Every step we take Pt.1
海が見たいと私は言った。
じゃあ行こう、今夜行こう、と返事が返って来たのは四限の終わった後だった。
一限二限が必修、五限が選択必修という、佳歩がいうところの「嫌らしい時間割」が設定されている金曜日は、ドライブへのお誘いがかかることが多い。それを見越して、金曜日までには行きたい場所のアイデアを出しておく、というのがいつものパターンになっていた。
でも今週は課題と試験が立て込んでいて、それは彼女の方も同じだったし、だから学部も違う私たちはお互いに連絡を取ることもなかった。
どうせ最後の試験明けで明日から時間はいくらでもあるんだから、今日のところはお流れということなのかなと思っていたら、昼休みに突然「今日はどこへいくの?」というメッセが届いた。
正直言って、面食らった。このタイミングでそれ聞く? みたいな。とはいえ、私の方にも熟考するだけの余裕はなかった。鬼と名高い四限の必修をなんとしても落とさないために、すでに最後の講義が終わっている三限の時間をフル活用して予習に当てなければならない私は、ほとんど考えなしに一言だけの返信を送ったのだった。
日の入りまではまだ時間があるけど、佳歩の方にはまだ講義が残っている。その時間を潰すのはたいしたことじゃない。
彼女はドライブができればそれでよくて、だから行き先にはあまり頓着しない。もちろん、その酔歩に付き合うのもいいのだけれど、どうせならいい景色をみたり美味しいものを食べたりしたいと思ってしまうのが私という人間だ。
ただ、調べものをするにも、今は頭が疲れすぎている。
キャンパス内のカフェテリアに入るか、それとも駅前まで出るか、はたまた先にうちまで帰ってしまうか。
よし。
こういう時には甘いものをとろう。私の足は駅前へと向かった。とりあえず、スタバへ。電源とWi-Fiとキャラメルマキアートを目当てに。
大学キャンパスから北へ向かって十分弱。
駅ビル、と言っていいのか、地下鉄の出入り口と一緒になってるビル、その中にあるスターバックスはいつでも混雑している。とはいえ、外の寒さを考えれば暖房が効いているだけで天国に近いし、それに席を選ばなければ一人くらいならすぐに見つかるものだ。
案の定、大テーブルの一席がすぐに空いた。窓際のカウンター席とは違って電源はないけれど、しかたがない。今日はまだそんなに使ってないから、一、二時間くらいはもつでしょう。図書館の本を一冊テーブルに置いて場所取りをしてから、レジに並ぶ。
店の中は賑やかだ。受験勉強の高校生は黙々とテキストに向き合っている。むしろ騒がしいのはおじさんおばさんサラリーマン子連れの奥様方。
レジの店員さんは客の列をてきぱきとさばいて、あっという間に私の手には小さなカップが収まっている。
席へ戻ってきた私は、コートを背もたれにかけてから木製の椅子に腰掛ける。トートバッグからノートPCとレポートパッドを取り出す。幼馴染が、大学生協のおすすめを端から無視して「これ一択だから!」とすすめてくれたPCはとても軽くて、特に電車や徒歩で移動する時にはありがたい。
さて、佳歩が喜ぶような場所を考えておかないと。タイムリミットはあと一時間だ。
カップを傾けながらぼんやりと画面を眺める。
この辺りは海に近い。駅に出て三十分も電車に乗ればもうそこは海だ。
でも多分それでは彼女は納得しない。もちろん、埋立地の高架から眺める夜の海というのもそれはそれで魅力的だけど、あの時とっさに私が連想した海とは違う。彼女の方も、そんな距離じゃドライブにならないって、納得しないだろう。
本当のことを言えば、具体的なアイデアはもうある。ただ、それが実現できるかどうかを調べる必要があった。
考えなきゃいけないことをレポート用紙に書き出す。書き出し終わったら、重要なものに優先順位をつける。その順番通りに調べものをして、解決したものに横線を引く。
トラックパッドとボールペンを往復しながら、リストの大半に横線がつき、数枚分のメモが出来上がったころ、スマートフォンの通知が鳴る。佳歩からのメッセ。「どこにいる?」
私の方も簡潔に「駅」とだけ伝える。腕時計を見ると五限が終わるにはかなり早い時間。きっと早くに抜けてきたのだろう。
店の中を見回す。集中していたから気づかなかったけど、レジの列は私が入店したときよりもずいぶん伸びている。
調べものもだいたいかたがついたから、私は店を出てしまうことにした。
正直なところ、クッションのない椅子は硬くて長く座っていると疲れてしまうのだ。
書いたメモだけスマートフォンで撮影して、机の上のものをぜんぶバッグへしまった。
週末の駅は多くの人が行き交う。地下鉄に乗って、
外に出て、駅へ降りる階段の前で待っていると、すぐにモスグリーンのコートに身を包んだ佳歩が現れた。
「お待たせ」
朝は別々に家を出たので今日姿を見たのは初めてだ。
「中で待ってたらよかったのに」
「いいのいいの。ほかのお客さん待ってたし。じゃあ夕飯買って帰ろ? せっかくの試験明けだし、今日は豪勢にしよう!」
「豪勢はいいけど、お酒ダメなのがつらい」
「それはさすがにどうにもできないかな……。今日行くのやめる?」
「いい、それに今日飲んじゃうと悪酔いしそうな気がする」
私達はビルの専門店街を見て回りながら、今日のことを話す。
「試験はどうだった?」
「時間割が嫌なだけで中身は楽単だから。そっちは?」
「私もフル単いけるんじゃないかなって思ってるよ。ただ、さすがに今学期は詰めすぎてしんどかったなー」
「あ、あれ美味しそう」
「ローストビーフのサラダか。たしかによさそう。――すみません、これとこれください。あ、こっちのもお願いします」
「それで」
二人それぞれ一つずつレジ袋を提げた私達は駅前から遠ざかっていく。
「今日はどこまで走るの?」
私のアパートは駅を挟んで大学の反対側にある。その道を佳歩と並んで歩きつつ、手に持ったスマートフォンを参照しながら、調べた内容を説明する。
高速に乗って八千矢の市街地を抜け、
心配のひとつだった、雪や路面凍結の心配はしなくていいみたいだ。
「確かに魅力的だけど」
一通り話したあと、返ってきたのはあまり乗り気ではない、といった声だった。
「さすがに試験明けの身にはつらい」
ある程度予想していた感想に、私ももっともだという調子で返す。
「そうだよね。そこが一番のネック。今から出ても着くの真夜中だからそのまま引き返すしかないし」
「でも楽しそう。行きたい」
その言葉にほっとため息を一つ。そう言ってもらえたなら、私も嬉しい。
「そっか、ならよかった」
じゃあどうやって行くか考えよっかって言いながら、家のエントランスに続く階段へと足をかける。
その際、通りの向こう側にあるコインパーキングに目を向ける。そこに停められた、暗闇の中でもひときわ目を引く鮮やかな赤色を確かめる。
あの駐車場はいつも空いている。でも、こう泊まりが多くなると、近くで月極駐車場を借りてしまったほうがいいんじゃないか、むしろ電車と自動車の通学を切り替えるのが面倒だし、もう一緒に住んでしまおうかなんて、最近はよく話している。
この家を探していたとき、ルームシェア可という文字に目がとまったのは、そういう下心がなかったとは言えない。
集合ポストを無視して階段をのぼる。現状一つだけしか鍵がついていないキーホルダーを取り出して、我が家への扉を開く。
「おじゃまします」
「どうぞ」
ドアが閉じる。
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