来訪者
あれからカレンダーは進み、印付けされた日になった。
小鳥遊くんと会う日だ。
なるべく事を早く進めたい私は、空港の到着ロビーで待つことにした。
人々が忙しなく右往左往する中、私だけが温かい缶コーヒーを片手にゆったりとベンチに腰かけている。
こうも周りが慌ただしいと、自分も何処かへ足早に向かわねばならない気分になって仕方がない。
だからこそ片手にコーヒーを持っているのだが。
するとポケットに入れたスマートフォンにメッセージが届いたようだ。
一体、誰だろうか。
恐る恐る見てみると、小鳥遊くんの名前が目についた。
「いまどこですか」
あれ、教えてなかったっけ。まぁ、いいか。
「到着ロビー」
送信後、すぐに既読が付き返事が来た。
「たくさんあります」
それもそうか。
仕様がないので、近くの目印になりそうな物を撮影して送った。
多分、分かるだろう。
願わくば、コーヒーが無くなるまでに来てほしいものだ。
しばらくして、見知った顔がこちらに歩いてくるのが見えた。
紺鼠の短い髪と空色の瞳。平均よりやや高い背丈で中性的な顔立ちの日本人。
黒いスーツに黒い旅行鞄で、明らかに旅行客ではない風貌だ。
「やっと見つけましたよ」
「やぁ、手間を掛けたな」
「全くです。ボクみたいなベッラに出迎えもなしなんて」
信じられない、というように肩を竦めているが、私は今まで一度たりとも小鳥遊くんを女性として接した事はない。そしてこれからもない。
もはや、目の前の「小鳥遊 紫」という人間は本当に人間なのかと疑っている程だ。
「それで、これから何処に行くんですか?」
「特に決めていない。だが、話せる場所は限られているのだろう?」
「えぇ、仮にも極秘事項なので」
少し得意気に言っているが、機密さで言えばいつもの仕事と変わらないだろうに。
「行く当てはあるのか」
「もちろん、今から電話しますよ」
そう言ってスマートフォンに耳を当て、何やら話し始めた。
人の会話を盗み聞きする趣味はないので、冷たくなったコーヒーをちびりと飲んだ。酷い味だ。思わず持っていた缶を見直した程だ。
コーヒーは温かい内に飲むのが一番だと噛み締めつつ、残りのコーヒーを飲み干した。
賑やかな街並みから少し外れた所にある、こじんまりとした建物の前に来た。
家というには不適切だが、店というのもおかしい様な気もする。そんな建物だ。
小鳥遊くんが何を考えてここに連れてきたのかさっぱり分からない。
チャイムを鳴らすと、しばらく間を開けてドアが開いた。
中からは背が高く、凛とした顔立ちの女性が出てきた。
ハイネックにジーンズという恰好で、長い黒髪をハーフアップサイドにしている。
顔に大きな傷がある事以外は、普通の一般人のようだ。
見定めるように私をじっと見て、それから一瞬だけ小鳥遊くんを見て苦虫顔をしていた。
当の小鳥遊くんはニコニコとした顔をしていたが。
「……いらっしゃい」
不愛想だが、どうやら入れてもらえるようだ。
小鳥遊くんとの関係が気になるが、詮索するのはよしておいた方が身の為というもの。おとなしく招かれるとしよう。
建物の中は床がコンクリートになっており、土足のまま部屋まで案内された。
コツコツと不揃いの足音が続き、廊下の一番端の部屋に通された。
「ここ、使っていいから」
コンコンと扉をノックしながら教えてくれた。
「どうも」
「はーい」
「紫、部屋汚すなよ」
「分かってますよぅ」
勿論、と言わんばかりの表情だが、誰がどう見ても理解出来ていない雰囲気がある。
「……飲み物、取ってくる」
と言い、女性は立ち去っていった。
部屋は窓と机と椅子だけの簡素なものだった。
机は四人掛けで一番奥に小鳥遊くん、その横に私が座った。
あくまで私は小鳥遊くんに付いてきただけなのだから。
程なくして、先程の”海”と呼ばれた女性が飲み物を運んできてくれた。
お盆には人数分のコップとクールピッチャーが乗せられているようだ。
彼女は机にお盆を置き、何故か私の正面に座った。
そして、ポケットから名刺取り出した。
「はじめまして、
「これはどうもご丁寧に。鷲北 雲南です、弁護士をやっています」
「なるほど。それじゃあ本題に入ろう」
「おや、私が話相手ですか?」
「あぁ、紫は話にならない」
恐らくそれは経験からの確信だろう。
「しかし、私も詳しい話をこれから聞く所で」
「……ふん」
納得したのか、小鳥遊くんの前に移動した。
「ほら、話せ」
「お水貰っていいですか?」
無言のままコップに水を注ぎ、タンッと小鳥遊くんの前に置いた。
それを嬉しそうに飲む小鳥遊くん。少し苛立ち気味な朝凪さん。
