Ⅳ 起死回生

 1


 愛矢は薄暗い部屋に閉じ込められていた。鉄格子が周りを囲み、両手は鎖で壁につながれている。

 ドアの開く音に顔を上げると、鉄格子の向こうにさっきの少年が立っていた。

「武居を解放して」

 低い声で愛矢は言った。

「わたしはここにいる。言うとおりにするって約束した。絶対に逃げない。だから……」

 少年は冷たい目で愛矢を見下ろした。

「きみの言うことは信用出来ないよ。今も一匹ネズミを忍び込ませたじゃないか」

「ネズミ?」

 愛矢は顔色を変えた。まさか、先輩か愛弓が……。

「何かしたのか?」

「捕まえそこなったよ。ネズミ取りを仕掛けておくべきだったな」

 少年は屈んで愛矢の顔を覗き込んだ。

「きみがちゃんといい子にしていれば、きみの友達は傷付けないよ」

「わかった。もう、何もしないから……」

 愛矢はうつむき、力なく聞いた。

「学校のひまわりを折ったのもおまえなのか?」

「そうだよ」

「おまえは誰だ?」

「さあ、誰かな」

「おまえの望みは何なんだ?」

「ぼくの望みは一つだけだ。ぼくを、大金銀次のところへ連れて行け」

 大金銀次。この少年はやっぱり、大金銀次の関係者なのか。

「無理だよ。わたしは大金銀次の居場所なんて知らないし……」

 知っていたとしても、愛矢にそんな力はない。

「とぼけるな!」

 少年は突然声を荒らげ、力まかせにドアをたたいた。部屋全体に、ガアンと大きな音が反響する。愛矢は思わず目をつぶった。

「知らないはずはない。おまえが飛ばしたんだからな」

 大金銀次を外国へ飛ばしたのは古藤だ。本当かどうかはわからないが、本人はそう言っていた。

「でも、あれからもう一年も経つんだ。今もそこにいるとは……」

「どうであれ、おまえには大金銀次の居場所がわかるはずだ。おまえは超能力者なのだから」

 少年は気を静めるように息を吐き、幾分優しい声音になって言った。

「大金銀次のところへ行ったら、きみをどうするかは彼に決めてもらう。研究材料にするなり、外国に売り飛ばすなり、好きなようにね」

「おまえは何がしたいんだ」

「復讐だよ」

 復讐。大金銀次の……? わからない。この人は何を考えているのだろう。

「復讐したいならすればいい。でも、他の人には手を出すな。大金銀次を外国に飛ばしたのはわたしだ。復讐するなら、わたしだけにしろ。わたしのことは好きにしていいから、武居は助けて、家に帰して! 武居は何の関係もないんだから」

 さらに言いつのろうとした愛矢の声は、外からの物音にさえぎられた。

 誰かが小屋の戸をたたいている。少年がゆっくりと立ち上がった。

 隣の部屋に消えた少年が戻って来るのを、愛矢は緊張しながら待った。この部屋には防音が施されているらしく、ドアが閉められると外からの音は聞こえなくなるのだ。どうなっているか、何もわからない。

 しばらくして、再びドアが開いた。

「きみの友達が来たよ」

 少年はもったいぶった言い方をした。

「きみに会いたがっている。おかしな真似をしないと言うなら、会わせてあげるけど……」

「愛矢」

 少年の言葉が終わる前に、彼の後ろから古藤が姿を見せた。

「先輩!」

 愛矢は駆け寄ろうとしたが、手を拘束する鎖に引き止められてしまった。

「水入らずで思う存分別れを惜しむといい」

 少年は古藤を鉄格子の中に入れると、自分は部屋を出て行った。

「先輩! 怪我を?」

 愛矢は古藤の肩に巻かれたハンカチを見て叫んだ。

「かすり傷だよ」

 古藤は愛矢に口をはさむ隙を与えずに続けた。

「まったく、愛矢がいきなり呼び寄せるからひどい目に遭った。すぐに外に飛ばしてくれたから助かったが」

 少年が隣で会話を聞いているのだろう。聞かれてまずい話は出来ない。愛矢も慎重に言葉を選んでしゃべった。

「ごめん、先輩。武居が心配だったから。……愛弓は?」

「ニューヨークにいる晴樹先生に、電話を掛けに行ってもらった。どうも愛矢の手には負えないみたいだからな」

「先輩はどうして来たの?」

 古藤はふっと笑っただけで答えなかった。

 会話が途切れたのを確認したのか、少年がタイミング良く戻って来た。

「話は済んだかな?」

「済んだ」

 即答してから、古藤は続けた。

「今度はきみに話がある。武居を解放して欲しい」

 少年は「またそれか」と言うような顔をした。

「武居に付けたあの装置をおれに付け替えろ。おれでも武居でも、条件は同じだろう?」

 愛矢はびっくりして古藤を見た。

「そんな暇はもうない。じき、警察が来る」

 少年は静かに言った。

「双子の片割れに、電話を掛けに行かせたんだろう?」

「晴樹先生に知らせに行っただけだ。きみのことも話してある。愛弓くんはきみのことを友達だと言っていた。友達を警察に突き出すような真似はしないよ」

 古藤の言葉に、少年はわずかに動揺したようだった。

「きみは満男くんだろう」

「満男……?」

 その名前を聞いて、ようやく愛矢も思い出した。大金満男。大金銀次の息子で、愛弓や武居と同じクラスだった。大金銀次が姿を消したあと、祖父に引き取られて転校して行った――。

