Ⅲ 絶体絶命

 1


 古藤が空間を越えて別の景色の中に出た途端、愛弓はきゃっと悲鳴を上げた。

「何、ここ! すごく高い!」

「周りは多分見張られてる。このくらい高くなくちゃ見つかるだろ」

 古藤が平然と言い返す。

「落ちたら死んじゃうわよ!」

 愛弓は金切り声だ。

「落とさないよ。大丈夫」

 きっぱりと請け合ってから、古藤は下に目を向けた。

「あれ、何だと思う?」

 去年洋館があった空き地には、今は鉄製の小屋らしきものが建っていた。

「前にはなかったよ」

 愛矢は目を凝らしながら答えた。何せ遠過ぎて、細かいところまではわからない。下からも絶対に愛矢たちの姿は見えないだろう。もう少し低くても、鳥だ、くらいにしか思わないんじゃないかな……。

「愛矢が破壊する前? その時あったとしても、今はないだろう。最近で誰かが作ったんだよ」

「大金……?」

「だろうな」

 愛弓は高さに震えていて下を見るどころではなかった。もしかすると古藤は、愛弓がこわがるのを面白がっているのかもしれない。

「愛矢、あそこへ飛ばすが、大丈夫か?」

「うん」

「わたしも行く」

 古藤と愛矢のやりとりに、愛弓が上ずった声で割って入った。

「わたしも行くわよ。一緒に飛ばしてよ」

「足手まといだな」

 古藤は簡潔に断言した。

「ひどい! わたしだって何かの役には……」

「去年のことを忘れたのか?」

 愛弓はぐっと詰まった。

「でも……武居がどんな目に遭っているかわからないのに、じっと待ってるなんて嫌よ」

「愛弓」

 愛矢は愛弓の手を取った。

「心配しないで、ここで待ってて。武居はきっとわたしが助けるから」

「愛矢! あんたのことだって心配なのよ。いつもいつも、無茶ばっかりするんだから」

 愛弓が涙目で手を握り返して来たので、愛矢はちょっとびっくりして身を引いた。

「おい。落ちるぞ」

 愛弓は古藤から離れていることに気が付いて、あわてて彼の袖をつかみ直した。

 古藤は愛矢の肩に手を置いた。

「いいか? 何かあったらすぐにおれに呼び掛けろ」

「わかった」

 愛弓はまだ何か言いたそうに愛矢を見ていたが、結局はあきらめたようだった。

 古藤に飛ばされ、愛矢は空間を超えた。


 2


 愛矢はまぶしさに一瞬目をつぶった。夕闇の暗さに目が慣れていたので、いきなりの蛍光灯の明かりが強過ぎたのだ。

「来たね」

 正面から低い声が聞こえた。

 大金だ、と思い、愛矢はぱっと身構えた。目の上に手をかざして相手の顔を確かめる。だが、そこにいたのは大金銀次ではなかった。

「え……?」

 愛矢は混乱して相手を見つめた。大金じゃない。大金の手下の男たちでもない。どう見ても愛矢と同じ年ごろの少年だ。

「久しぶりだね、愛矢くん」

 少年は歪んだ笑みを浮かべて言った。

「わたしのことを知っているのか? おまえは誰だ?」

「――ああ、きみはぼくとは会ったことがなかったんだっけ」

 まさか、今回のことは大金銀次ではなく、この少年が……?

