でしょう、と小さく呟き、小鳥遊は出した道具を片付けた。
まだ数十kg程ある肉片を廊下に放置し、異形の怪物が出てきた部屋へ向かう。
開け放たれた扉から、ちらりと頭を覗かせる小鳥遊。
その後ろから様子を窺う朝凪と鷲北。
暗く狭い部屋には奥に一つ扉が続いているが、今まで見た扉とは違いガラス戸の様だ。
洗面台と洗濯機が壁際に並び、洗濯物が籠いっぱいに積もっていた。
奥のガラス戸は曇りガラスの為、中がどうなっているか分からないが、恐らくそこは浴室だろう。
「お風呂場、ですかね」
小鳥遊は後ろで待っていた二人にそう伝えた。
「なるほどな」
概ねそうだろうと思っていた朝凪は納得した。
何故、異形の怪物がそこから出てきたのかは謎であるが……。
「ここは特になさそうですね~」
小鳥遊は軽く鼻歌を歌いながら奥の浴室を眺める。
「いや、もしかすると……」
そう言って鷲北はツンと匂う洗濯物から事件の証拠となる物を見つけた。
Tシャツにべったりと付いた血痕。
血痕の後から分かるのは一度や二度付いたのではないという事。
このTシャツは何人もの血を浴びたのだ。
鷲北の背筋に嫌な冷たさが這いより、それと共に犯人への静かな怒りが込み上げてくる。
事件の被害者に対して感情移入してはいけない、というのは分かっているものの今回の様に年端もいかぬ被害者には同情してしまう節がある。
何より、これから色々な物を作り上げていく者が減っていくというのが悲しくてならない。そう鷲北は考える。
彼らが絶望の内に命を引き裂かれたのではないと信じていたいのだろう。
静かに手を合わせ合掌した。
その時、浴室を覗いていた小鳥遊は異様な浴槽を目にした。
薄灰色の浴槽には様々な大きさの白い骨が乱雑に置かれ、少なくとも人が三人は出来上がる程はあった。
奇妙な事に、その骨一本一本には肉片が全く付いていなかったのだ。
小鳥遊はこの骨の数に恐怖を覚えつつも、犯人がこうしたのか異形の怪物がしたのか分からない。
しかし、余程”肉”に固執していたに違いない。そう思った。
「そろそろ終わったか?」
部屋の入口で突っ立っていた朝凪が尋ねた。
脱衣所と浴室は狭い上に、ただ巻き込まれただけの彼女にとっては廊下で待つしかない。
酷く退屈な時間だっただろう。
「ボクは大丈夫ですよ、特に何もありませんでしたし」
小鳥遊がいそいそと浴室の扉を閉め、部屋から出てくる。
それに続いて、暗い面持ちの鷲北が部屋から出てドアを閉めた。
「一体……彼はどうしてこんな事を」
脳裏に焼き付いた神話生物、血を何度も浴びたTシャツ。
それらの根源たる動機が鷲北には理解出来なかった。
「簡単ですよ、鷲北さん」
小鳥遊が言う。
「彼にとってこれが”救い”だったんです」
「何故、そう言えるのかね」
突拍子もない事ばかり言う小鳥遊だが、時に深く刺さる程に鋭い正論をぶつけてくる。
「誰にでも何らかの”救い”があるでしょう、彼のそれはこれだったんです」
と言い、さっきの特殊ケースの一つを見せる。
「これを作り、彼が何をしたかったか。鷲北さんはそれを知ってるはずです」
「……だが、そんなもので叶うものじゃないだろうに」
「そもそもこの生物たちに縋りつく人の大抵は、そんな事考えられないんですよ」
特殊ケースを直しながら続ける。
「これをする事によって自分は”救われる”と考えるので厄介なんです。自分がどんな状況に立たされているかすら分かっていないでしょう」
「それじゃあ、彼に”救い”なんてないという事か」
「勿論、ないでしょう」
神妙な面持ちで告げる小鳥遊。
「当然だ。関係ない部外者も巻き込んでるんだからな」
と言った朝凪が小鳥遊の頭を軽く小突く。
あいた、っと頭をさするのを見るといつもの見慣れた彼女だ。
そして、”理解出来ない”という事が正しい時もあるのだと気づかされた。
己に”救い”を求めるあまり、己から”救い”に最も遠い場所に身を置く事の恐怖に気づいた時、彼はどうなってしまうのだろう。
そんな事を考えた所でどうにもならない、今更この惨状を変える事は出来ないのだ。
「さて、それじゃあ次は……」
と言いながら小鳥遊は玄関に一番近い部屋に近づいた。
そこはまだ未捜索の部屋で、薄暗い廊下で一際暗く見える扉だった。
ドアノブに手をかけ、開けようとするとガチャガチャと音を立てただけだった。
「ありゃ」
「拍子抜けしたって感じだな」
やれやれと言いたげな朝凪が一番奥の部屋に近づく。
