赤色の世

 時は延喜の帝の頃。

 丹波国に朱点童子なる鬼ぞあらはる。

 人と鬼は絶えず戦ふ。戦ひは地に赤に染め、赤は朱を生しにけり。




 丹波国の名も知られぬ山の麓に、十人余りの検非違使けびいしが集っていた。

 彼らは皆、腰に太刀を佩き、弓を手にしている。彼ら検非違使は、都の治安を守護し、必要な場合は山にいる盗賊や魑魅魍魎を討伐する侍である。

 そしてこの神無月の昼つ方に、武装し山に入る用意をしているという事は、この山にて討伐の命令が下っている事を示している。

 しかし、彼らは山を前にして、その手前に座している下人を見下ろしていた。

 その直垂姿の下人は烏帽子も被らず、松の葉の如く荒れた髪を女子のように後ろに束め下げ髪にしていた。そして静かに、片膝立ちにて押し黙り検非違使達を率いる半官の言葉を待っている。

「……我らは勅命にて、この山に巣食う魍魎を征伐しに向かうのだぞ」

 下人より渡された書簡を目に通していたその半官は、子供に説明するかのような口調で説明し、嘆息した。

「いくら左馬権頭さめごんのかみ頼光様の申し出とされても、おぬしのような賤しき者を連れるのは……」

「されど、山の奥は人の作法など通じぬ故、斯様な格好にて参上を」

 顔を上げぬまま、そう告げた下人。周囲の検非違使はその物言いに殺気立ったが……。

 しかしながら、誰一人声を荒げる者はいなかった。

 それは下人の体躯と、その脇に置かれた野太刀を見れば仕方のない事と言える。下人の体は、まるで屏風に描かれし虎の如きものであったし、野太刀もまた、拵えこそ質素なものの、その体躯に相応しき大太刀であった。ましてやこの下人は、あの朝家の守護と呼ばれる源頼光が推薦する者だ、ハッタリではない。

 ここで下人が野太刀を手にしたら、鬼退治の前にこの場の者がどれほど死ぬだろうか。検非違使の多くはそのような事を考え、下人の姿格好を口に出来ずにいたのだった。

「山の鬼は、人の道理を解さぬ者共です。鬼狩りは下郎にお任せを」

 立ち上がり、野太刀を背負う下人に、検非違使達はただ頷く他なかった。

 では、と、下人は検非違使に背を向け山に立ち入る。その背に書簡を手にしていた男が声を掛けた。

「おい、共に行くのなら名くらい申せ」

「………」

 下人は男の方に向き直り、グッと頭を下げた。

「ただ下人とお呼び下されば、充分でございます」




 山の草木は人の進みを拒絶し、山坂は人の命を奪えるかと悠然と構える。

 半官は部下の半分を麓に残し、夜には火を焚くよう命じた。そして尋常ならざる気配を持つ下人と、数名の部下を引き連れ山を登った。

 既に山に入ってから数刻が過ぎたか、検非違使の一人が山頂に背を向け、西の空を見やった。

「見よ。黄昏時だ……」

 男の言葉に、皆が振り返り夕日を見る。その様子を見た半官は、先を歩く下人に声を掛けた。

「おい下人! 一人で行くな、少し休もう!」

「………」

 下人は止まりはしたが、振り返る事はなかった。ただ漠然と、前方を見渡している。

「おい……おぬし、聞いて……」

 舌打ち、下人のもとへ歩み寄る半官。これを下人は、振り返る事なく手を上げ、これを制した。

「……どうした?」

「……来る」

 余談を許さぬその言葉に、半官はハッと素早く弓を取り、矢をつがえた。

「どこから来る……?」

「先に……向こうで陣を敷き、お待ちを」

 下人は背負った野太刀に手も振れず、まるで獣のように徐々に姿勢を低くしていく。

 半官はその背に頷き、徐々に後ろに下がっていく。

 そして幾らか距離を取ると、パッと身を翻し、背後の部下に叫んだ。

「弓を取れ! 敵がすぐ……そっ」

 半官は言葉を詰まらせた。背後にいた部下の検非違使達は、全て悲鳴をあげる事もなく、今まさに殺されていたからだ。

 日を背にしたその黒き者共は、検非違使達を、口を塞ぎ、覆い被さり、一瞬の間に、殺していたのだった。

 半官は叫んだ。それは悲鳴か、怒りの咆哮か、半官自身も分からなかった。ただ喉を詰まらせた異物を吐き出すかのように、声を絞り出したのだ。

 その様子を、鬼達は嘲り笑う。着流しを着てるのがやっとの、腕が長き者。一つ目の者。口が裂けし者。山に潜む異形の者共が短刀やマサカリなどを手に、都の侍達の五体を笑いながらきざみ、口に運ぶ。その様子を、半官は目を見開いて見つめていた。

 あまりに粗暴、あまりに残虐。濁流の如き恐怖に、半官はただ立ち竦むだけしか出来なかった。人間の四肢を素手で引き千切っていく鬼達相手に、手にした矢の何と心細い事か。こんな物で、あ奴らを討てるはずがないと、ただ呆然と立ち付きした。

