8年後の俺たちはきっと後悔している

平戯深久兎

8年後の俺たちはきっと後悔している

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「どんな仕事がしたいんだ?」


 なんだっていいさ。ああ、でも労働条件はなるべく良いので頼む。


「将来どうするんだ?」


 どうもしないさ。なるようになるだけだ。


「大学には行くのか?」


 まだ働きたくないし、とりあえず適当なところに行っとくか。


「夢とかないのか?」


―――無い。



 1


 夏休みという時間が終わりを迎えた。なんということだ。ほぼ手付かずであった宿題を徹夜で終わらせたので眠い。言うまでもなく回答を写した。


 昼休み、徹夜明けのせいもあり、また夏休みの間の不摂生が祟ってか食欲がわかない。

 だからかといって何かやることがあるわけではないし、話す人がいるわけでもないし、誠に不思議なことに眠くない。

 暇で仕方がないので、俺はせめて可憐な花でも見て癒されようと花壇の周りを歩いていた。

 彼女がいればそちらで癒してもらえるのだが、生憎俺という人間は高校生らしくもなく、ただし陰キャラらしくはあり、色恋事には全く縁がない。


 教室では、同一のクラスに名を連ねる者たちの内の一部がすぐ目前、具体的に言えば来週にまで迫ってきた文化祭の準備に青春の汗を流していたりするのだが、どうやら俺には関係がないようで、かといって何もせずに教室に居座れるほど図太い神経はしていない。結果俺は教室から逃亡してきたとでも言ってしまおうか。

 昼休みにまで準備に追われるほどに時間的猶予がないというのに、それでもなお俺に仕事が回ってこないのは一体全体どうしたことなのだろうか、という疑問を持つべきなのだろうが、そのような疑問を持つことなく納得してしまう自分がいるのが少しだけ悲しい。


 友達もいない、恋人もいない、認めたくはないのだが、俺は高校生という人生の中でも比較的豊かな時間を無駄にしたのだ。


 先の夏休みであっても、特にこれをしたということはない。

 思い出と言えば、毎日自堕落な生活を送っていたということと、花火がうるさかったことぐらいだろうか。


いや、高校生活に限定したことでもない。

 部活動に参加したことはない。

 友人と放課後遊んだ記憶もない。

 中学時代はそれなりに勉強に打ち込みはしたものの、しかしそれ以外のことはほとんどしていない。

 しかもその勉強の成果というものも、現状を鑑みるに、無駄であったと言われてしまったとて反論できないのだから。

思えば小学校高学年くらいか、それから今に至るまでの時間を全てではないにしてもほとんど無駄にしたのかもしれない。


 俺の時間は、とある少女との間の呪縛、それも自ら率先して自身にかけた呪いによって奪われたのだ。



「久しぶり、風見遥君」


 聞き覚えのない声が俺の鼓膜を震わした。

 否、聞き覚えはある。

 この声自体には聞き覚えが無いが、彼女の幼き頃の声は俺の鼓膜と脳に刻み込まれている。

 だからこの少女が誰なのかが分かった。


 振り向いた。


 長く伸ばした黒髪、背丈は高いわけでもなく低いわけでもない。

 その顔立ちにはやはり覚えがある。


 俺は彼女の名前を呼んだ。


「美咲彩芽、でいいんだよな」


「できれば言い切って欲しかったところだけどね」


「俺の婚約者の」


「しばらく見ない間に随分と記憶が改変されていますね。事故にでも合われましたか、ご愁傷さまです」


 美咲彩芽、俺の幼馴染とでもいうべきか。

 出会いは幼稚園の入学時まで遡るらしいのだが、当時のことはよく覚えていない。

 俺の幼稚園時代の記憶など、精々九九とアルファベットを暗記してみんなに自慢して回っていたことぐらいだ。


 彼女とは家が近く、小学校の登下校時に一緒に行くことも多かった。

 近くに他の児童が居なかったため、二人きりになることが多々あったのを覚えている。

 男女で歩いているとからかわれることも多く、その度に彩芽に「あっちいけよ」などと悪態をついていたことを思い出すと、小学生の頃の自分が理解不能過ぎて本当に同一人物なのか疑ってしまう。


