2 立ち読みに来ましたよ

 僕は学校からの帰り道、駅前で同級生の林田はやしだと別れ、バイト先のコンビニに向かった。振り返った先で、林田が設置された募金箱にそっと募金をしていてたのを見て感心した記憶がある。


 駅前には大手のコンビニが二件あるのだが、僕の働いているコンビニはそこから少し離れたところにある駅前広場の前にあるコンビニからも更に離れたところにある、住宅地の奥にあるコンビニだ。

 立地的には最悪で、知る人ぞ知る隠れたコンビニエンスストア状態だ。つまり、全然コンビニエンスではない。


 店のそばに差し掛かると、僕はバッグから度の入っていない黒縁眼鏡を取り出してかけた。これは知り合いにバレるのが嫌なので変装するためだ。まだ高校に入学して間もないから、同じ学校の人が来ても、騒がれずに済むだろう。鏡で見たら、まだ自分でも慣れず、本当に別人みたいだ。


 三時五十五分、シフトの五分前に僕は店に着いた。


 藤崎さんというパートのおばさんが「私の娘も同じくらいしっかり育ってほしい。もしくは娘の彼氏にほしい」と口にするほど今日も時間通りに来て、きちんと動いている。眼鏡の僕は完璧だ。


 簡単な制服を羽織り、僕は店の商品の陳列や、フライ物を揚げたりレジ打ちをしたりと作業に追われた。


 その作業を繰り返し、午後の八時を回り、すっかり外がもう暗くなった頃、お客の来店を告げる電子音と共に扉が開いた音がした。慌てて笑顔を作り、向き直る。


「いらっしゃいませー」


 お辞儀は四十五度くらい、と習った通りに軽く頭を下げる。客はそれを無視して自分のほしい物を物色しに行く。


 以上、のはずだった。


「あっ、日下部くさかべ、ここでバイトしてんの?」


 頭を上げる。嫌な予感は的中する。

 見覚えのある高校の制服、肩のあたりにまで伸びた黒い髪、大きな瞳が見開かれ、僕を見ている。そこには、中学からの同級生である桃瀬が立っていた。内心で舌を打つ。


「あのお客様、人違いではないでしょうか」声を低くして落ち着いた口調で言ってみた。

「バッジしてるじゃない」


 桃瀬は僕の胸を指差した。そこにはユニフォームの上にしっかりと自分の名前が書かれたネームプレートが留められていた。浅はかだった。


「なんだよ」

「あ、急に素に戻った」

「なんでしょうか?」

「立ち読みに来ましたよ」おどけた口調で桃瀬が言い、ニッコリ笑った。

「帰れよ」

「わたしはお客様よ」

「お客様からお金を払わない宣言をされたのは初めてだ」


 桃瀬は肘をレジカウンターに置き、もたれかかってきた。日本史の授業で見た坂本竜馬のようなポーズだ。品定めするような目つきで店内を見回した後に、僕に向き直り、口を開いた。


「ところで何? その眼鏡」

「変装だ。口の軽そうな同級生にバレないようにね」

「ふーん、なんか自分を殺してます、みたいな感じがするし、似合ってないよ」

「それが仕事なんだよ」

「それが仕事かー」桃瀬はからかうようにそう言うと、けらけらと笑って店内を見回した。


「なんか普通のコンビニだね。日下部の仕事っぷりがわからないよ。ちゃんと働いてるのかとか」

「なんで桃瀬に心配されなきゃいけないんだよ?」

「老婆心じゃない。心配されているうちが華ってね」


 桃瀬はそう言うと、レジから離れて雑誌やお弁当のコーナーをうろうろと徘徊し、お菓子売り場の前で足を止め、真剣に吟味を始めた。チョコレートが好きだった気がするが、この店のお菓子の種類の豊富さには満足頂けるだろう。


 このビルのオーナーの意向で、タバコは置かないがお菓子はたくさん置いてある。

「いい商品を売るのが正しい店なのに、人を殺す物を売るのか? お菓子は美味しいからいいじゃないか」と昔、店長に詰め寄ったのだそうだ。売り上げが落ちたら、俺が払うとまで言ったらしい。僕はこの話を店長から聞き、オーナーは正しい金持ちだな、と思った。


