Ⅰ 前触れ
1
――八月三日。
愛弓は武居とデートの約束をして出掛けた。
学校で待ち合わせ、というのが何ともムードがないけれど、それから映画を観て、公園を二人で散歩した。お昼は愛弓のお手製弁当だ。朝早く起きて、頑張って作った。
「最近は何の事件もなくて、平和ね」
自動販売機でジュースを買いながら愛弓が言うと、武居はちょっと顔をしかめた。
「言うなよ。何だかそういうこと言うと、事件が呼び寄せられる気がする」
「あはは。ごめん」
「この間、交通事故が減ったってニュースを聞いてるまさにその時、うちの前で自動車事故があったんだ」
「えっ、また?」
今度は愛弓が顔をしかめた。
「確か一年前にも……」
「ああ、愛矢が来た日だね。あの時と同じ場所だよ。でもあれは、愛矢を追い掛けて来た連中だったんだろ?」
「何だか嫌な感じね。不吉の前触れみたい」
「だから、言うなって」
「ごめんごめん。そうよね。そうそう事件なんて起こっちゃたまんないわ」
二人はベンチに戻ってサンドイッチを食べ始めた。
「おいしいよ」
「ありがと」
「今日も暑いな」
武居が汗をぬぐいながら顔を上げた。
「あ、あそこ。ひまわりが咲いてる」
愛弓も武居が指差す方向を見やった。
「ほんとだ。学校のひまわりはどうなったかしら」
「今ごろ一斉に咲いてるだろうな。部長なんか毎日水やりやらの世話をしに、朝五時から学校に行ってるらしいよ」
「よくやるわねー。部長は花が人生の全てのような人だもんね」
「明日は園芸部の日だから、ひまわりの様子も見られるな」
愛弓と武居は顔を寄せて笑い合った。
「さあ、次はどこへ行く?」
立ち上がりながら、武居が聞いた。
「愛弓の行きたいところへ行くよ」
「そうね……」
愛弓はいたずらっぽく、考え込むふりをして見せた。
「二人っきりになれるところがいいな」
2
――八月四日。
「愛弓、早く」
愛弓は愛矢に急かされながら、スニーカーの靴ひもを結んでいた。もう! あせっているとなかなかうまくいかないんだから。
靴を履き終わると、愛弓は愛矢に引っ張られるようにして家を出た。
「待ってよ、愛矢ったら。そんなに急がなくても……」
「だって、今日も早く行くって、先輩と約束したんだ」
快晴の通学路に、愛矢の弾むような足音が響く。
「愛矢、昨日学校行ったの? ひまわりどうだった?」
愛弓は愛矢に置いて行かれないように、ほとんど駆け足になっていた。
「元気に咲いてたよ」
愛矢は嬉しそうに答えた。
「クリスマスの雪だるま覚えてる? あれみたいなんだ。わたしと愛弓と、武居と先輩。それに父さんと母さん。仲良く六本並んでる」
「わあ! 早く見たいな」
二人は楽しげに笑いながら校門をくぐった。しかし、花壇の前まで来るとその足は止まってしまった。
二人が目にしたのは、一本残らずなぎ倒されたひまわりだった。そのあわれな姿を見下ろして、古藤が一人花壇の前にたたずんでいる。思わず顔を背けたくなるような惨状だった。ひまわりはただ折られただけでなく、ずたずたに切り裂かれ、踏み潰されていたのだ。
「何、これ!」
思わず叫んだ愛弓の声に、古藤は答えも振り向きもしなかった。
「先輩……」
愛矢がゆっくりと古藤に近付いた。彼女は手を伸ばしたが、その手は古藤の腕の手前で止まり、行き場がないように空中をさまよった。触れることも、声を掛けることも出来なかった。愛矢は伸ばした手を握りしめ、ただじっと古藤の背中を見つめていた。
3
「許せないことするわね」
その日の帰り道、愛弓は武居に向かって意気込んだ。
「わたし、きっと犯人を見つけて、謝らせてやるわ」
