男の証言
「いい加減、本当の事を言ったらどうだ」
鋭い目をした刑事が諭すが、向かい側に座る男はヘラヘラと笑いこう答える。
「だからぁ、ボクは親子三人で仲良く住んでるだけだって言ってるじゃないですかぁ」
濁った瞳からは生気が感じられず、彼の発言から事件の真偽を確かめる事は難しいだろう。
「その一緒に暮らしているという御両親は家にいなかったが、何処にいるんだ?君を置いて旅行にでも行っているのか?」
刑事は手元の資料を見ながら更に質問する。
「いや、ちゃんと家にいる筈ですよ?ちゃんと見たんですか?」
少しムッとした様な表情で刑事を睨む。それはまるで小さな事で怒られた子供だった。
「俺の同僚が間違った報告をするとでも言うのか」
皮肉っぽく笑い、更に言葉を続けた。
「それとも、お巡りさんを
それを聞いて男は怒りを覚えたのか、僅かだが瞳孔が開いた。
「ボクは人に嘘をついてはいけないと教えられました。今も言いつけ通りに守ってますよ」
先程まで浮かべていた締まりのない笑みは消え、邪険な雰囲気を匂わす表情へと変わった。しかし刑事はそんな変化を物ともせず、それとなく矛盾点を突きつける。
「今、嘘をつかないと言ったな?」
刑事はここぞとばかりに畳み掛け、男を追い詰める情報を開示する。
「近所の人に聞いた、悲しい事故があったんだってね……それで君の大切な人を2人も亡くしたとか」
憐れみの表情を浮かべながら、男の様子を伺った。
明らかに動揺しているのが伝わる程で、酷く緊張しているのか体を震わせ始めた。
「可哀想にねぇ、亡くなる次の日は家族旅行に行く予定だったらしいじゃないか」
そう言いながら刑事は手元の資料を見つつ、男に憐みの表情を浮かべた。
男は机に両肘を付き頭を抱えた、それから消え入りそうな声で呟きだした。
俯いたまま小さな声で呟いている為、音がくぐもり聞こえづらいものだった。
刑事は殆ど聞き取れなかったものの、辛うじて「ボクは一人じゃない」「父さんと母さんはいる」「早く帰らなきゃ」という言葉は聞こえた。
その言葉が持つ真に意味するところは、この時の刑事は気づく事も出来なかった。
真実に気づくのはあの家を直接見た者。それだけだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
とあるビルの小さな弁護士事務所。表向きに弁護士の看板を掲げている訳ではなく、人伝に聞いて訪ねて来る人が殆どだ。
来客も少ないので、この事務所唯一の弁護士である
この事務所をあまり公にしないのには、二つの理由がある。
一つ目はこの事務所が鷲北の自宅でもあるという事。二つ目は弁護する者の殆どが犯罪者である事。
鷲北は事件の中でも特に危険な"殺人事件”を弁護する事が多い。償える事の無い罪を犯した者の弁護をするのだ。犯人にどんな事情があろうと、被害者にとっては犯罪者と同様に罰を軽くしようとする弁護士も憎き相手となるのだ。
その為、事務所の連絡先は特定の者にしか知らせず、このビルの管理人には適当に誤魔化している。
最近は大きな仕事もなく、今日は簡単な書類を片付るだけで暇になった。
特に何か思い付かないので、淡々と流れるニュースを見る事にした。
夕方のニュースと言っても、殆どが朝の再放送をしている様なものだ。特に平和で穏やかなこの国では「〇〇で催し物があった」事や「花が綺麗な場所は〇〇」というものばかりで、まさに平穏そのものだ。
ぼんやりと他愛もない映像を眺めていると、固定電話が鳴り出した。
突然の事で椅子から転げ落ちそうになったが、何とか体勢を整え電話に出た。
「もしもし」
「おぉ、鷲北。今、大丈夫か?」
電話の向こうは顔見知りの刑事だ。仕事で何度か依頼を受けたことがある。
「大丈夫だが、どうかしたのか」
大方、暇だからとゴルフか釣りにでも連れていこうとしているのだろう。しかし、鷲北の予想に反して仕事の用件だった。
「実はな、厄介な奴をお前に弁護してほしい」
「厄介?」
「あぁ、詳しくは会ってから話すが……何とも言い難い事件なんだよ、これが」
「お前がそんなに口を濁らせるとはね。分かった、引き受けよう」
「それではな」
と言って電話は途切れた。
「ふむ、厄介ねぇ……」
予想しうる限りの心構えをしておくが、恐らくこれは無駄だろう。
”予想はいつだって空想に過ぎず、空想はいつだって現実に負けるのだ”
しばらくして、また電話が鳴った。
今度は一体誰だ……。
少し嫌な予感がしたが、一先ず電話に出るとしよう。
「もしもし」
「こんにちは、こんばんは、おはようございます!」
元気で勢いのある声で、思わず耳から受話器を遠ざけてしまった。
電話の主はよく知っている人物だ、付き合いは長いが何を考えているか分からない。
平たく言えば、謎の多い存在だ。
「そちらが今何時か分からなかったので、一応全部言っておきました!お久しぶりです、鷲北さん」
「あぁ、久しぶりだね。
一ヶ月程前に仕事を共にした後、彼女はすぐにイタリアへ帰ったらしい。
あまり賢そうに聞こえない電話かもしれないが、あれでも優秀なエクソシストだ。