 幼少期には男女で居ることを恥じるというのに、思春期を過ぎると異性との交流が無いことの方を恥じるようになる。人間という生き物は全くもって理解不能だ。


 彼女は小学校の4年の時に親の都合で転校した。

それ以来、連絡の一つも取っていない。


「まさか遥君がこの学校にいたなんてね。つい最近まで知らなかったよ」


「よく俺のこと分かったな、久しぶりだってのに」


「うん。だから最初見つけた時は人違いかなって思ったんだよね。でも夏休みに昔住んでた辺りに行ってみたら遥君のこと見つけてさ。やっぱりそうだったんだって」


「わざわざ様子見に来てくれるなんて。お前、俺のこと大好きだな」


「は?」


 彩芽が目を細めて睨んできた。まったく、照れやがって、可愛い奴め。


「申し訳ありません、調子に乗ってしまいました」


 仕方がない、ここは謝っておいてやるとしようか。


「お~い、あやあや~」


 遠くから長い黒髪をポニーテールにした女子生徒が駆けてくる。

 その後を追うように二人の男子生徒が続く。


「その人誰?あやあやの彼氏さん?」


「違うよ!ただの友達、昔家が近所だったの」


「ふーん、そうなんだ」


 ポニーテールの少女は俺を下から覗き込むようにして見上げた。

 後ろから追っていた男共も追いついたところだ。


「初めまして、私、3年5組の桜木理沙って言います。よろしくお願いします」


「俺は藤堂猛、でもってこっちが成沢祐世。全員同じクラスだ」


「よろしくね」


 三人が聞いてもいないのに自己紹介をしてきた。

 三人とも見た感じ何らかのスポーツをやっていそうな雰囲気ではある。

 俺の予想では、桜木理沙が陸上、藤堂猛が野球、成沢祐世がサッカーと言ったところだ。


 沈黙が場を支配する。

 これは、俺に対しての自己紹介をしろという無言の圧力なのだろう。


「ああ、どうも。えっと、俺は3年9組、風見遥」


「9組、進学クラスかよ。すげえな」


「だから会う機会無かったんだね。遥君頭良かったもんね」


 そんなことを言われてしまうと、はたしてどのような返事をするべきなのかが分からなくなる。

 確かに俺は進学クラスだ。だがそれは受験時に限り成績が良かったからだ。

 今となっては校内の平均点をどうにか超える程度の成績だ。

 進学クラスに名を連ねる身としては落第点である。


「あやあや、そろそろ教室戻った方がいいんじゃない」


「ああ、そうだね。ごめん、先戻ってて」


「えっ、なに、どうしたのあやあや。風見君とチューするの?」


「しないよ!もう。ちょっと話があるだけ」


「ほんとかな~。さっきから下の名前で呼んでるし、怪しいな~」


「もう、藤堂君、成沢君。りーちゃんのこと連れてって」


「だそうだ。ほら、行くぞ」


「はいはい。分かったよ、もう」


 三人が教室へと戻るのを見送ると、俺と彩芽は向き合った。


「そういえば、何で下の名前で呼ぶようになったんだっけ」


「親同伴で合うことが多くて、紛らわしかったからだろ」


「ああ、そんなんだった気がする」


 彩芽が口を結んで真面目な顔を作った。

 俺は彩芽の目を見つめた。

 一呼吸、置くと、彩芽が言った。


「約束、覚えてる?」


「婚約?」


「違うから!そうじゃなくてさ。ほら、あれだよあれ」


「婚約もしたと思うけど?」


「・・・もしかして本気にしてたの」


「当たり前だろ。お前だって同意してくれたじゃないか」


「いや、あれは冗談のつもりで言ったんだけど・・・」


 マジかよ。

 滅茶苦茶恥ずかしい。

 俺が馬鹿みたいじゃないか。

 穴があったら入りたい、無ければ穴掘って入りたい。


 とはいえ、彩芽にその気がないのであれば、これは幸い以外の何物でもない。

 彼女を一切傷つけることなく、約束を撤回できるのだからな。


「ああ、いや、そうだよな。冗談に決まってるよな。というか、あんなもの本気だとしても無効だ」


「やっぱり本気だったんだ、へー」


「やめろ、忘れろ。そしてニヤニヤするな」


「まあ、遥君がそんなに―――


「どうせ叶わないんだし、両方まとめて破棄しようぜ。今日再開できたのは幸運だな。後顧の憂いを断ち切れる」


 俺は彩芽の言葉を遮って言い放った。

彩芽は少しだけ間をおいて、そして言った。


「両方って、約束の方も?」


「ああ、そうだ」


 彩芽はまた時間をおいて、そして俺に質問によく似た確認をする。


「どうせ叶わないんだし、それって、夢を諦めるってこと?」


「ああ、もちろん。というか、もうとっくに諦めてる。夢?そういえば二人でそんな誓いを立てたな。夢が叶ったらきっとまた会える、そしたら結婚しよう。漫画読みすぎ、ゲームやりすぎ、現実見なさすぎの小学生の妄言だ。実際やってみたら分かる、そんな簡単なことじゃないってさ。」


 何が夢だ、くだらない。


 日本中、誰もが知っているようなゲームを作って、そこに名前を載せて、そうしたらもう片方に自分の居場所を伝えられる。今自分がどこで何をしているのか伝えられる。

 相手がどこにいるのか分かったらもう一人が迎えに行こう。

そして結婚しよう。


 盛大なラブレターだな、馬鹿馬鹿しい。

 なぜ8年前の俺はこんなくだらないことを言ったのか、本気で後悔している。

 小学4年生なら普通、もう少しだけましなことができるだろう。

 8年前の俺のせいで、今の俺の人生はこんなつまらないものになっているのだ。


「こっち向いて」


 彩芽が俺にそういった。

 気が付けば、俺はいつの間にか彩芽から視線を逸らしていた。

 彩芽の方を向くと、彩芽は俺の目を指差して、「やっぱり」と言うと、


「目、死んでる」


と、言った。



 彩芽はそれだけ言うと、駆け足でここから去って行った。



 死んでるのか、そうか。だろうな。



 2


 夏休みはもう既に8月に入っていた。


 高い建物に囲まれた小さな公園。

 太陽の熱と蝉の声が乱反射して、そこは地獄と言い切ってしまっても問題ないぐらいの不快な場所だった。


 服はすっかり汗で濡れている。

 しかし俺は、その場所から立ち去ろうとはしなかった。


 待ち合わせ、時間はもうとっくに過ぎている。

 大事な話があるからゲーム機を持ってきてなどという意味不明な電話で俺を呼び出したのは少女、美咲彩芽。

 小学4年生、当時の俺と同い年、家が近所ということで、登下校時は一緒に行動することも珍しくなかった。

 低学年の頃はよく二人で遊んだものだ。


 しかし、最近はあまり顔を合わせる機会がなくなった。

 なぜかというと、高学年になり誰かと一緒に帰ることを学校側が推奨しなくなったことも要因の一つではあるが、やはりある程度の年齢になったことにより、俺が美咲を異性として意識するようになったからであろう。