そしてドアノブを回すと、すんなりと開いた。
「あーっ、海ずるい!」
まるでお菓子を取られた子供の様に、慌てて開いた扉に駆けよる小鳥遊。
呆れ半分、少し心が軽くなった鷲北もそれに続き、部屋を見た。
部屋は物置として使われていたらしく、ダンボール箱が多く積み重なっていた。
不思議な事に、他の部屋と同様に床は埃被っていなかった。
「ふむふむ、なるほど……」
意味ありげに部屋のあちこちを探る小鳥遊と、ただ静かに観察する鷲北。
そして、朝凪は二階へと続く階段に目を向けていた。
部屋を探っていた小鳥遊は、ダンボールの山から一つだけガムテープが貼られていないものを不審に思った。
中には適度な長さに切られたロープがたくさん入っており、ロープには血痕が見られる事から明らかに今回の事件に用意された物だと推測できた。
未使用なロープも使用済みなロープも入れているらしく、特に使用済みの方はロープの切断面がぼさぼさだった。
部屋を全体的に観察していた鷲北は、この部屋の床は埃が少なく棚やダンボール箱には埃が多いと分かった。
特に部屋の中心は埃が少なく、そこから段々埃が多くなっていた。
それにより、埃があまり積もっていない部分に何か置かれていたのでは……という考えに至った。
部屋の外で階段を眺めていた朝凪、彼女は聞き覚えのある”声”を聞いた。
それは先刻、この廊下でどろどろに溶けていった奴が発した、あの耳にどんと居座り続ける様な音。
どうやら、さっきの奴とは別の個体が二階にいるらしい。
階段の下からでは微かにしか聞こえないが、確かにさっき聞いた声だった。
よく山で狩猟する為か、朝凪にはあの生物とのおおよその距離が何となくわかった。
今いる場所の真上から少し奥に行った所。
そこに奴がいる。
先程倒した生物と同様に行動に何らかの制限があるのか、それだけでも分かれば良いのだが……。
声だけではどうにも分からない、何て言っているのかさえも。
「私は通訳じゃないしな」
小さくポツリと呟いた。
一通り一階の捜索を終え、二階へ向かう事にした一行。
念の為にと朝凪は情報を共有した。
「二階の……この真上かそこらにいる。たぶん一匹」
天井をくるくると指差しながら伝え、二人はそれに頷いた。
この家の階段はU字型になっている為、一階から上の様子を探る事は出来そうにない。
小鳥遊を先頭に、次に鷲北で最後に朝凪という順番で上がる事にした。
一番の経験者には先頭、距離をとって使う武器を持った朝凪が最後尾となった。
いつ出くわしてもおかしくはない、そんな状況で階段を上がる一行。
緊張から額の汗がじんわりと滲む。
一歩、また一歩と近づくにつれ、少しずつ二階が姿を見せる。
間取りは一階と同じ様だろうか……と、鷲北が思案を巡らせていると前方から音が聞こえた。
それは前を進む小鳥遊から発せられるものではなく、もっと別の者からする音。
先程遭遇した異形の怪物が歩く音、鳴く声、それそのものだ。
ずる、ずる、ずる
引きずるような足音も
潰れたカエルみたいな鳴き声も
先程ミンチになったみたいに溶けていった怪物が発していた音とよく似ている。
階段をゆっくりとしゃがみながら上がり、二階が見渡せる段まで来た。
階段を上って正面に部屋が一つ、その横に扉が二つ並んでいる。
階段から見て右手側にも扉が二つ見える。
すると、右手側の扉がゆっくりと開かれた。
キィィィ……
と、小さく音を立てて開かれた扉からは、一階で遭遇した異形の怪物とは少し違った姿の者が顔を出した。
大まかな外見は同じだが、この異形の怪物は顔を包帯で覆っているからだ。
ぶよぶよと浮腫んだ手で空間を探りながら歩き、近くにいる一行に気づかない所を見ると、この異形の怪物は完全に目が見えていないらしい。
安全の為、この場は彼の異形が消えるまで静かに待つことにした。
のそり、のそり
一歩を踏み出すのがとても遅く、たった数分が長く思えた。
空を切っていた異形の怪物の手が扉に触れ、大きな音を立てて扉を開けた。
あと少し、あと数歩で部屋に入る……!
「あっ」
その声が聞こえた後、階段の後方から軽い金属音がした。
朝凪がライターを落とした音だった。
その落下音、あるいは声を聞きつけた異形の怪物は耳障りな奇声を上げた。
そしてその異形の怪物は階段にいる一行にゆっくりと向かって来たのだ。
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