第4話 若虎

 さて、相談を持ちかけられたバファラム翁も迷想に囚われていた。サウジャ王の最終的な決断はいざ知らず、では、誰が次期王位に即すべきか。

 もちろんカーザル王子が妥当であろう。幼き頃より、その類まれなる才能を見てきた。自らの弟子となってからは、その向学心は止まることを知らず、むしろ何かに追われるように学の道を究めようとしていた。長子としての責を感じての結果であろう。誠に立派なことである。しかし……

 ちょうどその時、前方から四足の者がやって来る足音を聞いた。

「バファラム翁、カーザル殿下がお見えです」

 老齢故、バファラム翁は既に視力の大半を失っていた。音を拾うことはできたので、別段不便とは思わなかったが、それでも補助として、サティナ公が目の役割を果たしていた。

 近くまでやって来て、ようやくバファラム翁は愛弟子を認めた。若者らしい精悍な顔つき、威厳すら見せるその美髯。まさに王者の気風漂う猛虎である。

 師弟の礼を交わしてから、王子が尋ねる。

「陛下のもとへいらっしゃったのですか?」

「うむ。ご相談がおありのようだったのでな」

 そうですか、と若虎は少し俯いた。

 例の事について何も話したことはないのだが、聡明なこの弟子ならばとうに気づいているであろう。自らが国王の悩みの種となっていることを。

「師父、私は、敢えて玉座を切望することはいたしません。他に国を治めるに相応しい者がいるならば、快くそのものに明け渡す所存です。しかし……」

 若者は口を濁す。

「しかし、二人のうちどちらか、というわけにもいくまい」

 バファラム翁はその思いを代弁した。

「はい……弟はあの性格です。後を築く学を疎み、今に悦ぶ楽を好む。嘆かわしいものです。かといって妹を推すわけにも……」

「スーリア殿はお優しすぎるからな。国の上に立つものではない」

 スーリア姫は初めての姫君であり、末子ということもあって、蝶よ花よと育てられた身である。しかし、さすがはサウジャ王の姫君で、知識に富み、才色を兼ね備えておられた。

 とは言え、さすがに一国を預けるとなれば不安が拭えない。王とは、時として非道な決断を迫られることもある。それが例え後世に褒め称えられる結果として残ったとしても、決断を下した身は大なる傷を負うこととなろう。それが君子とならば、心の傷はより深いものとなる。

 可憐な姫君が、その重圧に耐えられようはずもない。

 そうかと言って第二子アシュバル王子はといえば、下々にも聞こえた道楽者である。

 いや、道楽者というのは少し違う。カーザル王子の言にあるように、学を好まざること甚だしきは相違ない。詩歌を好み、獲物に遭っては咆哮を上げずして長嘯を成す、と民衆からも揶揄される始末であった。

 ただ、さように揶揄されるだけあって、この放蕩王子の評判は存外に悪くはない。もちろん、だからと言って、王たる者の器かと問えば全力で否定されるであろう。

 結局、カーザル王子以外には望むべくもない、といった状況であった。

 が、バファラム翁は少し気になっていたことがあったので、カーザル王子に尋ねてみた。

 汝が望むは如何いかなる国か、と。

「はっ。やはり『広く学びてあつく志し、切に問いて近く思う』これを全ての民が実践できる国こそが、理想の国家と言えるのではないでしょうか」

「ふむ。コウ氏の言葉だな。そなたはコウ氏に魅入られていたようだからな」

 賢なる若虎は少し赤面した。

 コウ氏とは、第八代ヴィシュナ=カーンに仕えた賢臣、コウ=シャナのことである。孔雀の一族としては珍しく、純白の羽を持っていたという。

 彼が紡いだ論集百四十篇には、君子としてあるべき心がけ、政治のあり方、或いは国民としてあるべき志等、コウ氏が導き出した、国を治めるための教えが記されている。

 バファラム翁は率先してその研究に打ち込み、弟子たちにもその教えを伝えた。

 とりわけカーザル王子は、熱心な聴講者の一人であった。特に学問に対するコウ氏の言動が気に入ったらしく、その言を実践してきた。

 先の言葉も、カーザル王子が好んだ一節であった。

「民が熱心に学を志し、教養を身につけてこそ、一国全体が成り立つ。うむ、そなたは君子の器としては十分なのだがな……」

「いえ、自分などまだまだ……」

 若き賢者は、そう答えながら、気恥ずかしそうに己が美髯を撫でた。



「さすがはカーザル殿下。もしや陛下をも超える賢君となるやも……あ、失礼。このことはどうか内密に……」

 後の記録類から察するに、サティナ公は思ったことがそのまま口をついて出る性格であったようだ。

「あの……バファラム翁?」

「ああ、すまぬ。少し考えごとをしていてな。何かな?」

「いえ、何も。それより、如何なることを考えておられたのですか?」

「うむ、大したことではない。ただ……」

 ただ、何かしこりのようなものが残った心持であると、バファラム翁は語った。

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