 俺は美咲彩芽が好きだった。

 当時の俺は決して認めようとしないだろうが。


「あいつ、遅いな。なんだよ、自分で呼んどいて」


 そんなことを言いつつも、当時の俺は律義に待っていたのだ。

 時間を過ぎても現れない友達を、自分にさえ内緒の想い人を。


「えい!」


「冷たッ」


 突然に水を掛けられた俺は驚き顔を上げる。

 そこには水鉄砲を持った少女が立っていた。

 純白のワンピースに身を包み、長い髪を風に弄ばせている。


「彩芽、ゲーム機壊れたらどうするんだよ。ていうか遅刻」


「ごめん、ごめん。ちょっと色々あってね」


 彩芽は俺の隣に座った。

 俺は彼女に問いかける。


「それで、大事な話ってなんだよ」


「・・・えっと、その前に。ゲームやらない?」


「なんだよ、勿体つけて」


「いいからいいから」


 彩芽とゲームをするのは久しぶりだな、と思った。

 以前はよくゲームの対戦をしていたのだが、俺が勝ちまくっていたところ、彩芽が不貞腐れてしまい、それ以来こちらからゲームしようと誘っても、毎回断られてしまっていた。


 久しぶりだが手加減なんてしない。

 全力を以て相手を倒す、それがこの頃の自称ゲイマー俺の流儀であった。


 結果、当然のように圧勝した俺は彩芽にどうだとでも言いたげな視線を向ける。


「やっぱ強いね、遥」


「俺に勝とうだなんて千年早い」


 漫画やアニメの影響を受けやすい子供だった。

 千年早いなどという恥ずかしいセリフを恥ずかしげもなく披露した俺に、彩芽が苦笑する。


「あのさ・・・」


「なんだよ」


彩芽は急に声の調子を落として言葉を放つ。

 俺は無神経に続きを促した。

 彩芽は小さな声で言った。


「私、引っ越すんだ」


 俺は絶句した。


 言うべき言葉が、掛けるべき言葉が、見つからなかった。


 彩芽とはずっと一緒にいた。

 俺の記憶の最初のときには、既に彩芽の姿があった。

 幼稚園の時から、今の今まで、ずっと一緒で、住んでいる場所も近くて、会おうと思えばいつでも会えて、大好きだった少女、幼馴染。

 これまでもこれからも、ずっと一緒だと思っていた少女。

 幼かったあの日、しかし永遠などないと分かっていた。それでも彩芽だけは、いつでも俺の傍にいてくれると思っていた。

そんな彼女との別れが告げられた。


 彩芽が約束の時間に遅れたのは、おそらく別れの言葉を告げるその覚悟ができなかったからなのだろう。俺はそう考えて、ならばどうしてもっと早く気が付かなかったのかと自分を責めたのを覚えている。

 そんなこと分かるわけがないのだが、気付けるわけがないのだが、それでも自分を責めたのを覚えている。

俺はその時、ならば最後ぐらい勝たせてやっても良かったのではないかと後悔した。

 今になって思えば、だからこそ彩芽はそのことを言わなかったのだと分かるが、当時の俺にはそこまでの理解力はなく、だから何とかして彼女との別れをより良いものにしようと躍起になった。


「ごめんね、言うのがぎりぎりになっちゃって。明日の朝早くに出発なんだ」


「なんで、そんな急に。親は、お父さんやお母さんは知ってるの?」


「うん。遥には自分の口から伝えたいって言って、黙っててもらったんだけど、なかなか言い出せなくて。それで、こんな急に。ほんと、ごめん」


 今にも泣きそうな声で、彩芽は説明する。


 こんな終わり方嫌だ、俺はそう思った。

 あんな一方的なゲームが最後だなんて、そんなのはあんまりではないか。


「あ、あのさあ、彩芽」


「なに?」


 俺はとっさに言った。

 彩芽を失いたくない、その一心で適当なことを言った。

 最後に彩芽の笑顔を見たい、その一心で適当なことを言った。


「俺さ、いつかゲームを作りたいんだ」


「ゲームを作る?」


「そう。さっき対戦したゲームだって、誰かが作ったゲームなんだぜ」


「それは分かるけどさ」


「俺、いつかこのゲームみたいに日本中誰でも知ってる様な、そんなゲームが作りたいんだ」


 彩芽はきょとんとした顔で俺の言葉を待っている。

 俺はありもしない夢の話を続ける。


「それでさ、そんなゲームを作ったら俺の名前が日本中に広がると思うんだ。そしたら俺とお前、また会えるんじゃないかってそう思って、それで」


「それで?」


「再会できたら、夢が叶ったら、結婚しよう」


 いったいどれほどまでに熱くなっていたのだろうか。

 真夏の日光にやられたのかもしれない。

 漫画だか、アニメだか、ドラマだか、何の影響かは知らないがそんな馬鹿げたことを口走って、即後悔する。


 そんな俺を真剣な顔で見ていた彩芽は、しかし唇を緩めると、やがてからかうように笑い、


「うん、分かった」


 と、返事をすると、俺の手の上に自分の手を乗せ「でもね」と言葉を紡ぐ。

 俺は少しだけ顔を横に向けて視線を逸らした。


「私もゲーム作りやってみる」


「本気?」


「うん、本気。私、遥みたいに頭良くないし、ゲームもうまくないし、それなのに日本一のゲームなんて作られたら悔しいじゃない。だからね、ゲーム作りでは私が勝つ。遥よりも先に、すごいゲームを作って見せる」


