HELLO HELLO HELLO

如月新一

第1話 イノセントサポーター

1 アルバイトは少し暇なものより、忙しくても安全なものがいい

 アルバイトは忙しいものより、少し暇なくらいのものがいい。

 コンビニエンスストアで働き始めたのにお客が来ないのは、コンビニエンスではないからだろう。


 立地が悪いことは知っていたし、人があまり来ないのも知っていた。だから、僕は高校生になってから、このコンビニでアルバイトを始めることにした。


 レジに立ち、窓から外を見ているのだが、夜だから外の様子はあまりわからない。この町から人間がみんないなくなったのではないかとさえ思えてしまう。


 三週間前、このコンビニでアルバイトを始めるために受けた面接を思い出した。店のレジカウンターの奥にある小さな部屋で店長と一対一でやったやつのことだ。

シフトは僕の希望通り週に四日で、土曜日の午前と平日の放課後夕方の四時から九時まで。時給は八百五十円、研修期間中は八百円だ。

 商品を並べたり、フライを揚げたり、レジを打って接客するのがメインの仕事だと教えられた。せっかく作ってきた履歴書にほとんど目を通すことなく喋る店長に、緊張と不安を覚えていたら、店長はにこにこ微笑みながら「ヘルニアやっちゃってね、若い人が入ってくれるのは助かる。慣れれば簡単だよ」と優しく僕に告げた。


 確かに、慣れたら楽とまでは言えないが楽しい仕事だった。店の中は冷暖房のおかげで居心地のいい温度が保たれているし、パートのおばさんは優しいし、店内には有線放送が流れているし、賞味期限の迫った食べ物をもらえた。シュークリームとかティラミスとかをもらえて本当の意味で中々美味しい仕事だとも思った。


 が、僕は考えを改めた。



『強盗だ。金を用意しろ。通報、抵抗するならお前を殺す』


 アルバイトは少し暇なものより、忙しくても安全なものがいい。


「はい?」


 店内の状況を確認する。店内にいる人間は三人。僕と強盗とお客が一人。いや、桃瀬ももせはお客ではない、か。強盗が来る前に、彼女は「立ち読みに来た」宣言をしていた。まぁそんなことは今関係ない。問題なのは強盗の左手に握られている銀色に鋭く光るナイフが彼女に向けられているということだ。


 本来ならば店員は僕ともう一人、パートの藤崎ふじさきさんというおばさんがいるのだが、さっき子どもが交通事故にあったとかいう連絡が携帯に入ったので職務放棄をして出て行った。いや、こんな言い方はあれだな、藤崎さんが悪人に聞こえてしまう。

 正確には、仕事は任せて行ってください、と言ったのは僕だ。いや、僕らだ。


 人生というものは偶然の連続だ。

 この世に偶然など存在しない、あるのは必然だけだ、とかそんな悟りを開けるほど達観した人間じゃないから、僕はそう思う。水曜日をバイトの日としていたことも偶然だし、藤崎さんの子どもが事故にあったのも偶然だし、目の前に桃瀬が立っているのも偶然だ。

 その偶然の連続が、僕を混乱させるような事態にまで繋がることがたまにある。


「え? なにこれ?」


 桃瀬は自分の置かれた状況をまだ理解していないらしい。


 桃瀬の話をしよう。同じ高校の制服を着ている彼女は、中学からの同級生、桃瀬清子きよこだ。桃瀬はわずか数分の間にお客からひやかしに、ひやかしから人質へと変化し続けている。次は何になるつもりなのだろう? さなぎになって蝶にでもなるのかもしれない。もしくは怪我人、最悪……。


 この決定権は僕に委ねられている。


『金を用意しろ』


 強盗の話もしよう。

 強盗だ、とはすぐに思わなかった。正しい強盗のあり方なんてものは知らないけど、こういうときの正しい強盗の格好は黒いジャンパーに黒いジーンズに黒い靴に黒いヘルメットと相場が決まっていると思っていた。が、目の前にいる男の格好はそれとは全く異なるものだ。

 強盗の服装は……普通だった。


 灰色のパーカーと紺のダウンベストを重ね着し、黒のジーンズに白のスニーカーを履いている。安いファッション誌の写真から出て来たような、普通にどこにでもいるような格好をしていた。


 が、頭部だけは特徴的だ。

 男の顔は目と口の周り以外は、真っ黒だった。得体が知れずぎょっとし、目出し帽だと気づいて更にぎょっとした。頭の中で、目出し帽=強盗の制帽という方程式が生まれ、僕は反射的に両手を挙げた。あの帽子さえなければ、強盗はどこにでも売っていて、誰でも着ていそうな服を着こなしていた。


 あと、強盗のコミュニケーションの方法も独特だ。強盗は声を発しない。声を発しているのは彼の右手に握り締められているICレコーダーだ。強盗は何かを伝えたいときだけボタンを押して再生させている。


「ちょっと、女の子としてどうすべきなのかな? 悲鳴とかあげた方がいいの?」


 桃瀬は状況を理解したようだが、緊張感のないことを言った。動揺しすぎて、わけがわからなくなっているのかもしれない。こっちも、緊張と不安と負の想像が黒いもやとなって目の前にあるようで、うまく思考することができない。


「そうしてくれよ」


 僕がそう言うと、強盗はカチリとボタンを押して『騒ぐな、騒ぐと殺す』とレコーダーを再生させた。


「すいません」


 謝るのになれたのもこの仕事をしているから、という偶然だ。

 ちょっと前まで、僕は普通に生活をしていただけだ。一体、何故こんなことが起こっているのか。いつもと変わらぬ日常というものは、得てして呆気なく崩れていくものなのかもしれない。


 数時間前の僕は、こんな目に遭うなんて考えてもみなかったなあ、と現実逃避をしてしまう。

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