未知との遭遇


「診断書」


記録者:天月蒼空


 患者■■ ■■は精神的に多大な傷を受け、人間として健康的で自立した生活を送る事は困難である為、○○療養所へと移送された。

診断中、患者は常に何かに怯えており、目を合わせる事を嫌ったが対話は可能だった。

TAT(絵画統覚検査)により、患者は非常に内向的で誰かと接する事に恐怖しているようだ。

 患者と対話する事により、患者はある存在について多く語っていた。

それは『削除済み』で、この世の者とは思えない姿をしていたという。

一緒に家へ突入した仲間と離れ、単独行動をしていた患者のみが『削除済み』と遭遇し、何らかの形で恐怖心を植え付けられたのだと考えられる。

患者が特に恐怖している『削除済み』に関しては、知人の紹介で『削除済み』団体へ調査を要請した。

患者には「それはどこにもいない」と繰り返し語りかける事が一番だろう。


 これからは○○療養所で可能な限り、患者■■ ■■を人として普通の生活が出来るまでカウンセリングを続ける予定。

少なくとも現状では医師達による監視の下、治療していく他ない。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 太陽が建物の間から顔を出す前、人々が未だ夢を見ている頃。

大きな公園を通り過ぎ、薄く霧がかった住宅街を静かに走る車が一台。

運転手は初老でスーツを来た男性、助手席には腕を組み不機嫌そうな女性が乗っており、後部座席では中性的な顔立ちの女性が暇そうに外を見ている。

「鷲北さん、次の角を左に曲がって下さーい」

「はいはい」

そんな会話らしくない言葉が度々飛び交い、それ以外は静まり返っていた。

 この状況に至るまでの説明を挟むとする。


 遡る事数時間前。

自室で眠っていた鷲北は電話のけたたましい音で起こされる。

寝ぼけながら電話に出ると、電話の相手は小鳥遊だった。

午前三時だとは思えない声量で

「おはようございます!!調子はいかがです?」

と、開口一番言われ、耳が痛くなるのも仕方ない。

「……最悪だ、酷い目覚めだ。これは……」

「それは良かったです!それじゃあお迎え待ってますね!!」

予想を遥か彼方まで打ち上げるような言葉に鷲北は耳を疑った。

「は?」

思わず冷静さを無くす程に。

「ボクだってもうちょっと寝ていたかったんですけどね、ボスが『仕事溜まってるから早く帰ってきて』ってうるさくってですね~」

小さく「天才過ぎるのも困りものですねぇ」と言ったのも聞き逃さなかった。

答えになっていない、そう思っている鷲北の電話の相手は交代させられたようだ。

「すまない、紫がどうしてもって聞かなくて」

「そうでしたか。まぁ、仕方ありませんな」

受話器の向こうで小鳥遊の声がくぐもって聞こえる事から、朝凪は向こうで格闘しているのだろう。

「こちらは準備出来ている、鷲北さんの準備が終わり次第来てほしい」

「はいはい、問答無用。ですよね」

「あぁ。紫のボスは私も怒らせたくない。命が惜しければ従ってくれ」

脅迫めいた物言いから、小鳥遊の上司ボスは余程の権力者である事が伝わってくる。

「分かりました、すぐにでも行きましょう」

そうして電話は終わり、鷲北は準備に取り掛かった。

恐らく必要になるだろう、と数日前に物置の奥から引っ張り出した自分の得物。

これを持つと若い頃を思い出す。

冗談にも治安が良いとは言えない場所にいたあの頃。

そこで大層な呼び名が付けられた事を。

命は一つ限りだと、それを再び肝に銘じなければ。


 そして場面は車内に戻る。

「その先真っ直ぐ行って、五軒目ぐらいの大きな家です」

目的の場所は思っていたより目立つ家だった。

周囲の家に比べると少しばかり大きく、人の手が入っていないような庭をしていた。

数日前まで犯人が暮らしていた家にしては、植物の生長が早いような印象がある。

元からこんな庭だったのかもしれないが。

 先に口を開いたのは朝凪だった。

「ホントにここで合ってるのか?」

「ここで合ってます、ボクはナビゲーションも天才なので」

誇らしげに小鳥遊は言うが、他にそれらしい家もないのでここが正しいのだろう。

各々が必要な荷物だけを持ち、どんな異常事態にも対処しうる武装で車を降りる。


「さぁ、お仕事の時間ですよ」


意気揚々と進む小鳥遊の後に続く二人だが、何とも言い難い不安感に包まれているのは言うまでもなかった。


 脹脛ふくらはぎ程の高さまで伸びた雑草と伸びきった植木が、長い間手入れされていない事が窺える。

周囲の家と比べ立派な造りである事から、家主だったのは裕福な家庭であったのだろう。

灰色がかった壁に黒い屋根のせいで、家の恐ろしげな雰囲気が助長されている。

一階には白枠の出窓が左右に一つずつあり、灰色のカーテンが掛かっている。

二階はバルコニーが左右にあり、閉め切られた窓が見える。

 家の様子を気に留めず、小鳥遊は玄関へまっすぐ向かった。

ポケットから鍵を取り出すと、徐に扉の前でしゃがんで二人を呼び寄せた。

「良いですか、中には奴らが必ずいます。単独行動は絶対に避けてください」

滅多に見せない真剣な表情で、朝凪は扉の向こうの存在に意識を集中した。