「突然ですが、最近妙な仕事来ませんでした?中々に物騒な事件です」
「鋭いなぁ、何処からその情報を?」
「あはは、一般には極秘なので教えませんよ。その口振り的に当たってますね」
「つい先程連絡が来たばかりでね、詳しい事は知らないが」
どうせ誤魔化しても向こうにはいくらでも情報は行くのだ。
「なるほど、きっとまたボクと一緒の仕事ですよ。悲惨な誘拐殺人だそうです」
「あぁ、確かそんな風に言われた気がする」
「そして、今回の一番奇妙なのは彼が言う”両親”の事なんです」
「ほほぅ」
「何でも書類上では彼は”一人暮らし”だそうです」
「うん?それは奇妙だな」
「奇妙でしょう、怖いでしょう、恐ろしいでしょう?」
電話越しからは怖がっている風に聞こえない、むしろ楽しみにしているようだ。
「どういう事なんでしょうね、彼の”ご両親”って」
「さぁな、調査していけば分かるだろう」
「そうですね、きちんと調べなきゃお仕事出来ませんからね」
まぁ、こちらとしては仕事は早く片付けたいのだがね。というのは胸中に収めておく事にする。
「情報共有の為に連絡したのですが、そちらは何もありませんか?」
「あぁ、こっちは何もなしだ。君は情報が早いんだな」
「えぇ、ボクは秀才なので」
おいおい、それは言いすぎな気もするぞ。
一呼吸置いてあちらから切り出した。
「明後日、日本に着く予定なのでその時にまた」
「分かった、覚えておく」
「よろしくお願いしますね」
そうして電話は切れた。
なるほど、また彼女との仕事か。確かに厄介な事件らしい。
ようやく電話が終わり、空気が抜けるように椅子へ座りこんだ。
「小鳥遊くんが関わると奇妙な事が起こるからなぁ」
明くる朝。玄関チャイムで目を覚ました。
枕元にあった時計を見やると、午前7時を少し過ぎた所だった。
しばらくして、急かす様にチャイムが鳴り響いた。
「はいはい、ちょっと待ちなさい」
乱れた服装を整えながら足早に玄関へ向かった。
もう一度チャイムが鳴るか、という所で扉を開けた。
「おっと、随分寝ぐせが酷いな」
昨日電話で話した刑事だ。
「そうだ、まだ寝ていたかった」
「それは悪かったな。詫びと言ってはなんだが、これ食べてくれ」
そう言って何処かしらのケーキの袋を渡された。
仄かに甘い香りがした。
「あぁ。コーヒーを淹れよう」
「ありがとう」
「さて、話をしようじゃないか」
ケーキを食べる手を止め、刑事の言葉に耳を傾けた。
「どうぞ」
「じゃあまず、これを渡しておこう」
と言い、革カバンから分厚い書類の束を渡してきた。
「おっと、こんなにあるのか」
「仕方ないだろう。全部まとめるとこれだけになるんだ」
全部読め、という様な目で訴えてきた。
「ありがたく読ませてもらおう」
思っていたより重く、とりあえず膝の上に乗せた。
「その資料を読めば分かると思うが、特に重要な物を伝えておこうと思う」
上着の内ポケットから手帳を取り出し読み上げ始めた。
「まず、彼は自分を”両親と仲良く暮らしている学生”だと言い、これに関して嘘は言っていないという。更に、誘拐された子供たちは”ちゃんと家に帰した”と言っていた。
しかし、実際に生還出来たのは一人だけだ。
可笑しな話だが大問題だ。奴は自分のしでかした事を覚えてないんだよ。
あくまでこれは俺の見解だが、彼は何かに恐怖を覚えているのだと思う。これには彼の家族の死が関係している筈だ。
取り調べ中、
詳しい現場は彼の家に行けば分かると思うが、近隣住民からの証言は書類にまとめてある。」
そう言って手帳を閉じた。
「なるほどな」
「それじゃあ、俺はこれから仕事があるから」
どっこいしょ、と聞こえてきそうな動きでソファから立った。
「そうか、ではケーキは私が全部頂くとしよう」
「いや、俺の分のケーキはちゃんと食べていくとも」
と言いフォークを手に取り、大きく切り取り大口で食べ始めた。
「もっと味わって食べれば良いものを……」
そう言いつつ、私は洒落たケーキをちまちまと食べた。
冷めたコーヒーを温めなおし、今回の仕事について考え直してみる。
まず、私は凶悪な殺人鬼とも言える男の弁護をしなくてはならないそうだ。
この国の法では彼の殺人鬼は保護対象年齢になるらしく、彼自身は”何も悪い事はしていない”と主張しているらしい。
彼の言い分は恐らくこうだ。
「ボクは両親と仲良く暮らしていた一般的な学生です。こんな善良な市民が人を殺すはずない。ボクは何もやってない。助けてください」
まぁ、彼の言い分がそのまま通り、何事もなかったかのようにお家へ帰れる訳がない。
そもそも彼が行った
今更誰がそんな話を信じるのだろうか。
しかし、彼の奇妙な言動からして不可解な存在が介入しているのは明らかで、もしかすると彼は本当の事を言っているのかもしれない。
正確な事は分からないが、小鳥遊くんの来日を待っていても良いだろう。
それまではこの分厚い書類を片付けるとしよう。
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