4 トラック1『金を出せ』トラック2『騒ぐと殺す』

「わたしもさ、ユニフォームを着た方がいいんじゃないかな」

「なんで?」

「いや、わたしだけ、こう、学校の制服っていうのもあれじゃない」

「桃瀬はお客さんが来ても、接客できないだろ?」

「できるわよ!」

「レジ打ちは?」

「できないけど」

「商品陳列は?」

「それくらいなら、できるんじゃない?」

「でも、陳列は見た感じもう終わってる」


 棚にない商品を店の倉庫から持って来て補充する「品出し」と、店の商品の陳列を直し、売れた商品を手に取りやすいように前に出す「前出し」というものがある。そのどちらも、今日はすでに藤崎さんがやってくれているので、必要がなさそうだった。


「サッカーだってさ、サポーターはフィールドでプレイするわけじゃないけど、ユニフォームを着て応援するじゃない? それと同じよ。わたしもユニフォームを着た方が、応援に熱が入ると思うのよ。応援されてる、ってわかる方が頑張れるでしょ?」

「暇なキーパーに、熱の入った応援はいらない。レジ打ちできないし、店の商品のことを訊かれて答えられないユニフォーム姿の人がいたら、お客さんが混乱する。サポーターにセンタリングを上げられても、シュートは打てないだろ?」

「挨拶くらいならできるわよ?」


 そのとき、電子音と共にすーっと自動扉が開いた。桃瀬が、ユニフォームも着ていないのに、「いらっしゃいませー」と言って頭を下げた。慌てて僕も頭を下げる。


 頭を下げ、頭を上げる。


 それだけの動作をしただけのはずなのだが、手品でも見ているかのように、一瞬でがらりと光景が変わっていた。


 頭を上げてみると、灰色のパーカーに紺のダウンベストを重ね着し、黒いジーンズを履いた男が立っていた。ポイントは頭がすっぽりと目と口だけ出す帽子、目出し帽で覆われていたことと、左手には銀色に輝くナイフが握られていること、桃瀬の首筋にそのナイフが突きつけられていることだ。


『強盗だ。金を用意しろ。通報、抵抗するならお前を殺す』

「はい?」


 ――このシーンから始まった。

 男が右手にあるレコーダーっぽい装置のボタンを押したら、声が流れてきた。僕はそれと似たようなものに、見覚えがあった。林田が自分のギターの演奏を録音するときに使っていたものに似ている。

 どうやら、事前に音声を録音してきたものを、再生しているらしい。きっと、トラック1『金を出せ』トラック2『騒ぐと殺す』みたいになっているのだろう。ドスの利いた低い声だったので、思わず姿勢をただす。


「え? なにこれ?」


 桃瀬が自分の首筋にあるナイフと僕を交互に見てくる。いや、僕も知らんよと首を振る。


『金を用意しろ』


 男が更に音声を流し、レコーダーを持つ右手でレジを指し示す。いつの間にか、レジにはセカンドバッグが置かれていた。頭を下げただけだと言うのに、状況がだいぶ変わったものだと驚く。


「ちょっと、女の子としてどうすべきなのかな? 悲鳴とかあげた方がいいの?」


 動揺しているのか、それとも間が抜けているのか、桃瀬がそう訊ねてきた。


「そうしてくれよ」


 そう答えながら、あれこれ逡巡する。自分の記憶違いか、不勉強かと思ったが、そもそも根本から僕はこの問題を解決できそうにはない、と気づく。大人しく強盗の言うことに従う他ないようだ。


『騒ぐな、騒ぐと殺す』


 男のレコーダーから、再び低い声が聞こえる。


「すいません」


 二台あるレジの、一台目を開ける。

 お札は少々、小銭は割と入っていた。これは、割に合わない仕事ではないか? と強盗を見る。わざわざ強盗しても、これではスズメの涙だ。なんだか、強盗に対して申し訳ないような、恥ずかしいような気持ちになった。「え? お前のとこ、ここまで儲かってないの?」と思われてしまいそうだ。いや、そもそも大金がほしいのなら、コンビニではなく、銀行に行くべきだ。強盗に、ちょっと家にない物を買いに行く感覚でふらりと立ち寄られたら困る。


『札も小銭もだ』


 男のレコーダーから再び声が流れる。僕はせっせと言われた通りに、札や小銭を掴み取り、男のバッグに放り込んでいった。ちらりと確認したが、強盗は特に驚いている様子はなかった。しかし、その目出し帽の下では、それっぽちかよと目を丸くしているのではないだろうか。


 桃瀬を見る。彼女は口をぎゅっと結び、僕に熱い視線を送ってきていた。ユニフォームは着ていなくても、心は一つらしい。熱い応援をしているつもりなのかもしれないが、プレッシャーを感じる。


