第10話 寓話

 シレ=カーンの七年、追放先にて、カーザル王子はお亡くなりになられた。

 父王サウジャ=カーンの臨終にも会えず、また死して後も御遺体を王都に戻すことは許されなかった。そのお嘆きや、さぞ深いものがあるであろう。

 ただ、カーザル王子の死の際に関して、次のような話を、とある老尼から聞いた。王子が病に侵され、いよいよという時である。

「その日殿下はよく眠っておられました。そしてふと目を覚まし、『夢を見ていた』と申されるのです。どのような夢でしたか、と尋ねますと、『私は幼少の姿で、池の端に座って池中を眺めていた。そこにはミズスマシが一匹泳いでいた。ふと気づくと、隣に誰かが座っている。父であった。父は、あのミズスマシと我らと、いずれかが勝らん、とお尋ねになったので、もちろん、我ら虎の一族です、と胸を張って答えた。すると父は、ではの虫を捕らえてそれを証明せよと言う。私は勇んで池中のミズスマシを捕まえようとした。しかしそれは余りにもすばやく、とても捕らえられるものではなかった。そして追っているうちに私は深みにはまり、溺れかけてしまった。そうなった自分を、父は助けてくれた。咳き込む私に、父は笑いながら言う。虫には虫の強さがあり、虎には虎の強さがある。それらを比べて優劣を競う。何と愚なることか。そなたが持つべきは強靭な肢体でもなく、鋭利な爪牙でもない。他者の命の強さを貴ぶ心である、と』殿下はそう申されてから涙を数行御流しになり、こう続けられました。『やっと気づいた。私は王位が欲しかったわけでも、国を真剣に憂えていたわけでもない。ただ認めてほしかったのだ。父に、私は貴方の息子であると』そして、それだけが心残りよ、と一言申されて後、息を引き取ったのでございます」


 シレ=カーン十八年、相次ぐ旱魃、サンタラ川の大氾濫をカーザル王子の怨念であるとする風潮が広がっていた。

 そのためこの年の秋、正式にカーザル王子を祀る祭司が執り行われた。

 結果として災害は止む所となったが、実際、カーザル王子が如何なる思いのうちに世を去ったか、今となっては知られるところではない。

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寓話 ー虎王物語ー 黒崎葦雀 @kuro_kc

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