「話せ」
「ボク、お菓子食べたいなぁー」
朝凪さんはガタンと音を立てて席を立ち、足早に部屋を出て行った。
しばらくして、お皿いっぱいにビスケットを載せて持ってきた。
そして例の如く音を立てて置いた。
「わぁーい」
もごもごと美味しそうに頬張っている。まるでリスだ。
「話せ」
「えっふぉれふねぇー」
「食ってから話せ」
ギリィと言う歯ぎしりが聞こえてきそうな剣幕だ。
見てるだけの私の方が身震いしてしまいそうだが、当の本人はビスケットを噛み砕いている。
「あぁ、美味しかった」
「早く話せ」
「そればっかりですね、もっと違う事も言ってくださいよ」
「口縫い合わせて頭に新しい口作ったら喋ってくれるか?」
「物騒だなぁ、もっと優雅にいきましょうよ」
そう言った小鳥遊くんは、先程まで口いっぱいにビスケット食べていた。
どこが優雅なのだろうか。
「それじゃあ、お話しましょう」
水を一口飲み、語り始めた。
「結論から言うと、この事件はボクの専門だと思っています。
犯人の不可思議な発言、現場の状況、帰還した子供の証言。全てに共通して犯人の”ご両親”が鍵に関係しているんです。
しかし、書類上では亡くなっているし、現場である自宅では見つけられなかった。
犯人逮捕時に突入した警官数名が家の中で違和感を感じ、その内の一人は気が狂ったのか、謎の言語を何度も呟き続けているそうです。
正気を保っていた警官曰く、家中が妙に生臭く、床は大量のナメクジが這ったような跡があったと言うんです。
しかも、犯人がいた部屋を除いて全ての扉が何故か開かないらしいです。
狂った警官を担当した優秀な精神科医も”これはさすがにムリよ、ユカリがなんとかして”っと匙を投げる程です。」
精神科医と聞き、朝凪さんが呟いた。
「……
小鳥遊くんはそれに無言で頷き、話を続けた。
「恐らく、ボクと蒼空は同じ考えの筈です。犯人のご両親は人間ではありません」
「人間じゃないとしたら……あいつらか」
「あいつら?」
私にはオカルト的な知識はない。彼女たちが出した結論に私だけ辿り着けないでいた。
「鷲北さんはご存知ないかもしれませんが、私たちは度々遭遇しているんです。専門的な言葉を使えば”神話生物”と言います」
「神話生物?」
聞き慣れない単語だ。
「あいつらに遭遇するのは紫のせいだけどな」
「酷いなぁ、ボクは何もしてないですって!」
「どうだか」
二人とこの場にいない精神科医との関係性が見えてきた気がする。
恐らく今回だけに留まらず、今までにも彼の生物と遭遇してきたのだろう。
「今更だが、これは私が聞いても良かった事件なのか?」
朝凪さんは自分のコップに水を注ぎながら、小鳥遊くんに尋ねた。
ふと、小鳥遊くんの方を見ると朝凪さんから目を逸らすように明後日の方向を見ている。
口笛を吹くように唇を尖らせているが、音は出ていない。
「……また私は巻き込まれたのか」
これに関しては明らかに小鳥遊くんが悪い。
電話で何度も”極秘任務”だと言っていたのに、一般市民に口外したのだから。
仕事でもない限りこんな面倒事に関わりたくないものだ。
「じゃあこうしましょう!ボクが個人的に優秀な探偵に知恵を拝借した!それがたまたまボクの友人の朝凪海だった!」
「紫、それはさすがに強引すぎる」
「もし事実だったらすごい偶然だな」
朝凪さんと私は、目の前の”秀才”に呆れるばかりだった。
「ボクがそれで良いと言ったら良いんですぅ~、司祭だって神様だって赦してくれるんですぅ~」
エアクオートしながら言っているが、朝凪さんが巻き込まれた被害者である事に変わりない。
「さて、小鳥遊くん。犯人のご両親がその”神話生物”だとして、私は担当刑事にどう報告すればいいかね」
「その辺は適当に書いていいですよ。ボクの仕事はそれらを追い返す事だけですから」
「全くもって無責任だな、君は」
「いつもだよ、こいつは常に自分を一番に考えているんだ」
同意の意を込めて無言で頷いた。
「失礼だなぁ、市民の安全を確保する為に来てるのに!」
あまりそう見えていないのが事実だが、小鳥遊くんがいなければ得体の知れない生物が野放しという事になる。
「そこは一先ず置いておくとして、ボクはこれから現場に行ってみようと思っています」
「今からか?」
小鳥遊くんは真剣そのものだが、私と朝凪さんは信じられない、という様に目を見開いている。
壁に掛けられた時計は午後十時過ぎを指している。
これにはさすがの私も止めなければならないと思った。
「善は急げと言うがな、夕食を食べてきちんと寝た方が余程賢明だと思うぞ?」