 そんな半官の脇を、下人が通り過ぎた。半官はその下人の横顔を見て、石のように動かなくなってしまっていた体を震わせた。

 その顔、明王の如き憤怒の形相は、人のものとは思えなかったのだ。

 下人は拵えの紐を解き、背負っていた野太刀を左手に持つ。そして真一文字に、鞘から太刀を引き抜いていく。

 その様子を黙って見ている鬼共ではなかった。三匹の鬼が獣のような速さで下人に迫る。

 下人は引き抜いた太刀を右腕のみで支えながら腰を捻り、太刀を背に回す

 そして左手の鞘を落とし、踏み込んだや否や、眼前に迫った鬼達目掛け、その太刀を横薙ぎに振るった。

 鬼達はその太刀を防ごうとしたのかも知れない。しかしその太刀筋は、鬼共の体を束ねて一線に煌めいた。

 下人の太刀は鬼の胴を三つまとめて千切り飛ばし、そして血と内蔵とを後方の鬼達に振り撒いた。

 検非違使の死体を弄んでいた鬼の笑みが、その光景に掻き消えた。

 下人は笑みが消えた鬼に対し、ただ憤然と進む。野太刀を肩に担ぎ、足元に転がった下半身の一つを踏み抜きながら前進していく。

 鬼の一人が咆哮しながらマサカリを持ち直し、そんな下人の前に歩み寄る。

 下人は立ちはだかった鬼を睨めつけながらも、太刀を構えようともしなかった。鬼もまた、唸りながら容易に太刀の間合いに入っていく。

 そして両者が動いた。下人の頭上を狙い、鬼はマサカリを振りかぶる。

 下人はそれに対し、パッと体を天に伸び上がらせながら野太刀を両手に持つ。そして鬼を、今まさに振り下ろされるマサカリごと上から叩き潰した。

 地面に伏した鬼の裂かれた体から、血が湧き水のように溢れる。その様子に鬼の一匹が絶叫した。

 その声により、残る二匹の鬼が堰きを切ったように飛び出した。それを見た下人はズルリと野太刀を始末した鬼の亡骸から引き抜き、脇構えを取る。

 二匹は太刀の間合いに入る間際に、左右に分かれた。下人を左右から挟み込むような形を取った鬼達。下人は手首の操作で太刀を縦に回すように翻し、右手に入り込もうとした鬼の肩口に太刀を叩き込んだ。

 しかし、同時に迫る左手の鬼への対応には間に合わなかった。生き残った片方の鬼は下人へと猛然と掴み掛かり、傍にあった山の斜面へと押しやった。

 鬼は凶鳥の如く叫びながら、下人の首を両の手で締め、斜面に体を押し込んでいく。

 最早これまでかと半官は弓を捨て、震える手でゆるゆると太刀を抜いた。しかしその瞬間、鬼の叫び声が詰まった。

 見れば、下人の左手が鬼の顔面を鷲掴みにし、逆に鬼の体を後方に押しているのだった。鬼は低く唸っているが、やがてその体はやがて弓のように後方へと反らされていく。

 その圧倒的な様を見て、ようやく半官は合点がいった。あの怪力乱神ぶり、下人は恐らく、人間ではない。

 そもそも、あの野太刀の振るい方からして妙であった。あれほどの大太刀にもなれば、太刀捌きは刀のそれより薙刀に近くなる。手首の操作で振るうなど、できるはずもないのだ。

 そしてあの鬼を押し伏せる膂力。鬼に力で勝るアレが、己と同じ人間であろうはずがない。

 死んでいるも同然だ。半官は太刀を落とし、目の前で繰り広げられている光景を乾いた目で見続けた。人ならざる者達の戦い、修羅の世の如きここに、人間である己に一体何ができようと。

 自分など、そこいらに散らばる臓物と同じだと。

 力で勝る下人はついに立ち上がり、逆に鬼は尻もちを着き、両の手は顔面を掴む左手を剥がそうと藻掻いている。

 下人は左手を離し、そして間髪入れずに右手で持った野太刀を横殴りに振るい、鬼の首を挙げられていた両手ごと切り飛ばした。

 切り飛ばされた首と手首が山坂へと転がり落ちていくと、下人と半官の周囲は先程の熱狂とは打って変わって静寂が訪れた。

 下人は口を窄め、息を吐きながら太刀の切っ先を下げる。

「……無事か?」

 下人の投げて寄越した言葉に、検非違使はようやく下に広がる血肉から目を離した。

「……おい、大事ないかと聞いている」

 その言葉に、半官の口は既に応える術を失っていた。




 鬼を討伐した下人は、麓に降りた。

 麓に下りるのは容易かった。既に日も沈みきっていたが、下では半官の指示通りに火が焚かれていた為、それを目印にすれば良かった。

 下に降りれば、火の光がある。火に当たれば半官の心も、直に取り戻されるだろう。下人はそんな事を考えながら、呆けた半官の手を引いていく。


 だが、焚かれていた炎を使っていたのは、下に残った検非違使ではなかった。


 炎に照らされて、血の赤と、肉の赤が爛々と輝く。下卑た笑いと共にそれを啜り食すのは、下人より遙か先に麓に下りた鬼達であった。

 立ち尽くす下人の前で、篝火に何かがバサリと投げ込まれる。それが烏帽子を巻き付けた人間の首であったように見えたのは、陽炎が見せた幻であろうか。

 ドスンと、隣で半官が座り込んだ。見れば半官は頭を抱え、涙を流しながらくつくつと笑っている。その様子を鬼達が見つけ、笑いながらこちらににじり寄ってくる。

「………」

 下人、坂田金時は野太刀を八相に構え、一人思う。

 あとどれだけの鬼を切り殺せば、この狂った赤色は消えるのだろうか。

 あとどれだけの犠牲を払えば、このの先のに、この刃が届く。

 どれだけ叫んでも、その答えを知る者はいない。

 ならば今はただ、この赤色の世が消えるまで太刀を振るうしかない。

 迫りくる鬼目掛け、鬼殺しの武者は野太刀を横に薙いだ。



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