「じゃあ、勝負しよう」


「うん、今度は負けない」


「俺が誰でも知ることになるような、そんなすごいゲームを作るから。そしたら俺がどこで何してるか分かるだろ。でもって、それが分かったら、会いに来てよ、彩芽」


「うん、そうだね。でもすごいゲームを作るのは私だよ、遥」


 互いに名前を呼び合って、微笑み合った。


「じゃあ、夢が叶ったらまた会おうか」


「その時は結婚するんだよね」


「な、いや、それは・・・」


 俺が思わずたじろぐと、彩芽が楽しそうに笑った。


「じゃあね。また会おう、遥」


「ああ、また会おう、彩芽」


 もう一度だけ名前を呼び合った。



 夢を誓い合い、再会を誓い合い、そして―――

 そんなことをすれば、また会えると思っていた。

 フィクションの世界のように都合の良い展開がやって来て、そして彩芽と再会できると思っていた。

 影響を受けやすい子供だったからとしても、いくら小学生だったからとしても、それでもこの愚かさはないだろう。


 本当に、夢を見ていたのだ、俺は―――



 3


 本日文化祭。


 俺のクラスは「恐怖のカフェ」をやることになった。

恐怖のカフェとは具体的にはどのようなものかといえば、薄暗い部屋の中で血だらけの服を着た店員にもてなされながら食事をするという、何とも言えない喫茶店である。

お化け屋敷と喫茶店で意見が割れた結果、このようなものが生まれたらしい。


 その結果どうなったかと言えば、予想に反して盛況となった。

 この案に決まった時は、最後の文化祭だし赤字なんか気にせず楽しもう、といった雰囲気が我がクラスに漂っていたのだが、しかしさすがはお祭りごと、ただただ珍しいという理由だけで客が押し寄せてきた。



 クラスの出し物のシフトが終わると、本格的にやることが無い。


 そこかしこに出店はあるものの、学校の文化祭ごときに金を使う気は起きない。

 もちろん無料の出し物もある、しかしその多くがお化け屋敷だの迷路だので、さすがにこれらの場所に単身で乗り込むのは気が引けるというものだ。

 プラモデルや漫画絵の展示ならば何ら問題なく一人で行けるのだが、これらの展示場所にあまりにも人がいないものだから、監視をしている同好会の人間と度々目が合うのだ。その場に何時間も滞在するのはいくら何でも気恥ずかしさを感じざるを得ない。



 さて、このように暇を持て余していた俺は、ライブを見に行くということにて決着した。


 体育館に入ると、最後方角の椅子に腰かけた。

演奏に耳を傾けつつも、脳のリソース大半を関係のない、そしてどうでも良い空想に費やす。


 頭の中でストーリーを作ることは昔から得意だった。

 いや、ただ単に好きというだけで得意ではないのかもしれないが。

 少なくとも苦ではないのだ。

 ただしそれも漠然と目的地もなく空想し続けるに限ったことであり、整合性の取れ起承転結のある物語を作るのはやはり難しく、そして時には嫌気のするような難題にもなり得る。


 ならば、なぜ俺がそのような苦を味わってまで物語を作ろうとしたかと言えば、それは―――


 突如、脳を内側からハンマーで叩かれたような、そんな衝撃を感じた。

 意思とは無関係に顔を上げた。


 ステージの上ではバンドの演奏が行われている。

 この曲に、この演奏に、聞き覚えがあるようなそんな気がした。

 今までの、他の人たちと、何が違うのかは分からない。ただ何かが違う気がする。

 目を耳を思考を奪われる。


 その演奏を見て、かっこいい、と、そう思った。



 演奏が終わり、バンドのボーカルの男がギターから手を放すと代わりにマイクを手に持った。


「みなさん、こんにちは。本日はお日柄も良く、えーと、なんだ。俺こういうの苦手だな」


 先ほど歌を歌っていた時は、全てを引き付けるような覇気を感じられたのだが、まるで別人のような締まらない調子で話を始めた。

初めに自己紹介、さらりと告げられたバンド名。

 しかし、そのバンド名は俺でさえ知っているような有名なものであった。


 何気なく振り向くと、体育館は超満員。席に座れず立って演奏を聴いていただろう者も大勢いる。

 その中に彩芽たちを見つけた。


「えー、みなさん。この度はこのような場を設けていただきありがとうございます。少しだけ私に話をさせてください」


 体育館内が静まり返る。校長先生のお話ではなかなかこうはいかない。


「皆さんには夢がありますか?私にはありました。そして叶いました。私はバンドを組んで、そしていつかCDを出したいと思っていました。最初にそんなことを思ったのは高校生時でした。この学校で俺は仲間と出会い、そしてバンドを組んで、そして夢を叶えました。毎日毎日練習漬けの日々、やめたいと思うことは何度もありました、それでも俺たちはやめないで続けました。夢を叶えたかったからです。皆さん、夢はありますか?夢があるのなら本気になってください。本気で挑んだからって夢が叶う保証はどこにもありません。でも」


 皆が彼の言葉の続きを待つ。

 きっとみんな分かっているのだろうけれど、それでも続きを待つ。


「本気にならなければ絶対に夢は叶いません」


 分かっていた、そうこぼしたくなった。


「本当にやりたいことがあるなら、本気でそれに挑んでください。本気にならずに投げ出したりしたら、きっと後悔します。俺たちの仲間にも一人、途中で投げ出した奴がいます。彼は言っていました、後悔していると。そしてそれを高校生たちに伝えて欲しいと。自分みたく後悔してほしくないと、そう言っていました」


 耳の痛い話だ、今すぐ耳を塞いで、いっそ鼓膜を破って、体育館から飛び出したい。

 なのに、彼の話を最後まで聴きたいと思う自分もいる。


「高校生の皆さん、もしやりたいことがあるならば本気になってみてください。諦めるのは、本気でやって駄目だった時でも遅くないと思います。もし夢があるのなら、どうせ叶わない、やっても無駄だ、そんなことを言う前に一度だけ全力で挑んでみてください。将来の自分が後悔しない為にも」


