000.5 黄金のリンゴ

 


 黄金のリンゴを食べると願いが叶う。

 おとぎ話を信じたアホどもがアホ面を下げてアホのように流入してきてからもう何年経ったか、少なくともどこかの自意識過剰が立ち上げた企業が初期燃料での炎上をばねに気が付いたら大企業に肩を並べていたから、きっとそれなりの時間は経ったのだろう。人が惨事を忘れるぐらいの時間、あるいは油が黒煙に変わって蒼天に溶けるまでの時間。

 さて、ここにリンゴがあります。

 ありますが?



「宝くじで100万円当たったら何買う?」

 どうしたらいいのか分からず、私は慎重に慎重を期してハレルヤに意見を伺った。

「100万ごとき。万能の金額には程遠く、ちょっといい車を買うなら頭金にすらならない。一年暮らせるかどうかも怪しい、三か月でも怪しい。貯金したところでたかが知れる。私ならPSVRとPS4を買い、残りでそのソフトを買う」

「参考になりました」

 あたしが深々と頭を下げると、ハレルヤはふんと鼻を鳴らした。

 我々は学校へ向かう途中、いわゆる通学中だ。朝の日差しが眩しい。

 青空の下でもハレルヤの顔は真っ白。不健康なわけではなく、コーカソイド系のハーフなんだ。うす金色の髪が肩口で波のようにたゆたっている。顔立ちの切っ先まで一部の隙もない美人だけれど、少し冷たい。

「100万円当たったの?」

 聞き返された。

「いや、実は……」

 あたしは手に持った黄金のリンゴ、象牙のカメオ・ブローチ、聖杯、古代IC貨幣、ヒロイン、巨人の鼻クソ、浮遊石、アポロンのキンタマ、蓋の裏に暗号の刻まれた懐中時計、魔女の魂、壊れかけたオルゴール、サイキックペーパー、竜の七つの玉、それら全てでありながらどれとも違う独自性を持つ、しかし黄金色であるという点において汎用性を保った偉大なるマクガフィン、要するにリンゴを見せた。

 途端。

 ハレルヤの目の色が変わった。

 いつものターコイズ・ブルーから、翡翠色に。

 品のない行為を何よりも嫌い、憎んですらいたはずのハレルヤの右手が俊敏かつ正確に伸べられ、あたしは握力19の右手からリンゴが掠め取られていくのをただ見ていることしかできなかった。

 ぽかんと開いた口に、ハレルヤの左手の人差し指が突っ込まれる。

「――――閃光レイ

 あたしの湿った息がハレルヤの陶磁器のような指先にかかるのをうぇうぇうぇと思いながら立ち尽くすのと、後頭部に生暖かいという概念を超えた何か強大なエネルギーが収束し髪の毛を巻き込んでいくのと、突っ込まれた指先がのどちんこに触るのは多分、だいたい同時だった。

 恐怖を感じるほど冷酷な視線を私の眉間のさらに奥へ向けるハレルヤの目は緑の目。

 えづきが来るよるも、目を閉じるよりも前に、世界が真っ白に染まった。

 ああ――。

 さよなら世界。さよならお母さん。さよなら。





 と。

 後頭部で収縮し、発射されたビーム光線が、背後で何かを溶かす音がした。

「おばかさん」

 ハレルヤはあたしの口腔内から指を抜き、ハンカチを出して爪を拭った。

「なんでそんな向こう見ずをする? 誰かが見てると思わないのか」

 のどちんこの物理判定によって不可避的にえづいた後、振り向いて確認すると、そこにいたなんらかの存在は既に光線によってほぼ完全に排除されており、あとには焦げ跡しか残っていなかった。

「向こう見てなかった……」

「目ついてる?」

 あたしはまぶたに触って目が正面についていることを確かめた。

「そういう意味じゃない」

 ハレルヤがリンゴを振りかぶった。あたしはウワーと頭をかばうそぶりを一応してから、指のブラインドを持ち上げてぼーっとリンゴを見た。

「それ、なんなんだろうね」

「あんたわかってるから持ってたんでしょ」

 わかってる。

 わかっちゃいるんだけれども、だから何、という実際のところは何もわからないし、どうしてあたしの手にあったのかもわからない。

「あたま曇ってる?」

「ごもっともです」

「返す」

 ハレルヤはリンゴをあたしの頭の上にのせた。

「髪の毛焦がした。ごめん」

 真顔だったがたぶん申し訳なさそうにしている。

「いいよ……命に代えられないよ」

「助けてもらった自覚はあるんだね」

「わかんない。合ってた?」

「合ってる」

 そしてあたしの頭の上からリンゴをはずした。

「やっぱ、あぶなさそう」

「なにが?」

「万能の力を持った凡才」

 黄金のリンゴを食べると願いが叶う。

 という名目で行われてきた略奪と殺戮のうち、人間の有意識まで登ってきたものはそう多くない。そういうものは長く意識の表側にとどまっておくことはできず、ほとんどの人はなにかしらの理由で納得して忘れてしまう。あたしも忘れてしまった。


「それ……あげるよ」

 ハレルヤならあたしが持っているよりはまだ資格があるだろう。

「いらない」

 と思ったのだが、彼女は即答した。

「なんで?」

「およそ自ら叶え切れない夢なんてない、私には」

 なるほど。

「ハレルヤはもうリンゴ持ってるんだ」

「いらないんだってば。あんた、食べちゃえば?」

 えー……。

 でもさ。

「いいことないよ、多分」



 おとぎ話はおとぎ話だからね。



 

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