 桃瀬は「相変わらず、お菓子だけは目を見張る品揃えよねー、この店は目の保養になるわ」と言いながら戻って来ると、再びレジに体を預けた。なんとなく、桃瀬はここに居座ろうとしているな、ということが伝わってくる。仕事の邪魔だなと思ったが、まぁ、別にいいか、とも思う。


 右奥の事務スペースに視線を送る。

 新人一人で店を切り盛りさせるほど、この店は強気ではない。ちゃんと、二人一組で働いているのだが、藤崎さんはレジの奥にある、小さな事務スペースにいて、何か作業をしている。客もこないし、桃瀬と話をしていても怒られるということはあるまい。


「そう言えば、今日珍しい林田を見た」

「林田は珍しくないでしょ。教室でも鬱陶しいくらい会うじゃない」

「駅前で募金をしているのを見たんだ」

「あぁ、あの募金ね」


 桃瀬が、少し落ち込んだ口調でそう言った。募金活動があったことについては知っているという口ぶりだ。


「有名なのか?」

「有名というか、思わず立ち止まっちゃうじゃない。なんていうかさ、自分が無力なんだあってやるせなくなっちゃうよね、あれ」

「どんな募金なんだ?」

「病気の子どもがいて、その子の臓器移植手術を海外でする為にお金がいるんだって」

「あー、それは、やるせない」

「きっと、うん千万円から億くらいかかるんでしょ? なんかさぁ、更に落ち込むよね」

「林田はそういうのになら、募金するんだろうな。負けず嫌いだから」


 友人の林田は無理そうなことに、むきになる性格をしている。


「でも、ああいうのって反対意見もあるんだって」

「まぁ、募金詐欺の可能性があるからな。街角の募金なんて、疑わしいことこの上ない。無条件に人を信じるなんて、愚の骨頂だ」


 桃瀬がやれやれ、と首を振る。 「疑心暗鬼って言葉は、日下部の為にあるよね。募金詐欺もそうだけど、子どもを海外で移植手術をさせようっていう行動そのものにも、反対っていうのがあるのよ」


 どういうことなのかわからず、顔をしかめる。募金をして、子どもの命を救うのに、なんの問題があると言うのだろうか。


「まず、自分の家計で助けられないからって、他人に金を無心するんじゃない。子どもを産む時点で、そういう問題が生まれる可能性も覚悟の上だったはずだ、っていう募金反対派もいるみたい」


「それを言うのは、なんだか冷酷な感じがするな。自分が困ったら、きっと募金をつのってでも助けてほしいと思うだろうに」

「日下部が人を冷酷だ、と言うとは」


 うるさいよ、と顔をしかめる。


「あと、今って確か十五歳未満の子どもの臓器移植手術を国内では行えない決まりになってるのよ。それで、海外に行って移植手術をしたいってお金を貯めて行くんだけど、臓器が不足してるのはどこも同じだから、日本人が海外で一人助かれば、海外の子どもが一人助からない。だから、日本の問題を海外に持ち込むべきじゃない、って反対する考えもあるみたいよ。日本からの受け入れを断っている国も実際にあるしね」


 なかなか厳しい現実だな、と思わず渋い顔になる。何が正しい、というものがなかなか見当たらない。問題なのは募金活動をする人ではなく、国の制度なのではないだろうか。


 子どもを持った親の気持ち、を理解できるわけではない。熱心な親もいれば、無関心な親もいる。僕の家は後者だったので、ピンとこない。だが、街頭に立ち、バッシングや心ない声を受けながらも、子どもを救いたいと恥や外聞をしのんで、募金活動をする人を冷笑しようという気にはなれない。


「あら、彼女?」

「彼女じゃありませんよ」

「あら、残念ね」


 藤崎さんが戻って来て、僕らを交互に見て言った。

 中肉中背で、小学生のお子さんが一人いる。この時間に入ってしまうと、夕飯を一緒に食べることができないだろうに、と思うのだが、旦那さんが失業してしまったらしく、シフトを増やしているのだそうだ。実家暮らしの三世代住宅なので、子どもの面倒はお爺さんとお婆さんが見てくれているらしい。


