第2話 国王

 近き世にカーンと仰せ給うは、先王、サウジャ=カーンの御事。

 このカーンの三十五年、夏のある日のことである。

 その日の空を仰ぎ見るに、雲一つだに無き蒼空。行き交う鳥は国の安寧を高らかに謳う。

 そこを一羽のカササギが、穏やかな空統べる時間とは逆に、突風の如き速さで翔けていく姿があった。

 王居を南に下ること数里、サンタラ川の支流と聖河カンダスの交わる場所、その上空を旋回すること三度。河岸に一体の影を認めると、再び一塵の疾風となって滑空していった。

 カササギは見定めた影の前に降り立ち、頭を垂れて師弟の礼を交わした後、恭しく巨躯の肩に乗った。

「お探ししました、バファラム翁。陛下がお呼びでございます」

 そうか、と重い返事をし、バファラム翁は深いため息をついた。

 この時バファラム翁は、実に、齢百有余を超えていた。五代に渡って国王に仕え、民に教授すること長きに及び、門弟の数は年齢を優に上回っていた。

 そしてこのカササギも、数多き弟子の中の一、バファラム翁の側近として知られた、名門バーダラ家の次期頭首にして近衛将軍、サティナ=バーダラ公である。

「では参上するとしよう」

 バファラム翁は足を王居へと向ける。

 老いたる身とは言えど、さすがは象の一族、その威厳ある巨躯は健在であり、大地を震わす足音も、荘厳な響きさえ称えていた。

 が、その足取りは重い。もちろん老齢や巨体故の災いではない。国王が自分を召喚する理由は一つしかない。そしてそれは何とも悩ましいことであった。

「やはり、いつものご相談でしょうか……」

 そのことはサティナ公も承知のようであった。

「さてさて、そういう訳でもあるまいよ」

 バファラム翁は、国王の体面を「いささか」保つため、そう答えた。


 王の居城はよく日の当たる高台にあり、その中心部に「玉座の岩」はあった。

その由来を辿るに、初代の国王が、この地に古より巣食う悪神を征伐した際、四散した悪神の体の一部が岩となったという。王は如何なる悪神乱神をも押さえつけ、その上に君臨するという自らの力を示すため、その岩を「玉座」とした。

 今、その岩上におわしますは、第七十四代国王サウジャ=カーン。公明正大、能く礼節を重んじ、臣を見るに貴賤を問わず、その才を評価した。

 後に「無爪の治」と呼ばれる時代を築いた名君である。

 バファラム翁とサウジャ王は、互いに臣下の礼を交わした後、師弟の礼を交わした。国王もまた、バファラム翁の一弟子には相違なかったのである。

 さて、礼を終えて後、サウジャ王が仰せ給うには、

「バファラム翁、此度こそは聞かせてもらいたい。一体誰に王位を継承すべきであろうか」

 バファラム翁、かしずいて奏上するには、

唯々ただただ、陛下の御心のまままに」

 と、これまで幾度となく交わしてきた問答を、その日も交わすこととなった。

「再三言っているが、バファラム翁よ、余はどうしたら善いか分からないのだよ。王としてあまりにも情けないことではあるが、しかし、今の余にはどうしても決められぬ。これは国家の未来に関わること故、軽率な決断は避けなければならぬ。また、国の頂点にある者として、私情に流されるは許されざることである。今、迷乱の心を以ってこれを決するに、正当なる答えが出るはずが無い。バファラム翁、どうか夫子の偉大なる智慧を以って、この憂鬱を晴らして欲しい」

 サウジャ王の嘆願に、しかし、バファラム翁は恭しく申し上げた。

「国家という大家の後継者を決めるのは、国王陛下を置いて他にはございません。この老体もまた一家臣なれば、口を挟む余地などあろうはずが無い。唯々、陛下の御心のまままに」

 それきり、王も言葉を無くしたので、バファラム翁もその日は王居より罷り出でることにした。

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