もしかして:カーセックス未遂事件?


家に帰ると、リビングから出てきた妹と鉢合わせた。

学校から帰ってきたばかりなのか、制服姿で目を腫らしている。


「桜!どこ行くの!!!」


はぁ、また喧嘩か。

ろくでもない母親が、頭ごなしに妹を叱りつけているのだ。

だから妹も反論する。


『どうせ私はお姉ちゃんほど優秀にはなれない』んだと。


だからつまり、この喧嘩は私では仲裁にならないのだ。

妹はお前には言われたくないと言い、母親は無条件に私は正しいと言う。

でも実際に正しいのは妹のほうだろう。


「ただいま。」


私の声を聞いても、妹は何も言わなかった。

代わりに突然猫なで声になった母親から返事が返ってくる。


「あらお姉ちゃん。おかえりなさい。

ほら、桜も挨拶なさい!

どうしてあんたはそうやって優秀なお姉ちゃんを僻むの!」


「あぁあぁー!どうせ私はお姉ちゃんみたく優秀にはなれないよ!!」


バタバタと二階の自室へと逃げていく妹を、母親は追い打ちをかけるようにまだ何か叫んでいた。


自分の部屋に行く前に妹の部屋へ寄ると、妹はベッドで毛布にくるまっていた。


「模試が良くなかったの?」

「別に。」


ぶっきらろうな返事の妹が散らかしたであろう模試の結果が床に落ちていた。

国語は76点、数学82点、英語93点。

なんだ、それほど悪くないじゃないか。


「悪くないじゃん。」

「あの人はあんたより点数が低いって言うんだよ!!

勉強なんてろくにしないくせに、なんであんたがこの家の正義なの!」

「私も、それはおかしいと思うよ。

お母さんにも、桜は頑張ってるよっていっておくね。」


私はそう言ってから、ベッドの縁に寄った。

手の届きそうなところで、妹が泣いている。


ろくでもない価値観だ。

テストの点数だけがその人の総評だとでも言うのか。

私を見るときの生ぬるい目も、妹を見るときの粗探しするような目も、そういう態度も。

全てが苛立つ。

嫌いだ。

もっと妹を大切にして欲しい。

妹が私のようになってからでは遅いのだ。


「桜。頑張らなくて良いよ。

自分がやりたいことだけ頑張りな。

逃げたっていいんだよ。」


「あんたには私の気持ちなんか分かんないよ!!!」


「分かんない。分かんないけど、桜はもっと評価されるべき人間だよ。」


笑顔が可愛くて。

世渡りが上手で。

誰と話しても話題が絶えず。

歳上には可愛がられ。

歳下には尊敬され。

嫌っているのは、まだ家族だけで。

まだ、この世界を見捨てようとは思ってなくて。

純粋で。

素直で。


生きて欲しい。


「どうせあんただって出来の悪い奴だって思ってるんでしょ!?」

「思ってないよ。」

「嘘だよ!もう、あんたなんかいなくなっちゃえばいいのに!」


一層激しく涙をすする妹と、ドキリとした私。

「そうだね。ごめんね。」


私は自分の部屋に戻り、ベッドに寝転んで天井を仰ぐ。

やっぱり、私は生きていたって仕方ないんだと思う。

私が死んで母親が泣く程度のことなら、私が生きていて泣く妹を助けたい。

そう思い始めたのは、いつからだろうか。

多分、カーセックス未遂事件より随分前からだ。

なのに私はまだ生きている。


ごめんね、妹。

まだ死に場所が見つかってないんだ。

また明日も探しに行くから、もう少しの辛抱だから。



翌朝起きていくと、妹はもういなかった。

今日も予備校か。

まだ中学2年生なのに。

大事な青春は、そんなことに費やして欲しくない。

社会人になれば、否が応でも本業である仕事に全身全霊で取り組まねばならない。

本業以外の寄り道は学生の間しかできないんだから。



朝ごはんのお吸い物を啜りながら、私は予約確認メールを見直していた。

Sがいなくなっても、私のすることは変わらないはずだった。

昨晩のうちにとっておいた河口湖行きの高速バスのチケット。

食べ終わるとすぐに出かける支度をした。

スマホと財布をカバンに入れた、その時だった。


ドタドタと階段を駆け上がる音がしたかと思うと、なんだか見たことのあるようなないような顔が現れたのだ。


「葉月ちゃん!」

「はい…?」

「うちの翔知らない!?」

「翔…?