「日下部の同級生の、桃瀬です。日下部がいつもお世話になってます」

「あらー、お人形さんみたいな子ね」


 そう言って、藤崎さんが桃瀬の顔や髪、頬をぺたぺたと触り始めた。目を泳がせ、口をぱくぱく開け、翻弄される桃瀬を見るのは新鮮だ。困った顔で僕を見てきたが、視線をそらした。尊い犠牲だ。


「娘にライバル登場ね」


 なんのライバルだか、と苦笑する。


「二人でずっと、何の話をしてたの? 恋バナ?」


 ひとしきり桃瀬で遊んだ藤崎さんは、隣のレジの前に立って訊ねてきた。若い二人が、何を話していたのよぉ、と何やら期待しているようではあるが、それに応えられる話題ではない気がする。


「あぁ、募金の話ですよ」

「募金?」

「藤崎さん、知ってますか? 駅前で募金やってるの」

「あぁ、店長の初恋の」

「店長の初恋?」


「しまった」と言わんばかりに、藤崎さんが顔を引きつらせた。反射的に、口にしてしまったのだろう。バイトを始めてまだ間もないが、藤崎さんがお喋りであることは知っている。娘さんが通う小学校での愛憎劇とか、動物園から孔雀が逃げ出したらしいとか、ここのところ毎朝何も買わないけどお店に来る変な若い女がいる、などローカルワイドショーのような情報を、藤崎さんからいつも聞かされている。


「店長の初恋の相手なんですか?」


 藤崎さんは口をつぐみ、明後日の方を見ている。じーっと視線を送っていると、しばらく逡巡するような間をおいて、藤崎さんは大きく息を吐き出して、「絶対に秘密よ」と僕らに釘を刺してから語り始めた。


「一ヶ月前、店長がすごく落ち込んでる日があって、どうしたんですか? って訊いてみたのよ。そしたら、駅で募金活動をしてるのを見たんですよ、ってどんよーりした感じで答えたの。なんか、暗ーくてじめーっとして、何度も溜息なんか吐いてたから、それがどうしたのか訊いてみたら、募金活動をしてた女の人、初恋相手だったんだって!」

「それは……」


 悲痛な面持ちで、桃瀬が口元を隠すように手で覆った。藤崎さんも、悲しそうに眉を歪め、続ける。


「話を聞いてみたら、お子さんの心臓が生まれつき悪くて、手術が必要なんだって。だけど、それにはお金が必要でって嘆いていたらしいのよ。夫婦共働きで働いているみたいで、仕事が終わったらすぐに募金活動をしてるみたい」

「心臓の移植手術って、かなり高額でしたよね?」


 桃瀬が訊ねると、藤崎さんはうんうんと頷き、「大変なことよ」と呟いた。

「だけどね、店長がいちばーん辛かったのは、みんなが素通りして行っちゃうことだって言ってたわ」


 寒々しいその光景は、容易に目に浮かぶ。みんながみんな、手を取り合って助け合う世界は気味が悪いし、信用できない。しかし、僕を雇ってくれた店長には恩があるし、知っている人なのでつい、考えてしまう。


 中学か高校か知らないが、店長は恋をした。どんな相手だったのか、どのようなシチュエーションで恋に落ちたのかは知らない。その相手に好意を持ち、恋心を募らせる青春があった。だが、結局それは実ることなく、散った。おそらくではあるが、人の良さそうな店長のことだ。自分は何もできなかったが、素敵な人と幸せになってほしいくらいは思ったのではないだろうか。


 相手は結婚し、出産し、家庭を持った。だが、子どもに心臓の病があることがわかり、苦悩する日々を過ごしているようだった。かつて、想いを寄せた人が、苦しんでいる。それは世間や他人からしたら、どうでもいいこととして思われ、無視されている。それが、店長の苦しみにもなったのだろうか。


「なかなか、切ないですね」

「わたしも、募金しようかな」


 桃瀬がそう言うと、藤崎さんはにこりと微笑んだ。少し蓄えのある体格の藤崎さんが無垢な笑顔を浮かべると、愛嬌のあるキャラクターのようだった。


「そうしてあげて。ちょっとでもいいから。無視されるのが、一番辛いわ」

 と、他人の心配をしていた藤崎さんに不幸が訪れることになるとは、僕らはこの時全く考えていなかった。

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