アンデットの女王
堺
アンデットの女王
スカルロッド村の墓地に、ペッカと言う名の醜男が住みついていた。
彼の姿を見ると、村の子供らは「おい、死体が歩いてるぞ」と言って石を投げつけた。
大人たちは「あの嫌らしい顔!」と言い、眉をひそめた。
村の者たちにとって、ペッカは“死”の象徴だった。
誰だって、死について考えるのは嫌なものだ。だから村の者は彼を嫌悪する。
しかしそれはお互いさまで、ペッカの方も村の者を嫌悪しており、生を呪っていた。だから彼は墓地に住んでいるのだ。
墓地には地下教会があった。
神父のいない説教壇。がらんとした聴衆席。
ひびの入ったステンドグラスから月明かりが注ぎ込むと、壁にかけられた宗教画の天使と悪魔が、青白く浮かび上がる。埃が雪のように舞う。
その青白い空間の奥に、ミイラを補完する場所があった。
ミイラは二百体以上納められていた。
あるものは布にくるまれ、あるものはむき出しの状態で。棚にきちんと寝かせているものもあれば、壁に立てかけられているものもある。
乱雑に積み重ねられているのは大抵、遺族が埋葬する金を支払えないため放置されたものだ。
死体はどれもカラカラに乾いていた。この地域の気候は一年中寒くて乾燥しているので、粗末な防腐処理でも、ミイラが腐って病気を流行らせることはなかった。血抜きをして約二週間で死体は乾く。
深夜。フクロウの声。
シャベルを引きずる音と共に、ペッカは姿を現した。地下教会の戸は寒さに縛れて固くなっていた。豆だらけの手に力を込めて戸を開けた。金属のノブに皮膚がくっつき血が出たが、気にしなかった。石段を降り、屍隆々の廊下を進んで奥へと向かった。様々な方向に歪曲するミイラは、まるで地獄の苦悶に耐えるかのよう。大きく開かれた口が無声の叫びをあげていた。
村の者がここを避けるのもうなずける。だが、ペッカには唯一心の休まる場所だった。
「死者たちはおでを馬鹿にしない」と、独り言を言った。
昼間は滅多に使わないその声はしゃがれていた。
ミイラ安置所の最奥は、ペッカにとっての聖域だ。
その球形の空間には、美しい少女のミイラが奉られていた。ペッカは厳粛な気持ちで眺めた。
少したってから我に返り、いつもの仕事に取り掛かった。
燭台の蝋燭を新しいものに変え、少女の生前を語る石碑を綺麗に磨き上げた。ペッカは字が読めないから、そこにある意味を知らなかったが、墓所の地主から話を聞いていた。
「この村の創立者、スカルロッド卿の愛娘だ。美しい娘の体を土に返すのが惜しかったから、一流の医者を呼んで完璧な防腐処理をほどこした。
だから、ほら、まるでついさっき死んだみたいに綺麗だろう」
“ついさっき死んだみたいに綺麗だろう”?
ばかな。少女は生きている。少なくとも、ペッカにとっては生きている。
ペッカにとっては、少女はこの世の誰よりも“確かに”生きている。もしくは、これが死と言うものならば、むしろ生よりも好ましい。
「お…」
大きな蜘蛛が少女の体を這いあがってきた。ペッカはどうすべきか迷った。いまだかつて、少女の体に触れたことはなかった。それは神聖なものだからだ。
蜘蛛は少女の頭の上にとりついた。
大抵の女は蜘蛛を嫌う。
しかし、少女はその穏やかな微笑を崩さなかった。
むしろ、自分のもとにくるすべての者を、広い心でもって受け入れ、聖母のごとく在りつづけた。
蜘蛛は聖母の慈愛に応えるかのように、手足をせっせと動かした。すると、キラキラ輝く絹糸のような糸でレースが紡ぎ出され、婚礼の際に処女が慎ましくまとう頭飾りのようになった。
「おお…」
揺らめくベールとブロンドの巻き毛。
その妖しくも美しい光景は、奇跡そのものだった。
「…同じ時代に生まれていれば…」
と、ペッカは言った。
同じ時代に生まれていれば…どうだと言うのだ?
わからない。ただ口がそう言った。
※※※
「頼む、もう少しだけ待ってくれ」
「あんた先月もそう言ったろ」
地主のところに、酒場の主人が頼み込みに来ていた。
「予定が狂ったんだ。来月にはきちんと取り返せるからよ。おふくろをきちんと弔ってやりてえけど、今は金がねえんだ。俺とあんたの仲だろう?」
「仕方がないな」
やれやれ、と地主は頭をふった。
最近はこんな輩が増えた。地下教会には無限に場所があるとでも思っているのか?
しかし地主にも付き合いと言うものがあり、あまり強くは言えなかった。
「ペッカ、ここは手狭になった。古い順に処分していこうぜ」
地主は地下教会を一望する。
相変わらず不気味なところだ。雇っているこの男はそれ以上の不気味さだが、こんな仕事を文句も言わず、しかも低賃金で続けるような奴は他にいない。
ふと、一番奥の空間が目に留まる。
「よし、ペッカ。あいつを片せ。スカルロッド嬢だよ。仰々しい石碑もぜんぶ取り壊しちまえ」
ペッカは動かなかった。
「どうした?」
いつもは言われた仕事を迅速にこなす男が、微動だにしなかった。
「おい、俺がやれと言ったらやれ。誰のおかげで飯が食えると思っていやがる。俺のみたいな親切な男が雇ってやらなきゃ、誰が貴様みたいなブタを相手にするってんだ?」
どんなに罵倒しても動かないので、地主は自ら少女のミイラに手をかけた、瞬間…
何か重いものが振り下ろされた。
己の信仰を踏みにじられたことに対する怒りが、その原動力だった。一発目はうまく入らなかった。頭から血を流しながら、地主は振り向いた。
そこには悪魔がいた。
悪魔が、グルグル回る亡者たちの集う世界で、怒り狂っていた。聞いたことも無い絶叫を、地主は聞いた。自分の声だが、どこか別の場所から発せられていた。金属のスコップがそれを削り取っていった。
地主は死んだ。
濁流のように血が地面に注ぎ出されたから、死体はすぐに乾いて、他のミイラと見分けがつかなくなるだろう。ペッカはスコップの血のりをぼろきれで拭い、蝋燭の火で燃やした。
ひと時かき乱された死の静寂が、地下教会に戻ってきた。
END
アンデットの女王 堺 @sakai4510
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