醜い少年

 医師の両手がゆっくりと頭の後ろに回された。ゼペットはつばを飲み込んだ。喉仏がグリッと動いた。白く笑う仮面が顔からがれ、テーブルの上に置かれた。黄色い灯りの中に現れたのは。


 腐れたような紫。ただれたような赤。カビたような青。


 不気味な色の皮膚ばかりを選んで縫い合わせた――悪趣味なパッチワークのような――顔だった。


 ……これは……この顔は?


 墓場の怪人がなぜここにいるのだ?


 ゼペットは目の前で起きたことが理解できず、口を開けたまま固まっていた。

「恐ろしくないのですか?」

 医師の意外そうな問いかけでゼペットは我に返った。

「え? ああ、いえ」

「大抵は悲鳴をあげられるのですが……」

 そう言うと医師は顔をゆがめた。おそらく苦笑したのだろう。顔中に縫い目があるせいで、仮面を外してもなお表情が分かりにくかった。医師は「頭部の皮膚がつながらぬまま生まれましてね」と言って指で顔をでた。

「処置も悪く、何度も感染症を起こしたようです。マスクなど着けていたこと、失礼だとは思いましたが……」

 医師はゼペットのグラスにワインを注ぎ足し、自分のグラスにもワインを注いだ。「最初からこの顔でお会いしたら、お話しを聞いて頂けないだろうと考えました。何よりもつらかったのはこれです」

 そう言うと【闇に潜む医師】はゼペットに向けてワイングラスをかかげ、嬉しそうに飲み干した。

「これでようやく人心地がつきました。今一度マスクを着けましょうか?」

 ゼペットは呆然としたまま首を振った。

「ではこのままで。気分が悪くなったら遠慮なくおつしやって下さい」

 ゼペットはあいまいに首を振った。医師はもう一度自分のグラスにワインを注ぐと、顔がなるべく暗がりになるように椅子に深く沈みこんで足を組んだ。

「幼い頃、私がどのような目にあったか、わざわざお話しする必要はないでしょう。最初は嫌われる理由が分かりませんでした。自分で自分の顔は見えませんからね。だんだんと物事が分かるようになり、醜さは悪なのだと知りました。ゆえに罰せられる。私をみじめにさせたのは、奇妙に聞こえるかもしれませんが、そういった嫌悪よりむしろ愛でした。私を育ててくれた司祭様でさえ、差し伸べる手を震わせておられた。愛さなければならない。これをこそ愛すべきだ。私は彼らにとって試練だったのです。

「人目のない懺悔ざんげ室だけが心安らぐ場所でした。闇は私を守ってくれた。暗く狭い場所で、私は自分の受難の理由を考えました。だが納得のいく答えはなかった。ただの一つもありませんでした。罪はないのに罰はある。私はいったい、誰の罪をつぐなっているのか? 生きているだけで毒のように嫌われる、そんな罰に値するほどの罪とは、いったいどれほどの大罪なのか? それと知らぬうちに誰かに知恵の実でもすすめたのだろうか? そしてある日、暗闇の中で、ようやく私は気付いたのです」

 医師はゆっくりとワインを飲み干すと、グラスをテーブルに置いた。

「……なんに気付いたんで?」

「なぜ自分が醜いか、その理由に。分かってしまえば簡単なことでした」

「簡単?」

「簡単でした。失敗したのです」

「失敗、ですって?」

「そう。罪でも罰でもない。単なる失敗作だ!」

 医師はとびきりのジョークを話すように両手を広げた。

「全知全能な存在に失敗はない。失敗でないなら何か理由がある。試練の根拠とは実はこれだけです。では、失敗はある、としたら?」

 ゼペットの答えを待たずに、医師は再び語り出した。

「失敗はある。この答えはようやく私を満足させました。ならば耐える必要などない。治せばいい。私は敬虔けいけんであることを止め、ざん室から飛び出しました。別の闇に向かって」

 醜い顔の医師はワインクーラーからボトルを出して、二人のグラスにワインを注ぎ、自分のワイングラスをロウソクの光にかざした。

「以来、この飲み物は誰かの血などではない、単なるブドウの汁になりました。同時に『背負うべき十字架』も『耐えるべき苦難』もなくなったのです」


 ――いったいどれほどの大罪なのか?


「闇に身を潜めた私は、人間の体を徹底的に研究しました。この身体、この袋の中身は……」医師は自分の胸を手のひらでドンドンと叩いた。

「いったいどうなっているのか。調べられる機会があれば墓場、戦場、処刑場、どこへでも行きました」


 ――強欲?

 

「どれだけ医学を学んでも、命を作り出すことも、死んだ者を生き返らすこともできません。命は私たちの自由にはならない。しかし守ることはできる。失敗ならば正せばいい。病ならば治せばいい。それだけのことです」


 ――ごう慢?


「単なる失敗にあたかも意味があるかのごとく取りつくろい、嘘を押し通すために重い荷物を背負わせ、根拠の無い罰に耐えたとたたえる。そのような考え方を、私は断固として拒否します」


 ――ふん


「例え誰が犯したのであろうと、失敗は失敗です。それに『定め』などと見当違いの名前をつけ、すべきことも為さぬまま、手をこまねいて見過ごし、それで命が失われたとしたら……」


 ――怠惰たいだ


「その命は『された』のですか? それとも『奪われた』のですか?」


 ロウソクがジジッと音を立てた。ゼペットは答えられなかった。医師もまた答えがないことを知っていた。

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