「おまえが、武居を連れ去ったのか」

 愛矢は慎重に尋ねた。

「ああ」と少年は答えた。

「武居はどこだ!」

「隣の部屋にいるよ。意識がないから話は出来ないけどね」

「……武居に何かしたのか?」

「自分で確かめるといい」

 少年が目でうながしたので、愛矢は隣の部屋に入った。

「武居!」

 武居は大きなガラスケースの中に、目を閉じて横たわっていた。愛矢は駆け寄り、ガラスケースをたたいた。

「武居! しっかりして、武居!」

 ぴくりとも動かないその姿に、必死に呼び掛ける。

「乱暴にしない方がいいよ」

 少年がくすくす笑いながら近付いて来た。

「武居くんを傷付けたくないなら……」

「武居に何をした!」

 愛矢は振り返って怒鳴った。

「薬で眠っているだけだ。心配はいらない」

 少年は今の状況を楽しんでいるようだった。

「武居くんの腕を見てごらん」

 少年の指が示した方を見ると、武居の右手首に鉄の枷のような物がはめられているのがわかった。枷からはコードが何本も出ており、ガラスケースの中の装置につながっていた。

「これは……」

「電流を流す装置だよ」

 愛矢は息を呑んだ。

「ぼくを怒らせたり、逆らったりしたら、武居くんの命はないということだ」

「おまえは誰なんだ! どうしてこんなことをするんだ!」

 少年は相変わらず愉快そうな笑みを浮かべている。愉快そうなのに、どこか冷たい、ぞっとするような笑み。

「今すぐ装置をはずして、武居を解放して!」

「きみがおとなしくぼくの言うことを聞いてくれれば、武居くんは助けてやるよ」

 愛矢は唇を噛んだ。古藤に呼び掛けることは出来なかった。愛矢が力を使えば機械が壊れて、電気が流れてしまうかもしれない。選択の余地はなかった。

「……わかった。言うとおりにする」

 しぼり出すように愛矢は言った。

 少年は目を細めて微笑んだ。

「いい子だね」


 3


「部長、愛矢からまだ通信ないの?」

 空の上で、愛弓は落ち着かなげに古藤をうかがった。

「実は、さっきからずっと呼び掛けてるんだが……返事がないんだ」

「えっ! まさか、愛矢に何か」

「危なくなったら呼び掛けると言ったのに、それもないなんて……」

「いきなり口をふさがれちゃったとか」

「口をふさがれたって、心で呼び掛けることは出来るだろう」

 古藤は少しの間考え込んでいたが、決心したように顔を上げた。

「ちょっと行って来る」

 古藤が手を離そうとしたので、愛弓は仰天してしがみ付いた。

「ここは空中よ」

「ああ、そうか」

「忘れないでよ。部長がいなくなったら、わたしは真っ逆さまに落ちちゃうのよ」

 古藤は周りを見渡し、小屋から二百メートルほど離れた位置にある、一本の木に目を止めた。

「それじゃ、あそこに置いて行こう」

「人を物みたいに言わないで」

 愛弓は抗議したが、古藤は意に介さなかった。素早く木の上まで移動し、愛弓を枝の間に下ろす。

「すぐ戻るから」

「部長まで捕まらないでよ」

 古藤は軽く手を上げると、愛弓を木の上に残し、自分は小屋の中へ飛んだ。

 飛んだ先は、照明の点いた、実験室のような部屋だった。壁に沿って複雑な機械が並び、真ん中に大きなガラスケースが置いてある。

「武居」

 古藤はそっとガラスケースに近付いた。武居が生きていることを確認し、彼の腕と枷に視線を移す。枷から伸びている無数のコードを見ると、古藤は顔をしかめた。

「何か仕掛けがしてあるな。……なるほど。それで愛矢は力を使えなかったのか」

 この装置を壊すのは無理だ。出来たとしても、時間が掛かるだろう。

 せめてケースを開けられないかと壁際の機械へ移動し掛けた時、隣の部屋から声が響いた。

「誰だ!」

 声と共にドアが開いた。とっさに身をひるがえしたが、銃声と痛みが同時に古藤を貫いた。彼はそのまま転がるように、ガラスケースの陰に隠れた。

 銃を手にして入って来たのは少年だった。少年は侵入者の正体を確かめるため、ケースの向こうを覗いた。しかし、そこに人の姿はなく、ただ赤い血の跡だけが床に残されていた。 

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