闇に潜む母子

「私の診療所には少し前から、さる高貴な女性が入院されています。ご懐妊されたのですが、無事に出産するまで公にはできません。あちらこちらに……」

 医師は人差し指を立てると左右に振った。

思惑おもわくがあるからです」

「思惑?」

「普通ならば喜ばしい、尊いことも、ある立場の人たちにはうとましい、悩ましいことになるのです」医師はゼペットのグラスにワインを注ぎ足した。

「つい先日、彼女はひどく苦しみだし、昏睡こんすい状態におちいってしまわれた。私は腹部を切開して調べました」

「腹を切った、ということで?」

 仮面の医師は重々しくうなずいた。

「この機会に噂を正しておきましょう。人の体を切り、病に冒された臓器があれば切り取り、元に戻す。ただし」医師はそこで言葉を切ると人差し指を上げ「生きたまま、です」と付け加えた。

「じゃ、その、死人しびとを生き返らすってのは……」

「それができれば無理にお呼び立てなどするものですか」医師はそう言って笑った。

「で、その赤ん坊はどうだったんで?」

「お腹には子が二人いました。双子です。母親の具合が悪くなったのは、片方の子に深刻な問題があったためでした」

「さっきは病じゃないと……」

「病ではありません。お子さんは二人とも健康です」

「健康なのに問題ってのは?」

「体が足りません」

「は?」

「体が一人分しかないのです。一人を宿している袋が、もう一人の体になっているのです」

 ゼペットはほうけた顔で黙って医師の仮面を見つめていた。

 どうやって説明したものか。医師はしばらく人差し指でこめかみの辺りを押さえて考えていたが、やがてゆっくりと話し出した。

「母親の、お腹の中には、子を育てる袋がある、とお考え下さい」

「はあ」

「子は、その袋の中で、育ちます」

「はあ」

「ところで、人の身体というのも、一種の袋、といえます」

 ゼペットは少し考えた。なるほど、頬はふくらむし腹もふくれる。

「片方の子は、その、子どもを育てる袋を、体としているのです」

「片方の子の体の中に、もう一人が入っていると?」

「実際には逆ですが、それで結構です」

「で、どうするんで?」

「別の袋に入れてあげないといけません。しかし取り出した子を入れる体がない」

 仮面の医師に見つめられて、ゼペットははっと気付いた。

「じゃあ私に作らせたいのは……」

「精巧な人形です。人間の体の代わりになるような人形です。そして、そのような人形を作れるのは【ナポリの魔術師】よ、貴方様より他にいない!」

【闇に潜む医師】は再びゼペットのほうに身を乗り出した。「ご協力頂けますね?」

 ゼペットは身を引くと、制止するように両手を突き出した。

「待って下さい。なにやらよく分からんが気の毒な話だ。しかしそれはその子の定めでは? 私らがどうこうしていいものなんで?」

 医師は再び座り直すと、居住まいを正し、医師らしい口調で尋ねた。

「貴方様の足が悪いのは、どうなさいました?」

「これは……昔バカをやった報いで」

「つまり、ご自身の非だと?」

「自業自得ってやつでして」

「では生まれつきだったら? 生まれた時から足が悪かったら、それは誰の非です?」

「それは……」

 ゼペットはそう言ったきり黙ってしまった。沈黙するゼペットに医師はさらに問いかけた。

「始めから周りと違う。それは誰の非ですか? 自分が周りと違うと知った時、私たちはいったい、誰を責めたらいいのでしょう?」

 また沈黙があった。自分の足を眺めながら医師の問いを考えていたゼペットは、ふと顔を上げた。


 ――私たち?

 

「では、あなたも……」

 医師はうなずくと、両手を仮面に伸ばした。

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