一緒に歩いているのは武居だけだった。あのあとみんなで荒らされた花壇を片付けて他の花の世話をしたが、古藤はずっと上の空で、愛矢は心配だからしばらくそばに付いていたいと言って学校に残ったのだ。
「武居、どうして黙ってるの? あんたは悔しくないの? 部長があんなに頑張って育ててたひまわりなのに。愛矢だって……」
愛弓の言葉をさえぎるように、突然武居が顔を上げた。
「同じだ」
あまりに緊迫した声音だったので、愛弓は思わず足を止めた。
「同じって……何が?」
「一年前と同じなんだよ、みんな。日にちまで、まったく同じだ。おれの家の前で事故があったのも、花壇が荒らされたのも。あの時も愛弓が、犯人を見つけてやるって言った。……そして……」
武居はこわばった表情で愛弓を見た。
「八月十七日だった。愛弓が、あいつに……大金銀次に連れて行かれたのは」
不意打ちだった。まったく予想もしていなかった。武居の口からその名前が出るとは――。大金銀次。その名前は、愛弓の心を震え上がらせた。
「ちょっと待って。それじゃ、またあいつがやってるって言うの?」
「わからないけど」
「でも、大金銀次は警察に捕まったのよね? 愛矢に隠れ家を壊されて……パパも部長ももう心配いらないって言ってたわ。大金銀次がまた現れるなんて、あり得ないわよ」
「そうかもしれないけど……とにかく、気を付けた方がいい」
武居はどうしても不安をぬぐい去れないようだった。
「今年の八月十七日は登校日だ。休んだ方がいいよ」
「心配し過ぎよ、武居。そんなことくらいで学校休めないわ」
「……それじゃ、その日はおれが迎えに行く。家の前で待ってて」
武居があまり熱心に頼むので、愛弓は仕方なくうなずいた。
4
――八月十七日。
愛弓は愛矢と一緒に、家の前で武居を待っていた。
「そんな心配することないと思うんだけどなあ。偶然よ、きっと」
愛弓はあまり気にしていなかった。武居が危ないことはするなと言ったので、ひまわりを折った犯人はまだ見つけられていなかったが、今日が無事に過ぎたら調べるつもりでいた。きっと、心ない生徒のいたずらだ。そうに違いない。
「愛弓」
朝から黙って考え込んでいた愛矢が、深刻そうに口を開いた。
「偶然じゃないって、わたしも思う。何だか嫌な予感がするよ」
「愛矢……」
「でも、父さんは今ニューヨークに行ってるし、母さんには心配掛けられないし」
愛矢は言葉を途切らせた。
愛弓は愛矢の張り詰めた顔を見つめた。
もし、本当に大金銀次が再び現れたのだとしたら、やっぱり愛矢の力が狙いなのだろうか。せっかく落ち着いた愛矢の暮らしを壊そうというのか。――ううん、そんなことはさせない。何があっても愛矢を守ってやらなければ。
去年、力を使い過ぎて壊れ掛けてしまった愛矢。あんな思いは二度とさせたくない。あんな思いは二度と、したくない。
「それにしても武居、遅いわね……」
愛弓が道の先に目をやり、愛矢もそちらを見た。
そこにはただ蝉の鳴き声だけがこだましていた。
5
武居は朝七時に家を出た。彼の家から愛弓たちの家までは、結構掛かるのだ。
去年とは打って変わって暑い、夏らしい日だった。蝉の声を頭上に聞きながら歩いていると、これから悪いことが起こるようには思えない。
「思い過ごしなのかもしれない」
武居はわずかばかり緊張をゆるめた。
「愛弓の言うとおり、ただの偶然だったのかもしれない」
しかし、用心するに越したことはない。今日は一日、愛弓と愛矢に付いていよう。何事もなければそれでいいのだ。
腕時計に目をやり、少し急ごうと早足で角を曲がった時、いくつもの影が武居に覆いかぶさった。
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