彼女には強力な”相棒”があるが、奴らにそれが通用するか分からない。

「精々、足を引っ張らない様に気張らんとな」

鷲北も懐に忍ばせた”得物”の重みを感じながら、己の力を滾らせていた。

「中ではどうなっているか分かりません、口頭ではなくハンドサインで会話しましょう」

こくり、と頷いたのを合図に小鳥遊は鍵を通し、扉をゆっくりと開けた。


キィイイ……


と小さく軋みながら扉は開かれた。

光のない暗い廊下に一筋の光が伸び、少しずつ広がっていく。

 奥に長く一直線に伸びている廊下は、奥になる程闇が深くなっていき、まるで訪れた者たちを深淵へ吸い込もうとしている様にも見える。

左に扉が二つ、右に扉が三つあり、目を凝らしてみると左奥に階段があるようだ。

 床には大きな蛞蝓なめくじが這った様な跡が全ての部屋に繋がっており、この足跡の正体が犯人の言う『両親』という事になるだろう。

鷲北はまだ見ぬ神話生物というものに不安の念を抱いた。

 三人は中腰になりながら玄関ドアを潜り抜け、鷲北が後ろ手で扉を静かに閉めた。

扉を閉めた事により、家は再び暗闇に包まれた。

目が段々と慣れてきたのか、扉の位置や壁までの距離が段々と分かったきた。

小鳥遊が二人に手ぶりで左の扉へ行く事を伝える。

二人はそれに同意し、細心の注意を払いながら行く事にした。

 朝凪は左の扉に背を向け、ドアノブに手を掛けた。

それに合わせるように扉の右側に鷲北が控え、正面では小鳥遊が脇に装備したホルスターに手を添える。

朝凪は扉に耳を当て、暫くの静寂が訪れた。

 中の状況が分かったのか、室内に生物の息吹は感じられない、そう言う風に首を横に振った。

小鳥遊は拍子抜けした、と言う風にホルスターから手を離した。

朝凪はすっと立ち上がり、普通に扉を開けた。

 どうやらこの部屋はダイニングキッチンとして使われていた様だ。

部屋の中央には四人掛けのテーブルがあり、部屋の奥にはカウンターキッチンや冷蔵庫などの家電も置かれている。

窓にはシックな色合いのカーテンがされ、あまり小物が置かれていない事から、よく整頓されている印象だ。

しかし、鳩尾みぞおち程の高さをした収納棚の上には、楽しそうな家族写真が所せましと置かれている。

 小鳥遊はキッチンの方を指差し、こっちは自分が調べる、と知らせた。

鷲北は自分の顔と写真が置かれた棚を交互に指差し、朝凪は入ってきたドアを親指で示した。

小鳥遊と鷲北にはそれぞれすべき事があるが、朝凪はドア付近で彼の生物が来るのを見張る以外にする事がない。

ドアを少し開け、部屋の中から息を潜め廊下を見張る。


 キッチンへ向かった小鳥遊は、犯人が使用した”道具”がここにないか探っている。

鍋やフライパンなども綺麗に収納されたままになっているが、コンロの上にはやかんだけ置かれたままだった。

シンクはここ数年は使われていないのか、少し埃被っていて犯人の食生活が垣間見える。

 頭上にある収納スペースの端の方に、小さな布袋を見つけた。

その布袋を開けてみると、色とりどりの結晶が八つ入っていた。

小鳥遊は犯人がこれを用いて『両親』を呼び出したのだろう、と合点がいった。

そうでなければ魔力の少ない一般人が二体も召喚出来る筈がないのだ。

布袋をポケットに収め、別の場所を調べる事にした。

電子レンジが置かれた棚の下やシンク下の開き戸、食器棚も見てみたが小鳥遊が探している様な物は無かった。

 期待外れだと言うように肩を竦め、何となく冷蔵庫を開けてみた。

するとそこには、食料品らしいものは何も入っていなかった。

 ここで言う”食料品”というのは一般的に食べられている食品、という意味である。

大きなビニール袋に入れられたそれは、針金のような赤黒い糸が無数に生えており、赤黒い肉の中から白い部分を覗かせている。

それに付けられた二つの濁ったガラス玉で、何もない虚構を見つめている。

いた様にぽっかりと空いた穴からは、小さな白い砂糖菓子の様な物も見える。

別のビニール袋には青白く細長い物が数本束ねられ、無理矢理曲げられた為か白い棘が突き出ている。

そしてその肉塊の奥にあるのは、更に大きな肉塊。

五箇所ある断面は黒く変色し、対照的に白い管が通っている。

全てを繋ぎ合わせる事で元の形は想像出来るが、脳がそれである筈はないと拒絶する姿。

小鳥遊はこれ以上の惨状を目視した経験が幾度とある為、ここならばそういう事もあるかも知れない、と軽く受け止める事が出来た。

しかし他の二人は違う。この冷蔵庫を教える事で無駄に恐怖心を煽るだけになる。

自分と違い、鷲北も朝凪も普通の人間なのだ。

そう思い、小鳥遊は何も言わず閉めた。

二人がここを開けない事を願って。


 寄せ集めたように並べられた写真から、報告書に記されていなかった犯人と両親の関係を導き出せるやも、と思い収納棚に近づく鷲北。

並んでる写真に時系列は関係ないらしく、見つけた写真を片っ端から写真立てに収めている。

まるで時間が経つにつれ忘れていく思い出を、綺麗な思い出のままここに縛り付けているようだ。

犯人と両親が肩を並べて笑う写真、幼い日の犯人が校門前で緊張している写真、楽しそうに草原でピクニックをしている写真、これだけ見ていたら理想的な家庭なのかもしれない。

