5 君をスカウトしたい

「通報はしません。この件をどうするかは、店長に報告してから決めます」


 僕がそう告げると、桃瀬とアイスクリームおじさんは、唖然と言った様子で口をあんぐりと開けた。「なんで?」と二人の口から同時に声が出る。


「どこから、なんて説明をすればいいか」

「初めからお願い」

「そうだな。でも、初めから説明すると、逆にややこしそうだな」

「じゃあ、兄ちゃんの説明しやすいように、頼む」

「わかりました」


 一拍置き、こほんと咳払いをしてから説明する。


「強盗に入って被害を受けるのは誰ですか?」

「そりゃあ、お店でしょ?」

「そうだ。お店だ。だけど、一応保険というものがある。この店もフランチャイズだから、ちゃんとそういう強盗対策みたいな保険に入っているはずだ。だから、保険金はこのコンビニにも振り込まれるだろう」

「でも、だから通報しねえってのは、筋が違うんじゃねえか?」

「まぁ、そうですね……説明っていうのは難しいな。やっぱり先に、この状況と強盗の不審な点について、ご説明します」


 二人は、まあいいか、と思ったらしく、頷いた。ありがたい。


「まず、この状況ですが、さっきまで藤崎さんというパートの方がいました」

「あぁ、藤崎さんな、知ってるよ」

「本来だったら、僕と藤崎さんで店を切り盛りする時間です。娘さんが交通事故にあったという連絡が入りました」

「そうなのか? おいおい、大丈夫なのかよ?」

「店には偶然、忘れ物を取りに来ていた店長がいました。それで、店長が藤崎さんを車に乗せて、送って行きました。で、間違いないよな、桃瀬」

「うん。そうだった。向こうは大丈夫かな?」


 自分が強盗の人質になったばかりだというのに、桃瀬は他人の心配をしている。すごいやつだな、と感心するやら呆れるやらだ。


「そこに、強盗が来ました。強盗はレコーダーを使って、あらかじめ用意した音声を流して、僕に『金をつめろ』とか『さっさとしろ』とか指示を流しました。そして、金を持って退場して、代わりにあなたが入って来て今に至ります」


 アイスクリームおじさんは、メモを取りそうなほど熱心にふむふむと相槌を入れながら聞いてくれている。さて、ここからが、肝だ。よく聞いてほしい。


「不審な点ってのは、どこだ? 俺には手際のいい強盗に思えるけど」

「そうですね、まず、レコーダーを使っている点です」

「あっそれ、わたしもちょっと思った」

「どういうことだ?」


「強盗っていうのは、スピードが命のはずです。もたついてしまったら、それだけ捕まるリスクも高くなってしまいます。なのに、レコーダーを使う必要があるのか疑問です。自分で喋った方が効率がいいですし、万が一のことが起こったときに、レコーダーで対処しきれなかったらどうせ自分で喋るしかないですよね? なので、理にかなっているとは思えません」

「レコーダーを使うことに、意味があったんじゃねえのか? そうだ、自分の声が特徴的だから、バレないように、とか。もしくは」


 アイスクリームおじさんが、にやりと笑う。どうやら、気がついたらしい。


「この店によく来る客だから、自分の声で店員に誰かバレる、と思ったんじゃねえのか?」


 アイスクリームおじさんは、胸を張り、得意げな顔で桃瀬に「どうだ」と笑った。桃瀬も感心した様子で、「おー、やりますね」と感嘆の声を上げ、「あ!」と手を叩いた。


「ふら子!」

「ふら子?」

「あのね、毎朝、黒いジャンパーを着た若い女が店に来て、何も買わないでふらふらしながら店の中をうろーっとしてから帰って行くんだって」


 桃瀬がすでにアイスクリームおじさんと打ち解けているのに、失笑する。これがコミュニケーション能力というやつなのだろうか。二人とも、以前からの知り合いのような振る舞いをしている。


「だけど、今日に限ってシュークリームを買って帰ったらしいの。何か、企みがあったんじゃないかな? 何度も偵察をして、今日はレジの方を最終確認する為にあえて買ったとか」


 桃瀬が自信満々な顔でそう言っているので、なんだか申し訳ない気持ちになるが、「可能性は非常に低いと思う」と指摘する。当然、むっとした表情で「何でよ? 理由を説明してよ」と返された。アイスクリームおじさんまで、「そうだよ、理由を説明してくれよ」と桃瀬の肩を持っている。