『隣のレジもだ』


 二台目のレジに移動する。普段、店員は最低でも二人いるのだが、この時間は余程混雑しない限り、レジを二台は使わない。一人がレジで客をさばき、もう一人が商品の陳列を直す、という役割を分担しているからだ。

「隣のレジをご利用下さい」とプレートが立っているが、隣のレジはやられたので、今度はこっちのレジの番だ。


 軽快な音と共に、レジの中が露わになる。二台目のレジの方には、お金が割とギッシリと入っていた。よかった、と僕は内心でほっとする。これだけあれば、店が馬鹿にされずにすむし、桃瀬も何事もなく解放されるのではないだろうか。


『早くしろ』


 お札と小銭を、掴んでバッグに放り込む。コンビニ店員で、この作業をやった人は過去を振り返ってもあまりいないだろう。

 金を移しながら、合計いくらになるだろうか、と考えを巡らせる。三十万には届いたかもしれない。


 作業には、五分ほどしか掛かっていない。褒めてもらいたいくらいだが、強盗が褒めてくれるとは思えない。金の入ったバッグを、強盗の方へそっと置いた。


「終わりましたよ」


 強盗はポケットにレコーダーをしまうと、バッグを取ろうと前屈みになった。が、バッグを掴もうと手を伸ばしたまま、動作を止めて固まった。何かを警戒しているのか、思案しているのか、不思議な間を置いている。


 僕は何もしていないし、桃瀬も特に何もしていない。 


 店の中をぐるりと見回す。特に異常はない。天井についている防犯カメラと目が合った。この薄情者め、とカメラに内心で毒づく。見ているだけかよ、と。


 しかし、今のは何だろうか。どこかで見覚えがあるような気がする。そうこうしている内に、強盗は今度はゆっくりと、右手でそっと恐る恐るといった様子でバッグを手に取った。


 じわじわと店の出口の方へと後退していく。自動ドアが強盗を感知して、すっと開かれると、強盗は桃瀬を前に押し、その反動を利用するかのように颯爽と店から出て行った。闇に溶け込み、姿を目で追えない。


 レジを出て、桃瀬に近寄る。へなへなと座っている桃瀬の肩に手を置き、「大丈夫か?」と訊ねると、桃瀬は緊張と興奮の入り交じった様子で「人質になるのは、人生初」と笑った。


 ゆっくりと、桃瀬を起き上がらせる。強がってはいるものの、かなり不安だっただろう。二人とも、解放されたというのに、何故か喜びに浸るというより、無気力状態になっている。


 さて、これからどうしたものか、と桃瀬を支えながら考えていると、再び自動ドアが開いた。入店を知らせるピンポーンという電子音が鳴った。まさか、また強盗ではあるまいな? と身構えると、そこには年季の入っていそうなジャージの上下にビーチサンダルという恰好の、小太りの中年男性が立っていた。


 僕は彼のことを知っている。店に来て、店内をうろーっとしてからアイスクリームを必ず買って帰ることから、「アイスクリームおじさん」と心の中で呼んでいる。


「おう、大丈夫だったか?」

「え?」

「今の、強盗だろ?」

「見ていたんですか?」


 驚き、声が大きくなる。アイスクリームおじさんは、ひるむことなく、むしろテニスのラリーでもするかのように「おうよ!」と気合いの入った声を返してきた。


「歩いてたら目に入って、外から見てたんだよ。観戦だよ、観戦」

「観てないで助けてくださいよ」

「携帯電話を持って来るの忘れててよ。あれだな、携帯電話は携帯してないと、意味がないな」


 僕と桃瀬の困惑をよそに、アイスクリームおじさんがミルクアイスのような白い歯を覗かせながら笑う。


「お嬢ちゃんも、よく頑張ったな。後でアイス買ってやるよ」


 予防注射に連れて行かれた子どもみたいなことを言われているが、桃瀬はてへへと笑う。「わたしは、ただのサポーターでしたけど」と言ったが、桃瀬はサポーターではなく、人質だ。内心でツッコミを入れる。


「さて、警察に連絡するか。兄ちゃん、電話したら? 番号知ってるか?」

 その質問に、知ってますよと苦笑する。

「ですが、ちょっと、あと一分待って下さい」

「なんでだ?」

「一分間だけ、考えさせて下さい」


 桃瀬とアイスクリームおじさんが、怪訝そうな顔で僕を見る。何を言っているのか? さっさと通報すればいいじゃないか、と二人の顔には書いてある。だけど、少し考えさせてほしい。今起こった出来事についてを。


 お腹の底の方から、どろどろとした感情が湧き上がってくる。手なずけられない猜疑心が、僕の思考を支配していく。疑え、疑えと騒ぎ出す。

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