是正
早苗(かりり)
序章 暗闇
気が付いた時にはすでにこんな世の中だった。気が付いた、という言い方は正確ではないかもしれない。自分が生まれついた時から社会は何も変わっていないのだから。
何気ない日常にふと目を向け、自分の置かれた境遇や社会について考えるようになるのは一体何歳くらいからだろう。自我が芽生える一歳から二歳の頃からなのだろうか。しかしどうだろう。もし家庭という箱庭から一切出ず、他人との接触を持たずに生きてきたなら、たとえ自我が芽生えていたとしても俺のように惨めな思いはしないだろう。一生箱庭に閉じこもっていた方がよかったのかもしれない、と。
そう、恐ろしいのは他人と接触することで自分と他人を無意識に比較してしまい、自分がいかに”可哀想”なのか知ることだ。知らなければもう少し平和に生きてこられたかもしれない。あくまで仮定法過去完了形なのだが。近隣の人からは敬遠され、小中学校ではいじめられて、高校でいじめはなくとも冷ややかな視線は絶えることがなかった。小学生までの俺にはその理由はわからなかったのだが、中学でのある日のホームルームの時間に行われた道徳の授業で教師は言ったのだ。
”今はもう部落というものはないんだから、岡本のことも平等に扱ってやるんだぞ”
俺の両親は被差別部落出身者らしいのだ。この日まで俺はそのことを知らなかったし、部落差別が未だ解決されていないものであるというのも初めて知った。とは言っても、俺が理不尽な扱いを受ける理由はこれだけではないようだ。学校から帰宅し、ガチャリと鍵を開けて家に入ると両親の、もはや両親とは呼びたくないのだが、いつもの光景が視界に入る。声は漏れ出ており、まだ夕方にもなっていない時間からリビングでセックスをしているのである。父親は働いておらず、母親は夜に風俗で遊ぶ金を稼ぎ、俺の家庭は生活保護費で暮らしているようだ。それも相まって世間からの評価は高くないどころか最底辺なのだろうと俺は認識している。
これと言ってやりたいこともなく、こんな状況から早く抜け出したい思いで俺は高校を卒業してすぐに就職するつもりだった。俺の通っていた高校ではアルバイトは禁止されていたため手持ちの金もなく、ましてやあいつらが俺に金を出してくれるわけもないのでこの家から出ていくことはまだできず、とりあえず家から通える場所で働き、ある程度金が溜まったら自分を取り巻く最悪な状況からおさらばする予定であった。が、しかし、俺を取り巻くその状況は就職にまで影響を及ぼしたのだ。誰も彼もが俺が被差別部落出身者の両親を持つと聞くや否や顔色を変える。そういうわけで職は見つからず、この4月から晴れてフリーターになったというわけである。これではどこかの父親と同じであり、それだけは避けなければならないと思った。結局俺は、家から電車で片道2時間の場所で建設業のアルバイトをすることになった。この仕事なら知り合いに偶然会うこともなく、家庭環境にも左右されることもないだろうと考えたのである。肉体的にかなりハードな仕事だが日給は良く、なにより雇ってもらえたことに今は感謝だ。あの空間から出られるのであれば何だってする。儚い小さな希望を頼りに、もう少し耐えてみようと思う。
是正 早苗(かりり) @karirinngo
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