しかし、この写真達の所々に黒いインクで塗り潰されている箇所がある。

この塗り潰されたものは、犯人にとって”必要のない”ものであり”邪魔”なものである事は容易に理解できる。

 ふとある写真に違和感を覚えた鷲北は、その写真を手に取った。

飾られているのは家の前で撮られた家族写真らしく、先程見た家の外観とは違い暖かな雰囲気があった。

綺麗に剪定されている庭木を見ると、現在の状況との違いに時の流れを感じる。

 写真立ての裏を見ると、テープで何か貼り付けられているのが分かる。

薄いビニール生地で包まれているSDカードだ。

ここに貼るという事は、誰かに知ってほしいが自分から告発する気にはなれない、という意思の表れなのだろう。

この家に訪れるであろう限られた人物。当然ながら鷲北もそこに含まれている。

鷲北は事務所に帰ってからSDカードの中身を確認する事にした。


 彼是かれこれ十分は何もない廊下を眺めている朝凪。

次第に目も慣れ、廊下の奥まではっきりと見える程だ。

このまま何も出現しなければ、二階に二匹共いるか小鳥遊の思い違いで事が終わる、そう考えていた時。


廊下の一番奥、階段の正面にあるドアが突如開かれた。


 開け放たれた衝撃でドアが壁にぶつかり、大きな音を立てた為に離れていた小鳥遊や鷲北にもその音は聞こえた。

一同は突然の物音に驚いたものの、平静を保ちつつ低い姿勢をとった。

朝凪は二人に、その場で待て、とサインを送り開けられたドアを警戒した。

 静寂の底から聞こえてくる足音。

ゆっくりと姿を覗かせるその存在は、朝凪が今まで見た何よりも不気味な相貌をしていた。

水掻きが付いた手足、裂けるように開く口から見え隠れする鋭い歯。

暗い廊下で妖しく光るぎょろりとした目は、周囲を忙しなく動かしている。

これは本当に現実なのか、朝凪は目の前の理解し難い異形の者に身震いをした。

 しかし、彼の異形が何処へ行くのか、それだけは確認しておこうとドアに張り付いた。

一歩進む度に体のひれを揺らし、数歩進むと立ち止まり周囲を見回した。


ぎょろり、ぎょろり


その目は何かを見ないではいられない様に、絶え間なく動かされていた。

一瞬、朝凪は彼の異形と目が合ってしまった。

朝凪は瞬時にドアを閉めた。

心臓が早鐘の如く加速していく。


ペタン、ペタン


ドアの向こうから聞こえてくる足音がやたら大きく聞こえる。

頬を伝う汗だけが冷たく流れる。

冷静を装いつつも、自分の”相棒”に添える手が震える。

一呼吸置き、再びまたドアを開ける―――。


すると廊下には何もいなかった。


こちらの存在に気づかれた、と思ったが気のせいだったのだ。

肩の荷が一気に下りた感覚だ。

 朝凪は大きく息を吐き、二人に大丈夫だと知らせるように天井に親指を立てて見せた。

その様子を見て鷲北は安堵し、ほっと胸を撫で下ろした。

そして小鳥遊は、先程の朝凪の行動で一つ分かった事があった。

「ねぇ、二人とも。ボク天才だから気づいちゃったんですけど」

と声を出して言った。

おい、バカ、やめろ、と言いたげな身振りをする鷲北の静止を無視し、キッチン近くのドアを開け、廊下に出て歌いだした。(余りにも酷い歌だった為、ここでは曲名を記さないとする)