「もう、こんなことはやめるんだ」

 古藤は穏やかな口調で続けた。

「きみはただ、父親に会いたいだけなんだろう?」

「うるさい!」

 大金満男は首を振り、再び声を張り上げた。

「無駄話は聞きたくない。さっさとぼくを大金銀次のところへ連れて行け!」

「連れて行ってやるよ。武居を自由にしてくれたら、いつでも……明日でもいい。なあ、愛矢?」

 古藤は愛矢を振り返って目配せした。あくまでそれをやるのは愛矢だと思わせるつもりなのだ。

「だめだ。今すぐ連れて行くんだ。今、このまま……」

 満男は鉄格子に手を掛けた。

「この小屋ごと飛ぶんだ。言うとおりにするという約束だろう?」

 愛矢はきっと満男をにらんだ。

「またここを破壊するか? きみの友達も巻き添えを食うことになるだろうが」

 悪魔のような笑みを浮かべて満男は言った。

「ぼくは父さんの恨みを晴らすと決めたんだ。誰にもじゃまはさせない」

「そうか。だが、きみの父さんを外国へ飛ばしたのは……」

「先輩!」

 愛矢がさえぎると、古藤は口を閉じた。

 満男は上着のポケットを探り、小さなリモコンのような物を取り出した。

「これが何かわかるか?」

 愛矢は息を詰め、満男の顔を凝視した。

「武居につながった機械を操作するコントローラーだ」

 満男はコントローラーを頭上に差し上げた。

「このスイッチを押せば……」

「やめろ!」

「もう一度言う。ぼくを大金銀次のところへ連れて行け」

「愛矢」

 古藤が愛矢にささやいた。

「言われたとおりにしろ」

 それは満男にも充分聞こえる声だった。

 愛矢がうなずくと、古藤はすぐさま実行に移した。

 小屋は空間を超えたらしく、一瞬大きく揺れた。

(愛矢)

 不意に、古藤の声が愛矢の頭の中に流れ込んで来た。

(もう大丈夫だ。力を使える。おれが伝えるままを、彼に向かって話せ)

「何をしている? ちゃんと飛ばしたんだろうな」

 よろめきながら満男が怒鳴った。

「一気に移動するとどこに着くかわからない。人に見られないよう、海の上をゆっくり飛んで行く」

 愛矢は頭に響く古藤の言葉を、口に出して繰り返した。

 満男は表情をゆがめた。

「おかしな真似をしたら……わかっているんだろうな」

「武居がひどい目に遭う。わかってるよ。でも、わたしの力だって完璧じゃないんだ。いつ海に落下するともかぎらない。そんな危険な状況に、武居を連れて来られないよ」

「何だと! ……まさか」

 満男はあわてて後ろのドアを開けた。そこにさっきまであった部屋はなかった。ドアの向こうはそのまま外に続いていた。

 満男は危うく真っ逆さまに落ちるところを踏みとどまった。強い風が吹き付け、眼下には大海原が広がっている。

「貴様!」

 満男は真っ赤になって激怒した。

「武居を連れて来なくても、コントローラーはぼくの手にあるんだぞ」

「それが役に立てばね。今ごろ、父さんが装置をはずしてる。あなたの作った仕掛けを解除するくらい、父さんには朝飯前だ」

「おまえの父親はニューヨークにいると!」

「日本まで呼び寄せるのに時間が掛かった。さっきやっと小屋までたどり着いたんだ。一端小屋のこっち側を飛ばしたのは、時間稼ぎのためだよ」

「くそっ……よくも!」

 満男は逆上して叫ぶと、胸の内ポケットから拳銃を引き抜き、その台尻で古藤を殴り払った。

「先輩!」

 愛矢の叫びに呼応するように、小屋がかしいだ。

 満男は倒れ込んだ古藤の首を押さえ、銃口を突き付けた。

「言うことを聞くんだ。言うとおりにしないと、こいつを――」

 彼は最後まで言うことが出来なかった。バランスを失った小屋が、凄まじい音を立てて海面に激突したのだ。衝撃で、愛矢は一瞬、気を失った。


 2


(先輩)

 無意識の呼び掛けに、かすかな声が返った。

(愛矢)

 目を開けた時、愛矢は腰まで水に浸かっていた。そして、すぐ横に古藤の顔があった。

「愛矢、大丈夫か」

 古藤は愛矢の手枷をはずそうとしていた。しばらくいじってそれが無理とわかると、今度は壁に取り付いた。直接鎖を引っこ抜くつもりらしい。

「先輩……」

「じっとしてろ」

 その時、水が一気に流れ込んで来た。古藤はうっとうめいて肩を押さえた。さっき撃たれたところだ。

「先輩!」

 愛矢は古藤を支えようとしたが、腕が自由にならなかった。苦痛にゆがんだ古藤の顔が、水中に沈んだ。

「先輩! 先輩!」

 愛矢は狂ったように叫んだ。

(先輩! 答えて! 先輩!)

 心で呼び掛けても、返答はない。古藤の声は聞こえて来ない。

(先輩……)

 目から涙があふれた。

「ばか。ばか。先輩のばか! わたしのことなんか放って逃げちゃえば良かったのに!」

「そう言うなよ」

 古藤がぽこっと水面から顔を出した。

「先輩!」

 愛矢は涙に濡れた目を見開いた。

「先輩! 大丈夫なの?」

 古藤は無視し、また鎖に手を掛けた。髪が額に張り付き、顔色は青ざめている。

 愛矢は身をよじり、精いっぱい古藤の方へ近付こうとした。

「もうやめて、先輩! もういいから、一人で逃げて!」

「ばか言うな」

 古藤は怒ったような声を出した。

「おれが花以外のことでこんなに必死になるなんて、めったにないんだぞ。素直に喜べ」

 壁から鎖がぽろっとはずれた。愛矢は両手で古藤にしがみ付いた。古藤は愛矢を優しく抱き返し、空間を超えた――。

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