6 探偵業はどうだ?

 半年前、僕はコンビニの窓から誰も通らない夜道を眺めていた。

 今、僕はファミリーレストランの窓から猥雑な駅前を観察している。


「日下部お前、ベッドに腰掛け、少女は病室の窓から、未来や出会いに淡い思いを育てているかもしれない。海のそばに立てられたアパートの窓から、老婆は地平線の向こう側にまだ野望や冒険心を抱いているかもしれない。或いは少年が家の窓から、雲を引きながら空を突き抜ける飛行機に心を奪われているかもしれない。そんなことを考えてるんじゃないだろうな ?」

「なんですかその、お花畑にいる無垢な少女みたいな妄想は」

「ぼーっとするなと言ってるんだ」

「してませんよ」

「いいや、してたね。さっきのじゃないなら、窓から外を見て、あの可愛い子ちゃんはどこの学校に通ってるんだろう、とか考えてたんじゃないのか?」


 ずけずけと言葉を発する男は、僕の向かいの席にどかっと座り込んだ。スーツ姿には、くしゃくしゃとした羊のような天然パーマの髪が不相応に見える。


 先輩の立花たちばなさんは、やだねやだねと言いながら溜息を吐いた。「大ハズレですよ」と立花さんをあしらいながら、僕は何杯目かの、コーヒーを口に運んだ。口の中に、渋い苦味が広がっていき、少し顔をしかめる。


「あっお前、今めんどくせぇ先輩だとか思っただろ」

「それは正解です。あと、可愛い子ちゃんとか、もう言わないですよ。死語です、死語」


 二十代後半のくせに死語をよく使う立花さんは、鼻をならしながら、ストローを使ってグラスになみなみと入っている奇妙な色をした飲み物を飲んでいる。それは理科実験のように、ドリンクバーにある数種類の飲み物で調合されている。嵐の次の日の水たまりのような、身体に悪そうな色をしているのだが、本人は「これがなきゃ生きてけねぇな」と満足そうだ。中毒じゃないか、と常々僕は思っている。


「だいたい、立花さん今日はもう上がりですよね? 何しに来たんですか」


 口を尖らせてそう訊ねると、立花さんはむっとした様子で口を開いた。


「歩いていて、お前が窓際の席に座っているのが見えたから、様子を見に来たんじゃないか。俺は優しい先輩なんだ。立花先輩、ありがとうございます。心強いです、大船に乗った気分です、とか言われるべきだ」

「立花先輩、ありがとうございます。大船に乗った気分です」


 少し機嫌をよくしたようで、立花さんはふふんと笑う。


 窓の外を見やる。スーパーの袋を両手に持っている中年女性、わいわいと集団になる女子高生、腕時計を睨みつけているスーツ姿の男性、その脇を駆け抜けて行く小学生に、重たそうなエナメルバッグを背負った高校生たち。賑わっているのか、落ち着かないのか、駅前は人が絶えない。


「お前、今日は学校帰りか?」


 立花さんが顎をしゃくってきた。僕は今、高校指定の紺色のブレザーを着用しているし、机の横には高校のロゴの入ったスクールバッグが置かれている。火曜日だから、高校があるに決まっているじゃないか、と思ったが、先輩の世間話にも付き合うべきかと考え直す。 「えぇ。放課後ですからね。放課後バイトです」


「俺たちの仕事は制服がないから、同級生にバレずにすむんじゃないか? 俺が昔、高校でバイトしてたときは、エプロンをロッカーに隠したりと大変だったんだぞ」

 基本的に高校ではアルバイトが禁止されているから、僕もその点については同意する。


「探偵業はどうだ?」


 僕は、アルバイトで探偵をしている。現役高校生探偵というやつだ。


 と言っても、小説やマンガのように、偶然殺人現場に居合わせて推理するであるとか、密室殺人のトリックに挑むであるとか、怪盗と宝石をめぐって対決するであるとか、そういった類の事件に出会ったことはない。あれは絵空事だから、スケジュール帳にもそんな予定は書かれていない。


 書かれているのは浮気調査、身辺調査、猫や犬などのペット探しなどだ。それが高校生探偵の現実だ。珍しかったものと言えば、せいぜい逃げ出したカメレオンを探したことくらいだろうか。擬態されたせいで、なかなか見つからず、あれはなかなか骨が折れた。


「アルバイトは忙しくても安全なものがいい、と思っていた時期がありました」

「ないものねだりだな」

「そう言えば、立花さんのこと社長がぼやいてましたよ」


 調査が終了した後に、立花さんはその情報を使って依頼主に何やら聞き込みをしているらしい。職権乱用の不良探偵だ。


「立花もめちゃいました、って社長に言っといてくれ」

「甘栗むいちゃいました、みたいな言い方をしないでください。問題ですよ、それ」

「ただ情報収集をしてただけだ。社長もその辺はわかってくれてる。そんなことよりお前、『ムーンゴールド』ってバンド知ってるか?」


 首を横に振り、作業のようにコーヒーを口に運んだ。滔々と喋り出す先輩の言葉を聞きながら、窓の外を見る。駅前を行き交う人の目まぐるしさに、少し酔いそうだ。大きな川のような流れがあり、人々や、自分も流されているだけなのではないかと思える。


「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という方丈記の言葉が頭に浮かんだ。これはどんな意味だったっけ、と僕は眉根を寄せた。




 ――この時の僕は、まだ知らない。

 そんな日々の中でも、心を震わせる事件と出会うこともあるということを。

 これから始まる調査で感じる、音楽の渦と、熱の籠った叫び声と、身体を震わせる興奮と、ほんの少し涙を流したことを僕は一生忘れないだろう。

 それについて語ると長くなるから、今日はここまでだ。

 それはまた、これからのお話で。


(第一話 イノセントサポーター おわり)

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