「でも早く解決したいって言っていたじゃないですか」
「だが食事と睡眠は大事だ。これだけは譲らない」
正直に言えば、気を引き締めて置かなければ瞼が閉じてしまう。それにもうじきコーヒーの効果が切れてくる頃だ。
「同感、私も晩飯はまだなんだ。良かったら何か作ろうか」
「やった!ボク、海のご飯大好きです!」
「私、何か手伝いましょうか」
「じゃあ鷲北さんは食後の洗い物を頼みたい。紫は……」
と言って、小鳥遊くんをじっと見つめ、少し考えている。
「机拭いてくれ」
小鳥遊くんは任せとけ、と言わんばかりに大きく頷いた。
任せられている役割は小学生以下の様な気もするが……。
「それじゃあ、ちょっとばかり行ってくる」
「ボクは布巾貰いに行きましょう」
そうして二人とも立ち上がった。
部屋を立ち去る前に一声
「ご馳走になります」
とかけた時、朝凪さんの口元が僅かに綻んだのが分かった。
「あぁ」
短く返事して扉は閉まった。
朝凪さんは料理が好きらしい。
私は鞄から愛読書を取り出し、文字の世界に浸り込んだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ねぇ、海。一つ聞いていいですか?」
「なんだ」
小鳥遊は横に立つ朝凪に問いかける。
「なんでバスルームなんですか?」
「
「なんで吊るされてる魚は息してるんですか?」
「絞めずに
ニヤリと不敵な笑みを浮かべる朝凪と、潰れたカエルを見るような顔で目の前の食材を見る小鳥遊。
どうやら今日の夕飯はあんこう鍋のようだ。
時を遡ること5分。
机を拭き終わった小鳥遊は、借りた布巾を元の場所へ戻しに行った。
しかし、台所に行くと朝凪の姿が見えない。
トイレにでも行ったのかなぁ、と思いながら布巾を洗って干した。
すると、違う部屋から何かが滴る音が聞こえた。
小鳥遊は持ち前の勘でその場所を探り当てる。バスルームだ。
扉は開いており、少し見えた床には得体の知れない肉塊が目に付いた。
不穏な気配を感じた小鳥遊はバスルームに飛び込んだ。
そこには床がブヨブヨした肉塊で散らばり、パクパクと口を開閉している”あんこうらしきもの”を捌く朝凪の姿があった。
”らしきもの”というのも、ほとんど肉が削ぎ落されている状態で、原型をあまり留めていなかったからだ。
「紫か、脅かすなよ」
小鳥遊に気づき、手を止めた朝凪。
「え、これ……なに?」
混乱しているのか、言葉を詰まらせた。
「何って、今日の晩飯だよ」
バスルームの明かりが反射し、余計に鋭く見える出刃包丁。
逆光で顔が暗くなり、いつも以上に不気味な笑みを浮かべる朝凪。
あんこうの吊るし切りに
色々な感情が混在している頭の中で、小鳥遊はようやく口に出来る言葉をみつけた。
「お、美味しそう……です、ね」
そして最初の会話に戻る。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ごちそうさまでした」
私と朝凪さんはそう言って手を合わせ、小鳥遊くんは十字を切った。
とても新鮮だと言うあんこうの鍋、締めのおじやはとても美味しかった。
後日、菓子折りを持って行かねば。
しばらく食器を重ねる音だけが響き、まとめた食器を持ち上げた。
「それじゃあ、洗い物はよろしく」
「分かりました」
「食器は私が片付けるから」
そうして朝凪さんも立ち上がった。
それに続くように小鳥遊くんも
「ボクも何か手伝います!」
と言って立ち上がった。
「じゃあ皿でも拭いてろ」
やけくそのように役割を与えていた。
三人でぞろぞろと台所に向かい、それぞれ持ち場についた。
私も朝凪さんも寡黙に作業するタイプなのか、台所は小鳥遊くんの他愛もない独り言で埋め尽くされていった。
外はすっかり暗くなり、遠くの街灯が物悲しく道路を照らしている。
少し風がある程度だが、気持ちの良い夜だ。
「それじゃあ、ボクはここに泊まります!鷲北さん、また明日!」
「はぁ?」
小鳥遊くんの勝手な思い付きだったのか、朝凪さんは驚愕の表情を隠せないでいる。
「いいでしょ、減るもんじゃないですし!」
「食材は減るけどな」
朝凪さんは肩を竦めて呟いていた。
「では、
私は会釈して車に乗り込んだ。
ふと、窓を見ると小鳥遊くんが顔を近づけていた。
不意の事で驚き、体がビクついた。
「おやすみなさーい」
笑いながら手を振る彼女には、少しも悪意はないらしい。
「良い夢を」
そうして私は、明かりが灯る街の方へ車を走らせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます