Ⅴ 一件落着
1
「笛吹?」
呼ばれて、愛矢は振り向いた。
――誰?
どこかの家の二階の窓が開いていて、そこからこちらを見ている男の子と目が合った。
――ああ、武居だ。ここは武居の家なんだ。でも、どうしてここに? わたしは今まで、何を……。
視線をずらすと、電信柱にぶつかってつぶれている車が見えた。
――あれは、わたしをずっと追い掛けて来た車だ。あんまりしつこいから飛んで逃げようと思ったら、突然あの車が電信柱に突っ込んだんだ。わたしの力のせいで故障してしまったんだ。そうだ。わたしは父さんに言われて、母さんの家へ行くところだったんだ……。
不意に周りの景色が変わった。
愛矢の前には鏡があった。いや、鏡に映したようによく似た女の子が立っていた。
――この子が愛弓? わたしの妹……。
また、場面がぱっと変わった。今度は学校の裏庭だ。
愛矢は校舎の陰から顔を覗かせてみた。愛弓が男の子と話している。
――あの時、窓から見ていた人だ。
「あの人、誰?」
愛弓に尋ねると、彼女はそっけなく答えた。
「武居優介。同じクラスで、同じクラブなの」
「愛弓ちゃんのボーイフレンド?」
「まあね」
「ふうん……」
「わたし、これから部活なの」
「部活?」
「園芸部。花壇の世話をするのよ」
「じゃあ、見てる」
愛矢は自分だけが別世界にいるような心地で彼らを眺めていた。
しばらくすると、愛弓が近付いて来た。男の子と一緒だが、武居ではない。見た目は武居より大人っぽく、背も武居より高い。けれどどこか子供っぽい感じがする。底抜けに明るく笑っている、何だか能天気そうな人だった。
「この人は誰?」
「園芸部の部長よ。二年の古藤拓斗先輩」
「よろしく」
古藤は手を差し出した。
(きみ、超能力者だろう)
その声は愛矢の頭の中に、しびれるように響いた。
愛矢はびくっとして身を引いた。――この人も、超能力者?
(心配しなくていいよ。誰にも言いやしないから。おれもこの力のことはずっと隠して来たんだ)
(隠す? そんなことが出来るの?)
愛矢は遠慮がちに古藤の手を握った。
(ああ。おれはきみと違って優秀だからね)
その瞬間、背後でガラスの割れる音がした。
古藤はゆっくりと振り返り、日の光にきらめく破片を見下ろした。
(ほら、やっぱりきみは落ちこぼれだ)
ガラスに視線を据えた愛矢の手が、滑り落ちるように古藤の手から離れた。
(ちゃんと片付けておけよ)
古藤は花壇の方へと引き返し始めた。
――待って。
愛矢は古藤に向かって手を伸ばした。
――待って、行かないで。先輩……!
2
涼しい風を感じて、愛矢は目を覚ました。
彼女がいたのはベッドの上で、そこはどうやら病院のようだった。
「それでね、ニューヨークに電話したらジョシュアが出て、パパは日本に帰ったって言うのよ」
愛弓の不機嫌な声が聞こえる。
「最初から自分で連絡するなら、どうしてわたしに電話しに行かせたの?」
「そうでもしなきゃ付いて来るって言うと思ったんだ」
古藤はまったく反省する様子もなく、しゃあしゃあと答えた。
「ちゃんと状況を話してくれたら、おとなしくパパの到着を待ってたわよ」
「そうかな。先陣切って、敵地に乗り込んで行ったんじゃないかなあ」
「そんなことしません」
「いや、きっとする」
「もう!」
「なあ、愛矢。愛弓くんならそうするよな?」
突然話し掛けられて、愛矢は戸惑った。
「愛矢、目が覚めたの?」
愛弓の顔が、ベッドの上にひょこっと現れた。
「部長ったら、気が付いてたのね」
「わたし、ずいぶん眠ってたの?」
「そうでもない。あんたがここに運び込まれたのはゆうべのことよ」
愛矢ははっとして身を起こした。
「武居は?」
「起きちゃだめよ」
愛弓があわてて愛矢の体を支えた。
「ここにいるよ」
愛弓の言葉にかぶさるように武居の声が聞こえた。そちらに顔を動かすと、武居の笑顔があった。
「武居……元気?」
「元気だよ」
愛矢は安堵の息を吐き、またベッドに身を沈めた。
八重子と晴樹も順番に顔を出す。良かった……みんないる。
「満男くんは?」
愛矢は古藤を見て聞いた。
「おれたちより一足先に小屋の中から飛ばしたよ。なぜか偶然父親の……大金銀次の目の前に飛んだらしくてね。……少し話をしたらしい」
何がなぜか偶然よ、と愛弓が言った。
「愛矢、部長はね、何もかも知ってたのよ。今度のことが大金銀次じゃなくて息子の満男くんの仕業だったってことも、大金銀次が今どこでどうしているのかも。しかも、大金銀次はパパと一緒にわたしの目の前に現れたのよ! あの時は心臓が止まるかと思ったわ。それに、そのあと……あの小屋で、武居を見た時も……」
愛弓が隣に座る武居の手をぎゅっと握ると、武居もその手を握り返し、優しく微笑んだ。
「でも、どうして大金くんはあんなことをしたの?」
聞くまでもない。父親を思ってのことなのだ。彼は一年の間、ずっと父親と引き離されていた。ずっと父親に会えなかったのだ。
「そもそも部長が悪いのよ。部長が大金くんのお父さんを遠い外国に飛ばしたりするから……」
「まあまあ、愛弓」
晴樹が困ったように笑いながら愛弓をなだめた。
「口ではあんな風に言ってるけど、拓斗もちゃんと色々考えていたんだよ。銀次は帰って来ようと思えばいつでも帰って来られたんだ。あいつは自分で帰らない選択をした。家族に合わせる顔がないと思ったんだろうね」
「でも、帰って来たわ」
「拓斗に知らせてもらったからね。息子の……満男くんのしていることを」
「大金くんを止めるために帰って来たってこと?」
「いや……あいつも息子に会いたくなったんだろう。満男くんが父親に会いたかったように」
愛弓に案内されて晴樹と大金銀次が小屋に駆け付け、武居の拘束を解いたあと、頃合いを見計らったように、今度は満男が小屋に飛ばされて来たらしい。
「それにしても、二人共なかなか戻って来ないから心配したのよ」
愛弓はほんの少しとがめるような口調になり、愛矢と古藤を交互に見た。
「色々大変だったんだよ、こっちだって」
古藤は肩をすくめた。
「武居が捕まってるせいで手は出せないし、ニューヨークから先生たちを、ずれないように、且つ出来るかぎり早く呼び寄せなくちゃならなくて」
愛矢は古藤が骨を折ってくれたことが嬉しくて、目頭が熱くなった。
「ありがとう、先輩。そこまで……」
「成り行きを見守る主義じゃなかったんですか?」
武居がからかうように聞いた。
「見守っていられる成り行きじゃなかっただろ」
愛矢は涙をぬぐった。
「先輩」
「ん?」
「今、みんなの夢を見てたんだ」
「へえ」
「無事で良かった。本当に……」
「そうだな」
古藤はめずらしく茶化しもせず、あたたかなまなざしを愛矢に向けた。愛矢はますます涙が止まらなくなった。
超能力を持ったことは不運だったとずっと思っていた。けれどこの力があったからこそ、乗り越えられたこともある。この力があったから、出会えた人もいる。
みんながいてくれて良かったと、みんなに会えて良かったと、心からそう思った。
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