 そんなことが言えるのは、こいつが成功者だからだ。

 やって駄目だったら、やっぱり後悔するに決まっている。何であの時、こんな無駄なことをしたのか、そう思うに決まっている。

 でも、やらずに諦めたとて後悔するのならば、はたしてどちらがより後悔しないで済むのだろうか。

 どうしたってそれらを比較することなどできないのだけれど。


 結局後悔しないのは、やって望み通りの結果を得られたものだけなのだろう。



 4


 どうやら先ほどの演奏が最後だったらしい。

 そりゃそうだ、プロの後に演奏するなど常人からしたら拷問に近い行為だ。


 仕方なしに体育館から出る。

 服の袖を掴まれた。

 立ち止まる。

 相手は分かっている。


「何か用か、彩芽」


「どう思った?」


 あの演奏を聴いてか、それともあの演説を聴いてか、どちらだとしても俺の答えは一つだ。


「かっこよかった」


 素直に、思ったままのことを言った。

 かっこよかった、それがあの演奏から、あの演説から、そして彼らから感じた全てである。

 それ以外を感じることができないほどにかっこよかった。


「ねえ、風見君。考えは変わらない?」


「彩芽、ちょっと人気のないところに行こう」


「人気のないところって、なに?変なことしないよね?」


「さあな」


 俺と彩芽は体育館の裏に回った。

 そこからさらに人気のない場所に進む。

 出店もなければ、人もいない、周りを青々と茂る木が遮る小道を、二人並んで沈黙を守ったまま歩く。


「この辺りでいいんじゃない」


「ああ、そうだな」


 彩芽の言葉を了承する。

 俺たちは向き合った。


「さっきの質問、答えて」


「変わらない」


「そう」


 俺の答えに彩芽は悲しそうな顔をした。

 どちらも声を発することなくその場に立ち、見つめ合う。

 風の音が無ければ時間の流れを喪失してしまいそうな、そんな間が二人の間に出来上がる。


「なあ、彩芽」


 俺はその間を壊して、声を出した。

 後悔しないのは成功者だけだ。

 後悔したくなければ夢を叶えるしかないのだ。


「俺と付き合ってくれ」


 告白した。


「ずっとお前のことが好きだった。付き合ってくれ」


「約束は無かったことにするんじゃなかったの?」


「お前と約束した後、結構頑張ったんだ」


 勝手に話を始めた。

 空気の読めない奴と思われるかもしれない、それでも聞いて欲しかったから。


「あの後ゲーム制作会社に入るにはどうすればいいのか調べてみたんだよ。そしたら自分でゲームを作ってそれをネットか何かに公開して、でもってそれを名刺代わりにするのが良いっていろんなところで言われてて、だから作ってみようと思って」


「思って、どうしたの?」


「実際作ってみて、スゲー難しいって分かった。序盤の雑魚敵でさえ、うまくゲームバランスが取れないし、技を使うようになったり、レベルが上がったりしたらもう滅茶苦茶になった。ストーリーも色々考えてみたんだけど、どうしてもちゃんとした物語にならないんだよ」


「それで諦めたの?」


「そんなんで諦めるわけがないだろう。少しずつでも直していこうとしたさ。少しずつ、少しずつ、一歩、また一歩、だけど確実に夢に近づいている気がしてた。勉強だってちゃんとやった。大学で専門知識学ばないといけないだろうから、いい大学に入れるように、その為にもいい高校に入れるようにって、勉強して、ゲーム作りもやって」


 この先を語るのは躊躇してしまう。

 それでも多分、言わなくてはならないことなのだと思う。


「気が付いたら友達いなかった」


 彩芽は何も言わずに、黙って俺の話を聞いてくれている。

 一息分だけ深呼吸して、そして続きを話した。


「部活もやらなかったし、クラスでの付き合いも悪かったからな。休み時間もゲームのストーリー練ってたりしてたし、友達いなくなって当然なんだけどな。それでも、夢が叶えばって思ってた。今をどれだけ犠牲にしても、将来笑えれば、夢を叶えられれば、それで幸せだと思ってた」


「すごく、かっこいいと思うよ、それ」


「周りの奴らが、当たり前みたいに付き合ったり別れたりしてるんだよ」


 付き合うなんて、別れるなんて、こんなにも軽いことだったんだな。

 そう気付いたとき、思った。思ってしまった。


「夢が叶ったらまた会おう、結婚しよう。そんな口約束、守ってくれるわけないよなって思った」


 もしも彼女が約束を守ろうとしていたのなら、これは最低最悪の侮辱に他ならない。


「彩芽だって、きっと約束のこと忘れて、誰かと付き合ったりしてるんじゃないかって思って怖くなった」


 彩芽は何も言わない。言ってくれない。


「一度そんなことを考えたら、ネガティブなことばっかり頭の中に浮かんできた。このまま夢の為だけに生きて、それで結局夢が叶わなかったら、きっと何も残らない、それが怖くなった。今まではそんなこと思わなかったのに、急に全部失うのが怖くなったんだ。何でだろうって、何でだろうって考えた。そしたらさ、分かったんだよ」


 押付けがましい妄想だ。


「きっと彩芽なら、いつまでも待っててくれると思っていたから平気だったんだって」


 ありもしない幻想だ。


「俺が夢を叶えられなくても、彩芽が代わりに叶えてくれる。そうしたら再会できるって思ってたから」


 真実はたったこれだけだったのだ。


「そこまで考えて分かった。俺、彩芽のことが大好きだったんだって」


 いい加減、何か喋ってくれよ。

 だって、これを口にしてしまったら―――


「俺は、ゲーム作りがしたいんじゃなかったんだって。そんなのはただの口実で」


 嫌だ、嫌だ、言いたくない。

 これだけは言いたくないのに。


「俺は彩芽と一緒にいたかっただけだったんだよ」


 言ってしまった、彩芽にこれを。

 彩芽は約束を覚えていた、それなのに、これを言ってしまった。


「それが分かったら、何もかもやる気が失せた。ゲーム作りなんてただの手段に過ぎないんだ、そう思ったら、学校生活費やすほどのものでもないような気がしてきたし、なのに今更友達作ろうとか、学校生活エンジョイしようとか、そういう気も起きなくなってさ。勉強する気すらなくなって、何となくだらだら過ごしてるだけになっちゃったんだよな。」