 あの大馬鹿が、と言いたい気持ちを抑え朝凪と鷲北はそれぞれ武器を構え、廊下へ踊り出た。

しかし、廊下には素っ頓狂な歌を歌っている小鳥遊だけだった。

ぽかんとしている二人に向かって、小鳥遊がにぃと笑ってみせる。

「彼、音が聞き取れないんですよ」

その証拠に、とまた廊下で歌いだした。

暫く頭に残りそうな変な歌、人によっては同じフレーズの繰り返しで気分が悪くなるだろう。

好き嫌い差し引いても、今まで無音だった場所から歌が聞こえてきたら気になって見に来るはず。

それが姿を現さないとなれば、どうやら本当に彼の異形は音が聞こえていない様だ。

「分かったから、その歌やめろ」

呆れている様な、怒っている様な顔で朝凪は言った。

「大丈夫ですよ、いざとなったら皆で力を合わせたら良いんですから」

そう言って二人のもとに駆け寄る。

小鳥遊も朝凪も相手の状態や対処方法が把握出来たからか、先程までの緊張感は消えていた。

寧ろ自然体と言っても過言ではない。

しかし、鷲北には未だ漠然とした不安が残っていた。

「よく考えれば、ボクのお仕事は彼らの”始末”なので早々に遭遇した方が楽ですね」

うっかりしていた、と言うように舌をちろっと見せる。

単純明快、といえば聞こえは良いが短絡的とも言える。

鷲北としてはなるべく安全に事を済ませたい、そう思っていたがどうやら無理らしい。

相手がどんな姿をしているか分からない鷲北は、どんな者が出てきても良い様に身を引き締めた。


 すると、小鳥遊の背後の扉がまた勢いよく開かれた。

朝凪は先程と同じ開き方をしている事から、恐らく彼の異形だろうとすぐに気づいた。

小鳥遊はすぐさま振り向き、彼の者が姿を現す前に戦闘体勢を整えようとしたが足が縺れてしまい、開いた扉の方を向いて尻餅を付いた。

「いたた……」

朝凪は横に座り込んだ小鳥遊を横目に舌打ちし、背負っていた猟銃を構えた。

出会い頭に攻撃されても応戦できる様に。

 開かれた部屋は脱衣所らしく、洗面台の鏡から彼の者が見え隠れする。


ペタン、ペタン


粘着質な何かが近づいてくる音。

一歩、また一歩と何かが進むにつれ、少しずつその姿を露わにしていった。

 手足には鋭いかぎ爪、本来水を掻くはずのそれは風を切っている。

のそり、のそりと動かされる醜く大きい足は、座り込んでいる小鳥遊の足を容易に折ってしまえそうな凶暴さを秘めていた。

天井に届きそうな程の大柄さと、ぶよぶよとたるんだ肢体からは酷い悪臭。

 そして、異形の怪物は大きく見開かれた目玉で三人をとらえた。

刃物で裂かれた様に大きく広がる口で、脳をビリビリと震わせる様な奇声を上げた。

それは声というには余りにも破壊的で、音が無数の針となり全身に刺さる様な感覚を与えた。

 何度見ても見慣れない、そんなおぞましい存在が三人の前に現れた。

想像していたものより何倍も気味悪く、言葉に表せない嫌悪感が鷲北を支配した。


こんなものが、本当に今この世に存在しているのか―――とただ立ち尽くす程に。

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