あ、あぁ、昨日新宿駅の山手線のホームで別れたきりですけど…。」


そうだ、Sの母親だ。

翔など名前で呼ぶことはまずないから、忘れていた。

しかし、これはまずいぞ。

ほら、狂った母親の登場だ。


「ちょっと!

どういうこと!?好間よしま君とはあの日から会ってないってそう言ってたじゃない!」

「お母さんちょっと黙って。

翔くんがどうかしたんですか?」

「昨日から帰ってないの…!

24時には帰るって言ってたのに…!」


Sの母親はおろおろとして、落ち着かない様子だった。

Sと別れたのは昨晩の23時頃だ。

寝過ごさない限り24時には家に着くのは間違いない。

帰っていないなんて、珍しい。


「私も捜してみます。」

「どこか心当たりのあるところが…?」

「えぇ、幾つか。

私は私の心当たりのある場所を捜すので、翔くんのお母さんは翔くんが行きそうな場所をお願いします。

携帯は繋がりますか?」

「繋がるけど、留守電になってしまうの。

昨日から何度もかけてるのに、一回も…出なくて…折り返しも…」


崩れ落ちるように膝をつくSの母親の肩に、私は形だけ手を添えた。


「翔が死んでしまったらどうしよう…!」


私はなんの返事もできなくて、ただ胸の奥のざわつきを感じていた。


すぐに私は街に出た。

もちろん、Sを探すために。

早くSを見つけなければ。


河口湖行きのバスは15時発だ。



Sの行きそうな場所。

彼は人ごみが嫌いだから、川岸とか、人気のない動物園とか、何もない町とか、そういう場所にいるだろう。

東京にいるのであれば、の話だが。


まず足を運んだのは高島平団地だ。

しかし、もとより期待していなかった。

あそこは自殺者多数で既に対策が施されている。

それはSも知っているはずだ。


次は中央線を、と思ったがその必要はないことに気がついた。

人身事故ならすぐに電車が止まったと連絡が入るはずだ。

やっぱり、都内から出たのだろうか。


次は…そうだ。

東京駅まで行ってみよう。

山手線のホームで突き飛ばして、どっかで降りるなら最寄駅に繋がる東京駅だ。

うーん、戻るのはかなり面倒…。


しかも結論から言えば、Sは見つからなかった。

ホームのベンチとか、物かげを覗いたり、駅員さんに尋ねたりしたけれど、まぁ、昨晩の夜中に働いていた人が今日のこの真昼間に働いているわけもなく、結局手掛かりすら見つけることができなかった。


お昼を過ぎて疲れがみえてきた頃には、河口湖行きとS探しとが私の中で拮抗し始めた。

もうどっちもいいやという気がして、私はカフェに入った。


温かいココアを飲みながら、LINEやらTwitterやらでSが行きたいと言ったことのある場所を探す。

せめて行き先を告げてくれればよかったのにと思いながら、彼を突き飛ばしたのは私だったと思い出す。


あーあ、面倒なことになっちゃったなと思った。

正直、Sは退屈だ。

Sの方が、私は笑えてた気がする。


スクロール、スクロール、スクロール。

ボーッと画面を見つめていると、目に付いた場所があった。

青木ヶ原樹海だ。

今回の1人旅の目的地だったはずのところなのだが、目に付いた理由はそれだけではない。

私とSが初めて会ったのも、青木ヶ原樹海に行こうと決めて、新宿駅に足を運んだからだった。


彼と初めて会ったのは新宿駅のバスの窓口だ。

なんてことはない。

ダブルブッキングだったのだ。

お互いどうぞと譲ったけれど、結局ふたりともキャンセルした。

なんでかと言えば、お互い、相手の顔を見て、あぁ、この人死にたいんだなって分かったからだ。

だから譲ったけれど、相手もいいと言う。

一度譲った席をまたも自分の分にするのは気がひけるし、なんだか嫌で、そうやってふたりでバスを見送った。


そして適当に話すだけのつもりが意気投合して、お馴染みのカーセックス未遂事件にたどり着くってわけだ。


カーセックス未遂事件。

そういえばSはあの時、『そうだね、あの時は楽しかった』って言わなかったっけ?


そうなら、とてもまずい。

私は冷や汗が伝うのを感じた。


どこでもないあの場所で、Sに先を越されてしまう。

私の、暫定一位のお気に入りの場所で。

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