「うん、分かった。頑張ったんだね、風見君」


「やっぱ人間、目標が無いと頑張れないもんなんだな」


 何かを悟ったようなことを言って、ひとまず口を閉じる。


 再び訪れる沈黙、静寂。

 俺はもう一度言う、自分の全てをさらけ出した後、改めて、もう一度。


「彩芽、好きだ。俺と付き合ってくれ」


 彩芽と一緒にいたい、彩芽の一番傍にいたい。ずっとそう思っていたのだから、何度だって言える。


「俺、今自分でもとんでもなく駄目な奴だって分かってる。でも、きっと変わってみせる。お前に少しでも良い思いさせてやろうって思ったら、勉強だって今よりずっと頑張れる。少しでもいい大学に、少しでもいい会社に、少しでも多く稼いで、少しでもお前に楽させてやろうって思える。だから俺と―――」


「風見君」


 言葉を遮られた。

 彩芽は俺に言った。


「ごめんなさい」


 断られた。


 彩芽は少しだけ下を向いて語った。


「風見君が言った通りだよ」


「その風見君ってのやめてくれよ」


「私は風見君みたいに一生懸命になってなかった。とてもじゃないけど偉そうなことなんて言えない。私もね、ゲーム作り、やってみようって思ったんだ。なのに、友達と遊んだりして、それで時間が無くなってって、まだ小学生だし、中学は始まったばかり、部活で忙しいから、受験だから、高校の勉強難しい、なんだかんだ理由つけて、気が付いたら高校生活ももう終わりそう」


「それでいいんだよ。楽しい学校生活送って何の問題があるんだ。それに、ゲーム作りは俺が勝手に言い出したことで、お前が一生懸命になる理由もないだろう」


「すごく後悔してる」


 さっきから俺の言葉は聞き流されている。

 いや、もはや聞こえてすらいないのかもしれない。


「私ね、あの時の風見君のこと好きだった。日本一のゲームを作りたい、だっけ。そんなことを言ってた頃の風見君が大好きだった。ずっと一緒にいたいって思った。結婚してもいいかなぐらいには思ってた」


 あの頃の俺が好き、か。


「あの時、あの別れのとき、風見君に夢を分けてもらったんだって思った」


 俺が夢を分けてあげた。

 ありもしない口から出まかせの夢なのに。


「それなのに、何もしないで時間ばっかり過ぎていって、ある日この学校で風見君のことを見つけた時、怖くなった。きっと風見君は一生懸命に夢に向かって頑張ってるのに、私はこんなんだから」


 俺だって、きっとその頃は、もう。


「夏休み、ふとあの公園に寄ってみたんだ。そしたら偶然歩いてる風見君を見つけて、・・・安心した」


 彼女は俺を見て安心したと言った。

 俺にもその感情は理解できる。


「ダメなのは自分だけじゃないって知って、安心した」


 その気持ちは痛いほどに分かる。


「でもその後、風見君に話しかけた時、死んだような眼をしてるのを見た時は、悲しくなった。あの頃の風見君はもういないんだなって、分かったから」


「あの頃の俺、あの頃の俺って、別にかっこよくも何ともないだろうよ」


「そんなことないよ。かっこいいよ」


「あんなのただのかっこつけだ。何も知らない、何も分かってない小学生がかっこつけてただけ」


「かっこつけてもいないどこかの誰かよりは、ずっとかっこいいよ」


 辛辣だな。何も言い返せない。


「ねえ、覚えてる?私と風見君が初めて遊んだ日のこと。風見君がゲーム機持ってきて、対戦しようって誘ってくれた時のこと」


「あったな、そんなこと」


「あの時嬉しかった。ずっと一人で遊んでた私に、初めて友達ができた。すごく、楽しかった。だから」


 飾らない幼稚とも言える言葉で、本心で彩芽は話す。


「風見君にゲーム作りがしたいって言われたとき、思ったんだ。私にも誰かの支えになるような、誰かを楽しませられるような、そんなゲームが作れたら、きっとすごく幸せだって」


 あの時、俺が彩芽と別れたくない、その一心でフィクションにすがっていたような時に、彩芽はこんなことを考えていたのだとしたら、俺は振られて当たり前だな。


「それが私の夢になった、私の目標になった。それなのに今まで楽な方へ楽な方へ逃げてばかりで、すごく後悔している。このまま夢から逃げたら、夢を捨てたら、絶対に今以上に後悔する」


 彩芽は顔を上げると、俺の目をまっすぐ見据えた。


「未来の自分に後悔させたくない。だからこれからは、本気で夢の為に頑張ろうと思う」


「後悔しないのは成功者だけだ。夢が叶わなかったらきっと後悔する。何であんな無駄なことしたんだろうって、きっと」


「じゃあ、夢、叶えるしかないね」


 すごいと思う、俺にはそれを笑顔で言い切るなんて、とてもできはしない。


「まずは一作、面白いゲームを作る。それが私の目標」


「そうか、頑張って」


 俺は彩芽に背を向け、その場を立ち去る。

 どこに行くわけでもない、ただここにいたくないだけ。


「待って」


 そんな俺を彩芽が引き留めた。


「一つだけ教えて」


「なんだ?」


「どうして、ゲーム作りだったの?」


「どうしてって、何がだよ」


「再会を約束するだけなら、別になんでも良かったじゃない。それなのに、どうして、ゲーム作りだったの?」


「それは・・・」


 なんでなんだろうな。

 いや、分かっている。分かっているのだけれども、でも。


「それが本当に、遥君のやりたいことだったからじゃないの」


「そうだったんだろうな。もう、思い出せないけど」


 彩芽が手を前に出してきた。

 握手、だろうか。


「ねえ、今度はさ、二人で一緒にやらない?一緒に大学行って、ああ、でも別に同じ大学じゃなくても良いか。とにかくさ、二人で一緒にやろうよ、ゲーム作り。約束は無かったことにしたんだし、何も問題ないでしょ。一人だと逃げたくなっちゃうけど、二人でならきっと大丈夫だと思うから」


