ソソノカス声

またしても沈黙を破ったのは医師だった。興奮したことを少し恥じているような調子だった。

「どうも話が長くなってしまった。誰かが治療をほどこしたからといって干渉してしまう『定め』など最初からない、私はそう考えています。他に何かございますか?」

 あるに決まっている。墓場の怪人だ。目の前に座る醜い医師と同じ顔をしたあれは、いったい何だったのか。

「聞きたいことがあるんで」

「どうぞ」

「私はその……一度、墓場に行ったんで。夜中に」

「夜中に?」

「ええ。病院の裏の」

「ナポリのですね。ええ」

「その夜、私は……」

 何を見た? あなたに似た人? いいや。こんな顔がこの世に二つとあるものか。

「私は…………あなたを見た」

「おお。そうでしたか!」

 まるで近所で見かけられたような口ぶりだった。拍子抜けしたゼペットをよそに、医師はいかにも納得したという調子で続けた。

「この顔を見ても驚かれないので、どういうことかと」

「……いったい、何をされていたんで?」

「おびです。治療をお断りせざるを得なかった方の墓があるので」

 確かに墓碑銘を読んでいた。墓を掘る道具もなかった。人目をはばかっての夜中だろう。すべてに落ちる。

「無意味な事は分かっているのですが、習慣になっていましてね」

めい福を祈るのは当たり前のことで」

「祈りはしません」

「は?」

 墓に行って祈らない? この男はひょっとすると……薄暗いロウソクの灯りの中でなおけいと輝く瞳を見ながら、ゼペットはある晩聞こえた声のことを思い出した。


 †

 

 夜遅く。

 仕事を終えたゼペットは人形の顔を仕上げていた。

 極限まで薄く滑らかに仕上げたじやばらの木片。

 その片側の縁にイタチの毛を一列、丁寧ねいに貼り付ける。

 完璧なまぶただ。

 まぶたを取り付けたその顔はもはや人間と変わらぬ。

 愛おしい人形の閉じたまぶたを親指の腹でそっとでる。

 その耳に「目を覚ましてごらん」とささやきかける。

 ゆっくりとまぶたを押し上げる。

 暗闇が目を開く。

 その時、ぽっかりと空いたうつろがんの奥から、声が響いた。


 ――コレヨリ先ニ 行キタクバ 魂ヲ ヨコセ――


 †

 

「どうされました?」

 医師の声で我に返ったゼペットは、目の前に座る男の醜い顔を改めて見つめた。

 この男は恐らく自分と同じだ。人の体のカラクリにかれ魅入みいられてしまった人間だ。ならば人を切り続けるある晩に、自分と同じあの声を聞いたとしても不思議じゃない。もしあの声に耳を貸し、そそのかされてしまったのだとしたら。それ故の【闇に潜む医師】だとしたら。手を貸すわけにはいかぬ。

「あなたは、その……信じていないんで?」

「信じています」

「そうですかな? 運命は受け容れない。教えには従わない。祈ることもない。まるで信じてないようだ」

「立場が違う。私は医者なのです」

「いったいそりゃあどういう理屈です?」

 ゼペットは思わず大声を出した。医師は腕組みをすると、しばらく考えて言った。

「誰かのために祈る時、貴方様はどうなさいますか?」

「どうって皆同じでしょう!」

「いかがでしょう? 今も苦しんでいる母と子のために祈って頂けませんか?」

 ゼペットは怪訝けげんな顔をしたが、それでもテーブルの上に両肘を乗せて両手を組み、親指の付け根に額をつけて目を閉じた。


 祈りを終えたゼペットが目を開けると、目の前にいたはずの医師は姿を消していた。慌てて左右を見回すゼペットの後ろから、朗とした声が響いた。

「祈りを捧げているうちに!」

 ゼペットはソファーから腰を浮かして振り向いた。

「そのは消えるやもしれぬ!」

 醜い医師はゼペットの背後から静かな声で「貴方様が私を見失ったように」と付け足すと、両手を後手に組んで部屋の中をゆっくりと歩き出した。

「無事を願う人々は皆、祈りを捧げるため、目を閉じ、手を組んでいる。私までが祈ってしまったら? 医師までもが目を閉じてしまったら? ため息一つで消えてしまう弱い弱いはどうなりますか? だから私は祈らない。両目を開け、両手を動かし、を守るのです。消えたら最後、二度と再びともすことのかなわぬ、かすかな灯を」


 み嫌われ、教えにそむき、闇に身を潜めながら、誘惑に耳も貸さぬ男。


 明るい場所からは見えないかすかな灯りを、またたきもせずに守っている男。


 医師はゼペットの方を向くと片膝をついて両腕を広げた。

「生い出ずる命の、一つとして無実の罪を負わされぬように。言われのない罰を受けぬように。どうか貴方様のお力をお貸しいただけないだろうか?」


 あの夜、ゼペットの企てをとんさせた世にも恐ろしい顔の男。その男が今、こう言っているのだ。


 ――さぁ。人形に命を与える時だ。


 断る理由はなかった。

 ゼペットは答えた。


「……人形なら、もう、あるんで」

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