「黒い地味なジャンパー着て、店に偵察に来てたんだろ? 怪しいじゃねえか」

「そうでしょうか? 毎朝ジャンパーを着て、何をしていたのかを考えるとわかりやすいですよ」

「何をしてたの?」

「桃瀬、この時期はイベントとして何がある?」

「イベント? お花見とか?」

「いや、学校でだよ。ふら子は高校生だったらしいじゃないか」

「入学式と部活動の勧誘と、健康診断と」

「ストップ!」


 言葉を遮ると、桃瀬がびくんと身体を震わせ、「びっくりした」と言って僕を睨んだ。


「それだよ、健康診断だ。新学期だから、健康診断がある。健康診断があるということは、身体測定をする。つまり、身長と体重を量る」

「どういうこと?」

「ダイエットをしていたんだよ。ジャンパーを着て、ランニングかサイクリングかしていたんだろう。ジャンパーを着ると、熱がこもって余計汗をかくからね。ふらふらしてたって言うことは、走り終わってふらふらしてたんだろう。それで、身体測定に備えていた。今日に限って、シュークリームを買ったんじゃなくて、身体測定が終わったからシュークリームを買ったんだ」


 二人が、なるほどなぁと声をもらす。これくらいは、誰でも想像がつくのではないだろうか。


「説明を続けます。あと桃瀬、覚えてるかな? 金の入ったバッグを受け取るとき強盗が一度バッグを取ろうとして、こう前屈みになって固まっただろ?」


 ジェスチャー付きで、再現してみせる。桃瀬は、「あー、あったあった。あのとき、日下部が何かしたのかと思った」と言ったが、僕は特に何もしていない。大人しく見守っていただけだ。


「あの動きには、僕は見覚えがあるんだ。僕の祖父がよくしていた」

「日下部のおじいちゃんが?」


 首肯する。死んだ祖父はたまに重い荷物を取ろうと腰を曲げ、激痛が走ったのか、苦悶の表情を浮かべながらしばらく石像のように動きを止めていた。


「あと、大事なポイントがもう一つ。僕は強盗が来たと言うのに、おめおめ向こうの言うことを聞くしかできなかった、ということです」

「それは、兄ちゃんのせいじゃないだろ。人質だっていたんだから、仕方ねえさ。誰も責めねえよ」

「いえ、大体、銀行とかコンビニとか、そういうところには窓口とかレジに通報装置があるものなんですよ。映画とかででも、よく見るじゃないですか。だけど、バイトを始めたばかりだから、聞いていなかったんです」

「それは……聞いとくべきだったな」


 アイスクリームおじさんが、何と言っていいのやら、と呆れ顔になった。が、責任の一端は僕にあるものの、僕だけのせいではない。


「さて、以上の情報から僕の考えを言います。先ほどの強盗犯は、店員である僕に声を聞かれたくなくて、腰痛持ちで、僕が強盗対策の仕方を知らないということを知っている人物です」


 桃瀬は腕を組み、頭にクエスチョンマークを浮かべているようだが、アイスクリームおじさんは、口元を歪めて、うっすらと笑っていた。


「お店の人間で僕と話す機会があり、腰の神経を圧迫する腰痛であるヘルニア持ちで、強盗対策のことを僕に教えないことができたのは、ただ一人。店長です」


 二人が目を剥き、口を大きく開ける。


「嘘!?」

「でも、店長はさっきまでお店にいて、今は病院に向かっているはず、と桃瀬は言いたいんだろ?」

「うん、藤崎さんと一緒に病院に向かっているのに、どうやって来るわけ? そんな分身みたいなトリックがあるの?」

「おいおい、トリックなんていらないだろ。もっと簡単だよ。藤崎さんもグルなんだ」


 桃瀬が絶句する。


「証拠は? 証拠はあるのかい?」

「証拠はありませんよ。だから、店長に確かめて振るいをかけてみるしかないですね。本当に、事故が合ったのか、病院の防犯カメラには映っているのか、とか疑わしいじゃないですか。僕が思うに、事故っていっても、自転車で転んだだけだった、驚き損だった、迷惑をかけて本当にごめんね、と藤崎さんが言ってくると思います」

「それは、確かめてみないとわからないが、確かめるのは簡単そうだな」

「僕らの前にわざわざ一度現れることで、アリバイを作りたかったんだと思いますよ。ご丁寧に、服まで全部変えてやって来ましたからね。まさか店長が、なんて最初は思いませんでした」


 桃瀬が、僕の説明を聞いて、「じゃあさ」と口を開いた。じゃあさ、なんで通報しないの? と。


「桃瀬、さっき桃瀬は僕に初めから説明して、って言ったけど、問題はそこなんだ。その初め、と言うのがもしかしたら、僕が雇われることになったところからなのかもしれない」