 この手を取れば、彩芽を失わずにすむ。

 しかし、さすがにそこまでは堕ちられない。

 自分の欲望の為に、彼女の夢を汚せるほどに堕ちることはできない。


「お前の好きな男の子は、もう死んじゃったんだよ」


 それだけ言って、その場を立ち去った。



 5


「あれ、風見君?」


 目的もなく時間を潰すためだけに歩いていたところ、誰かに呼び止められた。

 振り向くと、そこにいるのは桜木理沙、藤堂猛、成沢祐世の三人であった。


「風見君、久しぶり。あやあや見なかった」


「あー、ちょっと。うん」


「どうかしたのか?」


「いや別に。あっちの方にいたけど」


 俺は来た道を指差して答える。

 それを見た三人は、不思議そうに尋ねてくる。


「向こうってお店か何かあったっけ?」


「ないけど・・・」


「じゃあ、何でそんなところに?」


「それは・・・」


「桜木さん、あんまり突っついちゃ可哀そうだよ」


「えっと、成沢さん。あなたは何を言ってるんですか」


 見透かしたようなことを言う成沢に尋ねる。


「ほら、あれでしょ。二人きりで会って、話をしてたんでしょう。人気のない場所で。それはもう、ねえ?」


 成沢は何があったのかを分かっているらしい。

 彼は風貌を見るからに、異性に対して受けが良さそうではある。

 色恋事に関しては、俺とは初期ステータスも経験値も比べ物にならないほどの高みにあるのだろう。俺の一挙一動から事情を把握することなど容易い、とでも言いたげに思える。


「まあ、美咲さん、好きな人いるみたいだし」


「へー、そうなんだ」


 だとしても、もう驚いたりしない。

 悲しんだりもしない。

 俺にはもう関係のないことだ。


「猛も振られたことあるし」


「おい、祐世。てめえ、言うなよ」


「いいじゃん、別に。猛がこれ以上ないぐらい見事に玉砕して、もう終わったことなんだし」


「泣くぞ、いくら俺でも泣くぞ」


 そんな掛け合いをした後、成沢は言った。


「昔、幼馴染と結婚の約束をしたんだって」


 その言葉に少しだけ心が揺らいだ。

 冗談だなんて言っていたけれど、でも、もしかしたら彩芽は、あの時本気で言っていたのかもしれない。

 でも、だからといって、何をすべきだというのだ。

 だとしても、彩芽が好きなのは昔の俺であり、今の俺ではないのだから。今の俺は、何をしても無駄なのだから、何もできないのだから。


「藤堂さん、もう一度告白してみたら?その、約束の相手とかいう人、もういないから」


「・・・いや、やめとく」


「まあ、考えが変わることなんていくらでもあるし」


「いや、そうじゃないんだ。美咲のことは今でも好きだけど、美咲は何て言うか、その約束の相手以外眼中にないって感じだったんだよ。だから」


 藤堂はそういうと、俺の肩を掴んだ。

 筋肉質な長い腕に両肩を掴まれて、身動きが取れなくなる。

 俺は見上げるように藤堂と目を合わせた。


「男らしく告白してこい。お前が美咲の言ってた奴なんだろう」


「告白って、いや。さっき振られたばかり」


「何やらかしたんだよ、早く謝ってこい」


「ちょ、ちょっと待って。何でそんなに熱くなって、ていうか彩芽のこと好きならあんたが告白―――」


「好きだからだよ。あいつを幸せにできるやつは一人しかいないって振られた時分かったんだよ。美咲は俺なんかと付き合ったって、絶対に幸せになれない。その約束の相手とくっつく以外にあいつは幸せになれない、そう思った」


「なんで、そこまで」


「俺、振られたときについ言っちまったんだよ。そんな昔の約束、どうせ相手は覚えてないって。そしたらあいつ、本気でキレちまったんだよ。あんなの見たことなかった。私の好きな人をバカにしないでって、正直かなり怖かったな」


「ヤンデレかよ」


 思わずして、そんな言葉が口に出る。

 それほどに、妄信的なまでに、昔の俺は彩芽に好かれていたのか。


「だから、あいつを幸せにしてやれるのはお前だけだ」


「こっちの事情も知らないくせに、ベラベラ、ベラベラ、偉そうに、説教かよ」


 悪態をついた。


 何があったのか、どうして俺が振られたのか、それを知ってこいつは同じように言えるのか。

 俺は変わってしまっただけ、そんな俺を彩芽が勝手に幻滅しただけ。

 俺が謝るなんて、変わった自分をまた変えてまで彩芽のことを幸せにするなんて、何でそんな話になるんだ。

 こいつが言っていることは、全くもって筋が通っていない。

 何も知らない奴が、自分の好きな子を幸せにしてあげたいがために、その子の好きな人を誰かの人格を捻じ曲げてでも造り出そうとしている。

 物語で言えば、完全に悪役のすることだ。ヒーロー気取りの悪役とはまさにこれ、一番質の悪いタイプの人間だ。


 だから、言ってやった。

 はっきりと、言ってやった。


「ありがとう、行ってくる」


 俺は藤堂の手を払うと、走り出した。


「俺の好きな女奪ったんだからな、幸せにしてやらなかったらぶっ飛ばすぞ」


 奪ったとは人聞きが悪い。話を聞くに、彩芽がお前のものになったことなど一度もないではないか。

 そしてぶっ飛ばすのは勘弁してくれ、あんたに殴られたら冗談抜きで死ぬ。

 で、あれば、幸せにしてやるしかないな、大好きな女の子のことを。


 あの時彩芽は、振った俺に対して手を出した。

 なぜだ?

 昔の俺に戻って欲しい、その意思表示だったのか?

 だとしたら、我が儘な女だ。

 振った相手に対して、昔みたいになってくれなどと。今の君じゃなく昔の君が好き、だからそっちの君と付き合いたい、そんな自分勝手が許されるものか。


 俺は許せる。

 そのぐらいの我が儘ならば許してやれる、俺はそのくらい彩芽のことが大好きだ。


「ちょっと待って」


 俺が全速力で駆けだしたところ、桜木が息も切らさず追いかけてきた。

 俺は立ち止まる。


 ねえ、ここで呼び止めるってどうなんだよ。空気読めよ。ていうか足速いな。陸上部読みは当たりか。


「いや~、空気読めないとは思ったんだけどさ。あやあやのこと、一つ教えとこうと思って」



 6


「よう、彩芽」


「なに?」


 初めは走って探そうとしたが、広い学校を探し回ったところで見つかるとも思えず、校門の前で待っているのが一番確実だと思った。


「夕焼け空、ムードあるな」


「用があるなら早く言って」


「ゲーム作り、手伝ってやるよ。お前の夢なんだろ」


「手伝ってくれなんて、言った覚えはないけど」


「そうかよ。でもまあ、だとしてもこう言われて、お前が嬉しくないわけないよな。お前、俺のこと大好きだから」


「何言ってるの?恥ずかしいよ」


「知ってる。自分が恥ずかしい奴だって知ってる。聞いたよ、お前、ゲーム一作、完成させたんだってな」


「誰から聞いたの?」


「桜木さんから」


「そう」


 彩芽は目を逸らして言った。


「あんなもの、ゲームでも何でもないよ。本当に、ただ作っただけ。バランス調整もできてない、ストーリーも滅茶苦茶、面白くも何ともない。仲の良い友達にプレーしてもらって、つまらないって言われるぐらいだから、相当ひどいもんだよ」


「絵は良かったって言ってたぞ」


「それだけは、まあ」


「だから手伝ってやる」


「それ、どういう意味」


「バランス調整もストーリーも俺の得意分野だからな。これに全部費やして燃え尽きたと言っても過言ではない」


「いや、燃え尽きちゃダメでしょう」


 彩芽は唇をほころばせると、


「得意分野だなんて、うぬぼれが過ぎるんじゃないの。まだ何も作れてないんでしょう」


「ああ、面白いもの以外は作らない主義なんでな。とりあえず作ってみるとか、そういう考えは俺の中にはないんだ。残念ながら俺はまだ、最後まで作りたいと思えるようなゲームは作れてない」


 小学生ならいざ知らず、高校を卒業しようという年齢の奴が、これだけかっこつけた以上、なにもできなせんでしたでは済まないだろう。

 年取るとかっこつけることに責任が付いてくる、まさかとは思うが、そのぐらいのことは分かって言っているのだろうな。


「一人でやるのは大変なんだよな。矛盾点とか問題点とかに後から気が付いて、それで全部ぐちゃぐちゃになって、まあ、あれだ、ええと。何が言いたいかっていうと」


 やっぱもう、かっこつけるのは無理だな。

 年齢的にも、精神的にも。

 だからもう、はっきりと言うとしよう。


「お前の夢を手伝ってやるから、お前は俺の夢を手伝ってくれ」


「うん、分かった」


 俺のその言葉に、彩芽は即答した。


 俺はゲームを作りたい。

 それも、誰もが面白いと思えるような、そんなゲームを。

 俺と彩芽を引き合わせてくれた、あのゲームみたいなものを。


 彩芽がゲームを完成させた、そのことを知った時、すごく悔しかった。

 彩芽に先に行かれた悲しさよりも、負けた悔しさの方が大きかった。


 どうして、ゲーム作りだったの?

 俺と彩芽を引き合わせてくれたのが、ゲームだったからかな。

 そういえば、あのゲームそこまでメジャーとは言えないんだよな。

 でも、面白かったな。


 そうだよ、誰かに面白いって思ってもらいたかったんだよ。

 誰かが俺の作ったゲームを遊んで、そして楽しいって思ってもらいたかったんだよ。

 誰かじゃなくて、彩芽を楽しませたかったんだよ。

 いつも負かしてばっかりで不貞腐れてた彩芽を、最後の最後まで一方的な試合だったから、だから俺がゲームで楽しいって思わせてやりたかったんだよ。


「俺は、お前が楽しいって思えるようなゲームを作りたい」


「私が?」


「ああ、そうだ。思い出した。お前をいつも一方的に負かして、自分ばっかり楽しんでたからさ」


「私は楽しかったよ。負けてばかりだったけど、それでも。じゃなきゃ最後の最後にゲームしようなんて言わないよね」


「ああ、そうだな。その通りだ。なら」


 息を吸った。


「俺はお前をもっと楽しませたい。お前が楽しいと思えるようなゲームを作る、それが俺の夢だ」


 俺は彩芽が好きだ、だから楽しませてやりたい。

 俺の力で、楽しませてやりたい。

 それが俺の夢。

 そして一緒に楽しみたい、それが俺の本当の夢だった。

 お前がゲームが好きだったから、ゲームを作ろうと思った。

 俺がゲームが好きだったから、ゲームを作ろうと思った。

 お前がゲームを作りたいなら、一緒に作りたいと思う。

 お前と一緒に楽しみたいから、ゲーム作りがしたいなんて言った。

 一緒にいたい、一緒に楽しみたい、一緒に笑いたい、最高に面白いゲームを作れたら、また一緒に遊べて笑えるから、だから―――


 俺は彩芽が好きだ。何度だってそう言える。

 でも、きっとそれじゃ駄目だ。

 だって、俺だけが彩芽を好きでも、俺の夢は叶わないから。


 だから、今度はお前の方から告白しろ。

 俺は、お前が好きだって言えるような人間になってやるから。


「俺の夢に付き合ってくれ、彩芽」


「うん。一緒に頑張ろう、遥」

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8年後の俺たちはきっと後悔している 平戯深久兎 @3910

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