「どういうこと?」

「つまり、僕を雇った段階からこの計画をしていた可能性がある。新人が必要だったんだ。新人だったら、強盗対策を知らないままだからね」


 黙って耳を傾けている二人に、更に続ける。


「桃瀬、さっき藤崎さんが言っていただろ? 一ヶ月前、店長に何があったのか」


「一ヶ月前?」と口にしてから、桃瀬がはっとした様子で「初恋の」と答えた。アイスクリームおじさんが、なんだそりゃ、なんのことだ? と眉をひそめる。

「一ヶ月前、店長は初恋の人に再会しました。ご存知ですか? 駅前で子どもを海外で手術させる為に募金活動をしている母親のことを」

「初めて聞いたが、まさか」


「ええ、タイミング的に考えられるのは、その人にお金をあげたいから、店長は強盗することを計画したんだと思います。お子さんがいる藤崎さんも、賛成して協力してくれることになったんでしょう。考えてみれば、僕のシフトはいつも藤崎さんと同じでした。シフトを調整し、他の店員さんと同じレジに入れないことで、強盗対策を教えないようにしたんじゃないかと思います」


 桃瀬はなるほどねー、と溜飲を下げた様子で、頬をほころばせた。重ね重ね、尊敬すると言うか、呆れると言うか、さっきまで人質になっていたのは誰だったか訊ねてみたくなる。まぁ、ナイフは偽物だったと思うけど。


「だけど、本当にその子どもを救いたいならコンビニなんか襲わねえで、銀行を襲った方がいいんじゃねえか? 最低でも海外の手術は、六千万はかかるだろ。さっきので、うん十万盗んだとしても、スズメの涙じゃねえか」


 アイスクリームおじさんは、眉を曲げ、腕を組み、納得がいかねぇなぁとぼやいている。が、違うのだ。そうじゃないのだ。


「店長がしたかったのは、もちろん、初恋相手の子どもの命を助けたいっていう思いもあると思います。けど、それがメインではないと思うんですよ」

「じゃあ、なんだと思うんだよ?」 


 桃瀬を見る。もしかしたら、店長と桃瀬の行動原理は似ているのかもしれない。だからだろうか、問答無用で通報する気にはなれない。


「サポーターがいるってことを、伝えたかったんだと思います。駅前に立って、子どもの命を救いたいけど自分たちにはお金が足りないから、お金を下さいと必死に頭を下げているのに、無視されるのは辛すぎる。自分たちでは救えず、そして誰からも相手にされない、という現実に打ちひしがれそうになっている初恋の人に、店長は応援する人がいる、と伝えたかったんだと思います」


 だが、どんな方法でお金を渡すつもりかはわからない。一人でぽーんと気前よく渡すのか、それとも複数人に渡してもらうのか、それは店長のアイデア次第だろう。


「店長と藤崎さんがお金を自分たちのものにする、とは思わなかったの?」

「それはまず疑った。けど、自分たちの為じゃないだろうな」

「なんで?」

「強盗するなんて、リスクが高いことをするんだから、よほど切迫した事情があるはずだ。だけど、その割にレジの中に大金を用意していなかった。あれじゃあ、ハイリスクローリターンだ。見合ってない。さっきバッグに詰めた感じだと、自分の懐を犠牲にするけどギリギリ頑張って募金をするなら、っていう額だと思う」


 アイスクリームおじさんは、組んでいた腕をほどき、再び白い歯を見せるようににこっと笑った。


「なるほどな、お前さんの推理通りだったらいいな」


「まぁ、無条件に人を信じられるようなことを僕はできないので、ちゃんと店長に確認をとってみますけどね。違ったらお笑いですよ」  人間はけっこう利己的な生き物だ。僕はそう思っている。


 自分さえよければ、他人はどうなってもかまわない、とみんな口にはしないけど心の根っこではそう思っている気がしてならない。だけど、ごく稀に、そうではない人にも出会う。桃瀬や林田は、そうだった。それが例え、滑稽でも、愚かに見えても、アクションを起こす人を僕は尊敬している。


「だけどな、事故報告書や保険金請求書を書く為には、警察の調書が必要だ。だから、通報は必要だぞ」

「やっぱり、そういうのがあるんですね?」

「そうだ」

「それについては、一応店長が帰って来てからでいいかな、と思いまして。あと、僕はこのアルバイトを学校に秘密で始めたので、僕自身もあまり騒ぎにはしたくなかったんですよ」

「色々教えてもらったけどよ、俺が通報したり密告したりする、とは思わなかったのか?」

「それはそれで、もう僕の責任じゃありませんよ」

「喰えない若者だな」

「アイスクリームをご馳走しますから、それで手を打ちませんか?」


 アイスクリームおじさんは、「それでいいよ」と言って大きく息を吐き出した。そして、「いや、それよりも」とおもむろに、ポケットに入っている財布から一枚紙切れを取り出して、僕に差し出してきた。どうやら、名刺らしい。


「日下部君、君をスカウトしたい」

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